見もの・読みもの日記

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人と人をむすぶもの/明治メディア考(加藤秀俊、前田愛)

2008-12-29 20:27:06 | 読んだもの(書籍)
○加藤秀俊、前田愛『明治メディア考』 河出書房新社 2008.12

 新刊コーナーに並んでいたが、1978~79年に行われた対談で、80年に単行本化されたものの新装復刊である。国文学と社会学という異なるフィールドの碩学2人が、明治のメディアについて語ったもの。1978年のユネスコ総会で「マスメディア宣言」が採択された、という話題から対談が始まる。「メディア」という言葉が、私たちの生活に定着し始めたのも、この頃だったかもしれない。

 明治期を特徴づける最も重要なメディアは新聞だが、他にもさまざまな視聴覚メディア――演歌、唱歌、講談、錦絵、番付、双六、絵葉書、銅像、博覧会などが語られている。また、コミュニケーション・センターとして機能していた髪結床や銭湯、ひとつの町から別の町へ情報を伝えた行商人や芸人、漁民のネットワークにも着目する。

 西洋人は椅子とテーブルで文章を書くから、まず資料の書き抜きをカードにつくっておかなければならない。日本人は和室に「資料をだーっとひろげておくことができるから」カードが要らない、という加藤秀俊氏の指摘は卓見だと思う。もうひとつ付け加えると、東アジアの本は「軽くて持ち運びやすく、開いて積んだり折り曲げたりしても壊れにくい」という特性もあるのだと思う。だから日本の書籍には索引が発達せず、付箋が活用された。

 木活字は刷っているうちに字がずれる。ベストセラーとなった末広鉄腸の『雪中梅』の後刷本は、活字にガタがきているのが分かるそうだ。一方、版木は途中で休ませれば万の単位で刷れるという。そのかわり、活字はハンドライティングの個性が消えて読みやすくなるため、かなりの速度で黙読することが可能になる。なお、『西国立志編』や『学問のすすめ』に続く明治のベストセラーには『造化機論』という性の通俗解説書があるそうだ。学校の文学史では絶対に教えない話題。

 また、ヨーロッパでは「文章を書く」ことは非常に強いコミットメント(責務)として自覚されているという。座談会や対談などで、話したことがそのまま文字になってもまあいいや、というのは日本人特有の感覚らしい。そうなのか。私は、有識者が難しいことをざっくばらんに語ってくれる対談本・座談本が大好きなのだが、こういう楽しみは、西欧文化圏にはあまりないのだろうか。
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