○森岡孝二『就職とは何か:〈まともな働き方〉の条件』(岩波新書) 岩波書店 2011.11
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自分の半生を振り返って、個人的・世代的な運不運を評価できる年齢になってきたが、バブル真っ只中に就職(転職)できたことは、幸運だった。いまの学生が〈まともな〉しごとを得るために費やしている時間とエネルギー、特に精神的な重圧の大きさを見ていると、とても私には耐えらなかっただろうと思う。
本書は、経済学(労働時間論)を専門とし、私立大学の教員である著者が、学生の就職活動や雇用の実態を、調査研究と観察の両面から論じ、まともな賃金、まともな労働時間、まともな雇用、まともな社会保障を実現するための改善方策を示したものである。
まず、最近の就活スケジュールが具体的にどうなっているかを初めて知って、本当に「うつ」になりそうだった。本書には、さまさまな国際比較データが掲載されており、9割近くが「卒業前」に就職活動を開始する日本の慣行は、決してスタンダードではないことが分かる。ヨーロッパ諸国(11カ国)の平均は4割弱で、「卒業頃」+「卒業後」の合計のほうが多い(51頁)。それから、OECD加盟国の中で、2000年の年間賃金を100としたときの物価調整をしない名目賃金の推移が、長期的に低下しているのは日本だけというグラフにも暗澹たる気持ちになった(89頁)。男性正規の時給を100としたときの、女性正規、男性パート、女性パートの時給は、それぞれ、67.0、44.0、39.9で、フルタイム/パートタイムの時給格差が大きいのも日本の特徴だという(98頁)。
さらに、統計には表れにくい、さまざまな「からくり」。一見、好条件に見える初任給が、殺人的な時間外労働を前提とした金額であったり、大手企業が、労働組合や過半数代表者と結んでいる三六協定(142頁、2008年10月)のムゴさ。1日15時間延長可能って、つまり24時間働かせてもいいということか…。これでは労働法規なんて、あってないようなものではないか。
それでも職を得たいと思う若者は、企業文化への「適応」を余儀なくされる。本書に紹介されている『社会人基礎力養成講座』(同講座事務局編↓下段)という新書の中味を読んで、のけぞってしまった。残業で午後11時帰宅となったとしても、上司に「明日までに企画を10個出しなさい」と命じられたら、「なんとか頑張って、10個の企画を考えようと思う」は不正解で、「ここはやる気を見せるチャンス! 最低20個を目標にできるだけ多く考える」が正解。しかもこれが(冗談でなく)「主体性」の問題だという。えええ~、それは組織文化への「従属性」だろ、主体的な判断ができるなら、自分の健康をおもんばかって、さっさと寝ろよ、と私は思う。
「社会人基礎力」は経済産業省が言い出した言葉だが、文科省が推進する「キャリア教育」も『小学校キャリア教育の手引き』『中学校キャリア教育の手引き』によれば、「適応」がキーワードになっている。本田由紀氏は、学校教育が職業生活においてもつ意味を「適応」と「抵抗」に分けて論じているが(そうでしたね→
著書)、後者の側面は、すっぽり抜け落ちているようだ。
それなら、自分の身は自分で守るしかない。著者は、これから社会に出る学生に対し、労働知識の大切さを説き、加えて「大学までに身につけた常識を失わないでもらいたい」と説く。一昔前なら「常識」は、実社会の側にあったが、いまはそうと言えないらしい。
そして、社会全体が〈まともな働き方=ディーセント・ワーク decent work〉(いい訳だな)を実現するために、最も実効性のある解決策は、ワーク・シェアリングであると提言する。確かに、○○分野の新規雇用創出とか言っているよりは、まだしも実現可能性は高いと思うのだが、経済界が動かないのは何故なんだろう。結果を度外視して「頑張る」ことを美徳や誇りとする伝統的な倫理意識が、邪魔をしているんじゃないかと思ったりする。
※トンデモ本?