見もの・読みもの日記

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鉄炮伝来/国立歴史民俗博物館

2006-10-14 18:50:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立歴史民俗博物館 企画展示『歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-』

http://www.rekihaku.ac.jp/

 1543(天文12)年の鉄炮伝来から1868(明治元)年の戊辰戦争まで、3世紀にわたって独自の発達を遂げた、日本の鉄砲(鉄炮)の鋳造・射撃技術を紹介するもの。ありそうでなかった企画ではないかと思う。こんなに数多くの、多種多様な「鉄炮」を目にしたのは初めてのことである。

 『鉄炮記』は、天文12年(1543)、種子島に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人が、初めて日本に鉄砲を伝えたと記す。しかし、この文書は種子島氏の顕彰のために作られたもので、信憑性を疑う声もあるそうだ(学校で習う歴史の「定説」なんて、こんなものなんだなあ)。初期の鉄砲は、形態から見て西欧型でなく東南アジア型である、という見解は面白いと思った。具体的にどこが違うのかは、よく分からなかったが。

 印象的だったのは、香雪美術館所蔵の『レパント戦闘図』。桃山時代に日本人が描いた洋風画である。帆船の浮かぶ青い海を背景に、オスマン帝国軍とヨーロッパ連合軍の戦いを描いている。西洋の鉄砲は「肩つき」で構えるのが作法だが、絵の中の兵士たちは、日本流の「頬つき」で構えているという。なるほど、言われてみれば、登場人物の動作にどことなく違和感がある。

 慶長から元和年間は、鉄砲の最盛期だった。さまざまな流派が成立し、弾の鋳造法、的の狙い方などの「秘伝」を競った。各派の「秘伝書」は、一流の書家や絵師が腕をふるった芸術作品となっている。また、残っている鉄砲も、流派ごとに少しずつ形状が異なる。最初期の火縄銃は、銃身が大人の背丈ほどもある。デカい!!(初期の活版印刷本=インキュナブラが、やたらとデカいことを思い出してしまった)

 まもなく日本国内には、徳川300年の太平の世がおとずれる。鉄砲は、剣術などと同様、武道としてなんとか命脈を保った。そして幕末、鉄砲は、再び歴史の歯車をまわす存在となる。野口武彦さんの本『長州戦争』や『幕府歩兵隊』で覚えた「ゲーベル銃」「ミニエー銃」の実物を見ることができて、わくわくした。当時の摺り物(双六)には、忍者のような黒装束の鉄砲隊も登場している。

 近代に至ると、大幅に性能を改善し、小型化した「短銃」が出現する。こうなると「鉄砲」ののどかな響きは消えて、効率的で冷酷な殺人の道具というイメージが増大する。それはそれで銃器マニアにはたまらないのだろうが、私はちょっと興味が失せる。大久保利通が持っていたレミントン二連デリンジャーが展示されていたが、おもちゃかと思うほど小さいピストルだった。たぶん、明治の元勲たちは、みんな、こんな銃を持ち歩いていたんだろうなあ。
コメント
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