見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

カルメン/プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010(写真美術館)

2010-12-29 23:57:52 | 見たもの(Webサイト・TV)
写真美術館 『プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010』(2010年12月4日~12月26日)

■カルメン(フランチェスコ・ロージ監督、1983年)

 26日(日)に鑑賞。前日、3作品を見たというのに、頑張ってまた行ってしまった。この作品は1983年製作(1984年説あり)。日本公開は1987年らしい(Wiki)。当時、まだ20代だった私には、この映画の男女の生々しさは、よく分からなかったな。今見ると、生唾飲み込むようなスゴさがある。

 カルメン役のミネゲス=ジョンソンは、奔放なようで、意外と「弱い女」のカルメンを演じている感じがする。すがるドン・ホセを振り払うクライマックス・シーンで、ときどき垣間見せる、眉をひそめるような表情が、単に腕を掴まれ、引きずられるという物理的な暴力への抗いだけでなく、まだ心の底にドン・ホセへの愛情が残っているように感じさせるのだ。歌い方が弱い(よく言えば、陰影に富んで、女らしい)所為もあるだろうか。もっときっぱりとドン・ホセを振るカルメンもいるよな、と思って見ていた。

 エスカミーリョ役のライモンディは、2008年に、同じジョセフ・ロージー監督の映画『ドン・ジョバンニ』を見て、いたく気に入ったバリトン歌手だが、エスカミーリョとしては、ちょっと老けすぎている感じがした。もうちょっと若くて肉食系の歌手のほうがハマるように思う。闘牛場の場面も熱演(さすがに牛に正対するシーンは吹き替えだが)。あと、些細なことだが、ライモンディ、ドミンゴが、普通に馬に乗るシーンがあって感心してしまった。今の日本の若い俳優って、時代劇を撮ろうにも、満足に馬に乗れない…という話を聞いていたので。

 どの場面も華やかで、ドラマティックで、どことなくエキゾチシズムの視線も感じられて、面白いオペラだ。アリア、合唱、管弦楽曲など、多彩な聴きどころがあって飽きない。154分は長いと思っていたが、全く問題なかった。また来年の企画が楽しみである。
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ワーキング・クラスと社会起業/チョコレートの世界史(武田尚子)

2010-12-29 00:44:32 | 読んだもの(書籍)
○武田尚子『チョコレートの世界史:近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』(中公新書) 中央公論新社 2010.12

 カカオ豆は中南米原産。クリオロ種、ファラステロ種、トリニタリオ種の3種がよく知られている。カカオに含まれるテオブロミンは、カフェインによく似た分子構造を持っている。カカオ豆の重量の半分は油脂で、この点がコーヒー豆と大きく異なる。等々、冒頭には、多くの図表・写真を交えて、チョコレートの原材料であるカカオ豆の博物誌が語られる。カカオの実がどのように樹になり、どのように収穫されるか。どのような加工プロセスを経て、ココア・パウダーやチョコレートが生成されるのか、知らないことばかりで、興味深く読んだ。たまには、こういう自然科学分野の読みものもいいなあ、と思いながら。

 記述は歴史に従って進む。15世紀まで、カカオはマヤ・アステカ社会で生産・消費されていたが、16世紀、メキシコの人々にカカオを飲む習慣が広まり、1630年代にはスペイン本国にも輸出されるようになった。17世紀には、白人のカカオ商人が成長し、アフリカから黒人奴隷の労働力を買い入れ、カカオや砂糖を生産してヨーロッパに輸出する、大西洋三角貿易が栄えた。

 カカオ以外にも、新世界から到来したさまざまな新しい食品が、徐々にヨーロッパに根付いたのが17世紀である。その際「薬品か食品か」「液体か固体か」が問われたのは、断食期間に摂取可能か否か、という宗教的判断に大きな関わりがあったからだという。なるほど。

 19世紀に入ると、現在の私たちにも親しい会社の名前があらわれる。ひとつは、1815年にライセンスを取って、オランダのアムステルダムでココアの製造・販売を始めたコンラート・ヴァン・ホーテン。イギリスでは、19世紀中葉、「のちにイギリスを代表するココア・チョコレート・メーカーに成長していった」フライ家、キャドバリー家、ロウントリー家が出現する。ちなみに、19世紀後半、イギリスでは砂糖の消費量が急速に拡大し、ほかのヨーロッパ諸国に見られないほどの「甘いもの好き」国民になっていった。背景には、産業の近代化によって増加した工場労働者が、効率よくカロリーを摂取する必要があったと考えられている。甘いもの=贅沢嗜好品という思い込みが正されて、目からウロコだった。

 上述の三家は、いずれもクエーカー教徒で、同じ信仰をもつ仲間として協力し合い、ともに産業資本家として成長していった。ヨーク市を拠点に成長したロウントリー社は「キット・カット」のオリジナル・メーカーである。社長のベンジャミン・シーボーム・ロウントリーは、ヨークの貧困層の実態を調査し、著作を刊行するとともに、自社工場で試みた福祉プログラムは、イギリスの福祉政策の源流となった。以下、今ふうに言えば「社会起業家」としてのロウントリー社の試みが詳しく紹介されている。

 イギリスでは、アメリカ式の「科学的管理」をそのまま応用するのではなく、労働意欲や疲労など「人間的要因」を視野に入れた生産システムが追求された。もう少しあとの章段に出てくるのだが、イギリスでは、午後の長い労働時間に「ブレイク(休憩時間)」を設けて、紅茶と甘いもので栄養補給するのは、ワーキング・クラスが獲得した慣習的な権利の一つであるという。そうか。そう聞くと、昨今、批判の多い勤務時間中のおやつタイムも(業務に支障がない限り)あっていいよねえ、と思う。ほかにも、住居対策や年金制度の整備など、同社が労働者(被雇用者)を奴隷ではなく「人間」として扱い、労働を通して豊かな人生を実現させようとした理想が感じられる。また、増大する女性工場労働者のために設けられた教育プログラムは、日本の同時代の状況(よくは知らない)と類似するところもあるように思えて、興味深かった。

 以上のように、本書は、平板なチョコレートの博物誌にとどまらず、ヨーロッパ社会の諸相、特に19世紀イギリスの産業資本家と労働者の実態に迫る、スリリングな読みものになっている。その秘密は、「あとがき」によれば、著者がヨーク大学で出会った、ロウントリー家関係の膨大なアーカイブ・コレクションにあるらしい。

 最後に、今日、イギリスのスイーツ業界は、グローバル(アメリカの)産業資本による再編が進む一方で、フェア・トレードに関する意識も高まっていることを付け加えておこう。
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