○香川照之『中国魅録:「鬼が来た!」撮影日記』 キネマ旬報 2002.4
『龍馬伝』の岩崎弥太郎、『坂の上の雲』の正岡子規と大活躍の香川氏であるが、ネットの評判を読んでいると、時々唐突に「でもこの人、反日映画に出てるんだよね」という書き込みがある。えーなんだかなあ。中国人のつくる戦争映画は全て反日映画だと信じているんだろうか…と暗澹としていたら、「『中国魅録』という本を読んでみるといいよ」というレス(返答)に出会った。映画『鬼が来た!』(原題:鬼子来了、2002年日本公開)の撮影日記だという。私はかつて、この映画に、ものすごい衝撃を受けた。香川照之という日本人俳優の名前を覚えたのも、この映画であったような気がする。
日曜日、さっそく神田の書店に買いに行って、のめり込むように一気に読んでしまった。本書は、1998年8月から翌年1月まで、中国映画『鬼子来了』の撮影に「参戦」(としか言いようがない)した著者が、当時の日記をもとに、半年にわたる、過酷で、クレイジーな「異文化体験」を忠実に書き起こした記録である。
この映画にキャスティングされた日本人俳優はわずか5人。ほかに、現地(中国)で集められた日本人留学生が10数人。「いままでの中国映画は日本兵士を正確に描いていない」と考える姜文(ジャン・ウェン)監督は、徹底した戦記・戦争映画の研究と肉体改造を彼らに課す。中国に到着してまもなく始まったのは、北京郊外の軍事施設に泊まり込んでの軍事訓練。役用の衣装でもある軍服を身につけ、ランニング、匍匐前進、「担え銃」「捧げ銃」を繰り返し、30分の「気をつけ」。「だいたい私はどっちかといえば左翼なのだ」という著者が、炎天下で微動だに許されない「気をつけ」姿勢の間に、なぜか「生まれて初めて、見慣れた昭和天皇の神々しいお顔が心に鮮明に浮かんできた」と告白する。クランクイン前のパーティでは、100人を超える中国人スタッフ・俳優が大合唱した中国国歌に対抗して、15人ほどの日本人が君が代を歌う。火花散る愛国心に感動と昂揚をおぼえる著者。
これだけでも十分に面白いのだが、撮影が始まると、いよいよ「中国」という異文化は牙を剥き、野蛮な本質を露わにする。台本を読まない撮影クルー、撮影中に寝てしまう俳優、道路の真ん中にトラックを放置する運転手、宿泊客の持ちものを平然と持ち去るシャオジエ(女性服務員)。本書を一読したら、たいがいの日本人は、絶対に中国人とつきあいたくない、日本に一歩も入ってこないでほしい、と悲鳴を上げるだろう。それでも著者は、狂気と混乱のるつぼの中で、身の安全と精神の平衡を必死で守りながら、「とにかく前進しよう」と自分に言い続ける。立派だ。寝床の安逸をむさぼりながら「あいつは反日俳優」などと指差しているだけの寝ぼけ愛国者とは大違いじゃないか。
ついに腹痛(潰瘍)を発症した著者が、病院にかつぎこまれる下りは、戦慄のホラー映画そのものである。さらに、台本に従って、麻袋に放り込まれたまま、忘れられかけるに至っては、笑うしかない。香川さん、よく生きて帰ってきたなあ…。
そして、悪夢のあとのエピローグは、2000年5月、カンヌ国際映画祭グランプリというまばゆい栄光。後日、姜文が俳優・中井貴一に語ったという小さなエピソードが最後に仕掛けられている。けれども、この姜文の言葉を、本音と読むか単なるジョークと読むか、あるいは、ジョークと知りながら著者がわれわれ読者に仕掛けた罠(虚構)と見るか、解釈は分かれるのではないか。
映画『鬼が来た!』を知らなくても読める本だが、これから映画を見ようという人にはおすすめしない。やっぱり、先入観なく映画を先に見るほうがいいと思う。
