見もの・読みもの日記

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知力の自由競争/江戸の知識から明治の政治へ(松田宏一郎)

2008-12-17 22:52:40 | 読んだもの(書籍)
○松田宏一郎『江戸の知識から明治の政治へ』 ぺりかん社 2008.2

 第1部「統治エリート観における伝統と現代」と第2部「アジア認識と伝統の再構成」から成る。第2部はちょっと難しくて斜め読みになってしまったが、第1部は面白かった。問題は、徳川期から明治初期にかけて、どんな統治者を戴く社会が理想的であると人々は考えていたか、あるいは、統治者をどのように選抜・育成するシステムが望ましいと考えていたか、である。本書は、この点を、横井小楠、高野余慶、佐久間象山などの残した文章に拠りつつ、また、同時期の西洋と比較しながら考える。

 19世紀半ば、英国では、インド植民地官僚の公開試験による採用方針が決められた。ただし、それは、現地語などの専門知識を有する者よりも、大学で古典を中心とする教養教育を受けた者を登用するための制度改革であった。英国の行政官僚におけるジェネラリスト優先主義は、20世紀後半まで、根強く存在したという。

 同様に日本でも、18世紀末から19世紀前半、学問吟味による人材登用などを通じて、学問を統治人材の要件とすることが一般化した。つまり、学問(教育)による立身出世、というライフプランは、明治以降に出現したものではなく、江戸後期の学問熱から育ってきたものであることが分かる。ただし、求められた「有用有益」の「実徳実才」とは、「吏事」のプロフェッショナリズムではなく、倫理的動機付けが重視されており、西洋の教養(リベラル・エデュケーション)に近いものである。

 人材の確保と育成は、現代においても、官僚機構と私企業とを問わず、重要な課題である。けれども面白いのは、社会を大局的に見ていた学者たち、J.S.ミルやトクヴィルは、優秀な人材が統治機構(行政官僚)に集中しすぎると、社会の活動力が失われると考えていたことだ。彼らは、その典型例を伝統中国の官僚制度に見ていた。ペダントクラシー(秀才政治)とは、うまく名付けたものである。

 福沢諭吉は、ミルの警告に、素早く的確に反応している。知力の有効性を評価するからといって、その測定基準を一元化し、政府が正統性を付与することはすべきでない。全国の知力が全て政府に集中する、というような事態は、社会の停滞を招く。むしろ、知的人材を分散化し、競争状態を維持しておけば、必要に応じて人材は供給される、と説くのである。うーむ、ダメ官僚が頻出する今日の日本のありようは、慶賀すべきことなのかもしれない(人材が集中していないという点で)。それと、今般の大学行政担当者に聞きたい。いまのCOE制度なんて、福沢のいちばん危惧したことをやってるに等しいのじゃなかろうかね。
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