○国立公文書館 秋の特別展『明治宰相列伝』
http://www.archives.go.jp/event/haru_aki/06aki.html
明治期に在任した宰相(内閣総理大臣)は、全部で17人(14代)。彼らの閲歴と業績を通じて、近代国家として体制を急速に整えていった明治日本の姿を映し出す企画である。ちなみに、7人の宰相とは、伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望。
人物中心の歴史というのは、分かりやすくて面白い。ただし、公文書館らしく、宰相たちの「公」の業績を中心としているので、伊藤博文の女好きとか、黒田清隆の妻殺し疑惑など、三面記事的ゴシップは全て無視されている。そこが残念と言えば残念である。
初めの展示ケースを覗き込んで、あれ?と思った。資料のそばには、わずか1、2行の解説しかないのだ。公文書館の展示は、これまで読み応えのある解説をつけてくれていたのに・・・そうか、「音声ガイド」を利用しろということだな、と気づいて、初めて「音声ガイド」なるものを借りてみた。これが、なかなか良かった。私同様、「音声ガイド」を使っている客が多いせいか、無関係なお喋りが少なく、会場が静かだったのも好ましかった。
展示品は、明治期の文書のはずだが、ものすごく状態がいい。私は勤め先の図書館でも、ときどき明治期の文書を見ているが、全く比較にならない(比較するほうが叱られるか)。頁の端に「校正××」「謄写○○」というハンコが押してあるところからすると、展示品の一部は、保存用に清書された複製なのかもしれない(もらって帰った目録を見て、『公文類聚』という編纂書であることが判明)。
たとえば「日清両国休戦条約」は、最後に調印者の名前が並んでいる(李鴻章の名前もあり!)が、どれも同じ筆跡で、その下に「マル印」とのみある。原本なら、ちゃんと印が押されていたことだろう。その隣、「日清講和条約」は、伊藤博文総理、山県有朋陸相らのサインが入っているので、原本と思われる。しかし、紙の状態はとてもいい。
大津事件の発生を知らせる電報の原本というのもあった(リンク先のWikipedia掲載の画像とは別物)。さすがに、これは紙質が悪く、当時の切迫感を伝えている。
明治35年(1902)、日英協約の締結に関連して、桂太郎首相と小村寿太郎外相が枢密院に対して行った説明資料が展示されていた。初めて読む資料だが、読んでいて、だんだん腹が立ってきた。「朕、東洋ノ平和ヲ維持シ国運隆昌ヲ期スルハ、清韓両国ヲシテ克ク其ノ領土ヲ保全シ、其ノ民人ヲ靖セシムルニ在ルヲ思ヒ」と始まる。確かに明治天皇は、本気でそう考える”苦悩する「理想的君主」”(笠原英彦)だったかも知れない。しかし、両国政府の本音は、文章の後段に現れるごとく、イギリスの清国における権益、日本の清国および韓国における権益を相互承認することにあったと思われる。その後の日本政府の行動が、何もかも雄弁に物語っている。
いや、それはそれでもいい。ただ、あまりに本音とかけ離れた鉄面皮な美文ではないか。日本人として恥ずかしいし、清韓ニ国の人民の立場だったら、悔しすぎて、今なお平静には読めない文章だろうなあと思う。
最後に、出口のプラズマディスプレイに流れていた、国立公文書館の活動を紹介するビデオを興味深く眺めた。所収の文書は、きちんとした殺虫殺菌処理、温湿度管理、目録整理、媒体変換(マイクロ撮影)が行われていることを知った。いつの間にか、デジタルアーカイブも充実しているし。付設のアジア歴史資料センターもいい仕事をしている。そっと応援のエールを送っておきたいと思う。
http://www.archives.go.jp/event/haru_aki/06aki.html
明治期に在任した宰相(内閣総理大臣)は、全部で17人(14代)。彼らの閲歴と業績を通じて、近代国家として体制を急速に整えていった明治日本の姿を映し出す企画である。ちなみに、7人の宰相とは、伊藤博文、黒田清隆、山県有朋、松方正義、大隈重信、桂太郎、西園寺公望。
人物中心の歴史というのは、分かりやすくて面白い。ただし、公文書館らしく、宰相たちの「公」の業績を中心としているので、伊藤博文の女好きとか、黒田清隆の妻殺し疑惑など、三面記事的ゴシップは全て無視されている。そこが残念と言えば残念である。
初めの展示ケースを覗き込んで、あれ?と思った。資料のそばには、わずか1、2行の解説しかないのだ。公文書館の展示は、これまで読み応えのある解説をつけてくれていたのに・・・そうか、「音声ガイド」を利用しろということだな、と気づいて、初めて「音声ガイド」なるものを借りてみた。これが、なかなか良かった。私同様、「音声ガイド」を使っている客が多いせいか、無関係なお喋りが少なく、会場が静かだったのも好ましかった。
展示品は、明治期の文書のはずだが、ものすごく状態がいい。私は勤め先の図書館でも、ときどき明治期の文書を見ているが、全く比較にならない(比較するほうが叱られるか)。頁の端に「校正××」「謄写○○」というハンコが押してあるところからすると、展示品の一部は、保存用に清書された複製なのかもしれない(もらって帰った目録を見て、『公文類聚』という編纂書であることが判明)。
たとえば「日清両国休戦条約」は、最後に調印者の名前が並んでいる(李鴻章の名前もあり!)が、どれも同じ筆跡で、その下に「マル印」とのみある。原本なら、ちゃんと印が押されていたことだろう。その隣、「日清講和条約」は、伊藤博文総理、山県有朋陸相らのサインが入っているので、原本と思われる。しかし、紙の状態はとてもいい。
大津事件の発生を知らせる電報の原本というのもあった(リンク先のWikipedia掲載の画像とは別物)。さすがに、これは紙質が悪く、当時の切迫感を伝えている。
明治35年(1902)、日英協約の締結に関連して、桂太郎首相と小村寿太郎外相が枢密院に対して行った説明資料が展示されていた。初めて読む資料だが、読んでいて、だんだん腹が立ってきた。「朕、東洋ノ平和ヲ維持シ国運隆昌ヲ期スルハ、清韓両国ヲシテ克ク其ノ領土ヲ保全シ、其ノ民人ヲ靖セシムルニ在ルヲ思ヒ」と始まる。確かに明治天皇は、本気でそう考える”苦悩する「理想的君主」”(笠原英彦)だったかも知れない。しかし、両国政府の本音は、文章の後段に現れるごとく、イギリスの清国における権益、日本の清国および韓国における権益を相互承認することにあったと思われる。その後の日本政府の行動が、何もかも雄弁に物語っている。
いや、それはそれでもいい。ただ、あまりに本音とかけ離れた鉄面皮な美文ではないか。日本人として恥ずかしいし、清韓ニ国の人民の立場だったら、悔しすぎて、今なお平静には読めない文章だろうなあと思う。
最後に、出口のプラズマディスプレイに流れていた、国立公文書館の活動を紹介するビデオを興味深く眺めた。所収の文書は、きちんとした殺虫殺菌処理、温湿度管理、目録整理、媒体変換(マイクロ撮影)が行われていることを知った。いつの間にか、デジタルアーカイブも充実しているし。付設のアジア歴史資料センターもいい仕事をしている。そっと応援のエールを送っておきたいと思う。