※映画はこちら(DVD)。→概要紹介(個人サイト:戦争映画中央評議会)
『龍馬伝』の岩崎弥太郎、『坂の上の雲』の正岡子規と大活躍の香川氏であるが、ネットの評判を読んでいると、時々唐突に「でもこの人、反日映画に出てるんだよね」という書き込みがある。えーなんだかなあ。中国人のつくる戦争映画は全て反日映画だと信じているんだろうか…と暗澹としていたら、「『中国魅録』という本を読んでみるといいよ」というレス(返答)に出会った。映画『鬼が来た!』(原題:鬼子来了、2002年日本公開)の撮影日記だという。私はかつて、この映画に、ものすごい衝撃を受けた。香川照之という日本人俳優の名前を覚えたのも、この映画であったような気がする。
日曜日、さっそく神田の書店に買いに行って、のめり込むように一気に読んでしまった。本書は、1998年8月から翌年1月まで、中国映画『鬼子来了』の撮影に「参戦」(としか言いようがない)した著者が、当時の日記をもとに、半年にわたる、過酷で、クレイジーな「異文化体験」を忠実に書き起こした記録である。
この映画にキャスティングされた日本人俳優はわずか5人。ほかに、現地(中国)で集められた日本人留学生が10数人。「いままでの中国映画は日本兵士を正確に描いていない」と考える姜文(ジャン・ウェン)監督は、徹底した戦記・戦争映画の研究と肉体改造を彼らに課す。中国に到着してまもなく始まったのは、北京郊外の軍事施設に泊まり込んでの軍事訓練。役用の衣装でもある軍服を身につけ、ランニング、匍匐前進、「担え銃」「捧げ銃」を繰り返し、30分の「気をつけ」。「だいたい私はどっちかといえば左翼なのだ」という著者が、炎天下で微動だに許されない「気をつけ」姿勢の間に、なぜか「生まれて初めて、見慣れた昭和天皇の神々しいお顔が心に鮮明に浮かんできた」と告白する。クランクイン前のパーティでは、100人を超える中国人スタッフ・俳優が大合唱した中国国歌に対抗して、15人ほどの日本人が君が代を歌う。火花散る愛国心に感動と昂揚をおぼえる著者。
これだけでも十分に面白いのだが、撮影が始まると、いよいよ「中国」という異文化は牙を剥き、野蛮な本質を露わにする。台本を読まない撮影クルー、撮影中に寝てしまう俳優、道路の真ん中にトラックを放置する運転手、宿泊客の持ちものを平然と持ち去るシャオジエ(女性服務員)。本書を一読したら、たいがいの日本人は、絶対に中国人とつきあいたくない、日本に一歩も入ってこないでほしい、と悲鳴を上げるだろう。それでも著者は、狂気と混乱のるつぼの中で、身の安全と精神の平衡を必死で守りながら、「とにかく前進しよう」と自分に言い続ける。立派だ。寝床の安逸をむさぼりながら「あいつは反日俳優」などと指差しているだけの寝ぼけ愛国者とは大違いじゃないか。
ついに腹痛(潰瘍)を発症した著者が、病院にかつぎこまれる下りは、戦慄のホラー映画そのものである。さらに、台本に従って、麻袋に放り込まれたまま、忘れられかけるに至っては、笑うしかない。香川さん、よく生きて帰ってきたなあ…。
そして、悪夢のあとのエピローグは、2000年5月、カンヌ国際映画祭グランプリというまばゆい栄光。後日、姜文が俳優・中井貴一に語ったという小さなエピソードが最後に仕掛けられている。けれども、この姜文の言葉を、本音と読むか単なるジョークと読むか、あるいは、ジョークと知りながら著者がわれわれ読者に仕掛けた罠(虚構)と見るか、解釈は分かれるのではないか。
映画『鬼が来た!』を知らなくても読める本だが、これから映画を見ようという人にはおすすめしない。やっぱり、先入観なく映画を先に見るほうがいいと思う。
※映画はこちら(DVD)。→概要紹介(個人サイト:戦争映画中央評議会)