見もの・読みもの日記

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2014年1月@京の冬の旅+円山応挙展(承天閣美術館)

2014-01-18 19:40:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
 連休2日目は「第48回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」の寺院を中心に、のんびり京都市中を歩く。

 まず、地下鉄今出川駅から寺之内通を西へ、妙顕寺を目指す途中、何やら由緒書を掲げたお寺を見つける。近寄ってみると「光琳菩提所 興善院旧跡」とある。泉妙院というお寺だ。へえー。残念ながら観光寺院ではないので、お参りはできなかった。



■大本山 妙顕寺(上京区)

 その少し先に妙顕寺。敷地が広い。客殿に三つの庭園がある。孟宗竹林の坪庭には、大和文華館の展示室を思い出した。光琳曲水の庭は、白砂で曲水を描き、その周囲に、複雑な枝ぶりの松や梅が植わっている。花が咲いたら『紅梅白梅図屏風』を思い出さないでもないかも。



■報恩寺(上京区)



 妙顕寺の少し西。石碑や看板を見ると「鳴虎 報恩寺」とある。この名称は、かつて寺宝の鳴虎図を豊臣秀吉が聚楽第に持ち帰ったが、夜中に虎の鳴き声が聞こえて安眠できなかったため、寺へ戻されたという故事に由来する。鳴虎図は寅年の正月三が日に限って公開されてきたが、黒田長政の終焉の地であり、黒田官兵衛と息子・長政の位牌を祀ることから、今年の大河ドラマ関連で特別公開となったようだ。快慶ふうの阿弥陀三尊像など、仏像もなかなかよい。鳴虎図には「仁智殿 四明陶佾(しめいとういつ)」という署名があるので、中国の寧波(=四明)の画家が描いたものと考えられるが、どうなのかなあ。朝鮮画っぽい感じもする。

※参考:朝日新聞デジタル:毛並み本物並み 報恩寺「鳴虎図」長さ・方向、1本1本描き分け(2012/11/1)(板倉聖哲先生のコメントあり)

 今出川駅まで戻って、相国寺に寄ろうとぶらぶら歩きの途中、さっきの妙顕寺の並び「茶道具みやした 寺之内通店」のショーウィンドウ前で足が止まってしまう。女性の店員さんの「どうぞー」という優しい呼びかけに誘われて、つい中へ。仁清写しとか楽茶碗写しとか、名碗の「写し」が多いが、これなら鑑賞にも満足のいくレベル。欲しいわ~。

 相国寺は美術館だけ寄っていくつもりだったが、以前、悪左府こと左大臣藤原頼長の墓を探しにきて、見つけそこねたことを思い出し(※2年前の記事)もう一度、墓地に行ってみることにする。今回は碑文に「宇治左府首塚也」云々とあるのを確認。黙って手を合わせてきた。



承天閣美術館 開館三十周年記念『円山応挙展・後期 障壁画を中心に展示』(2013年12月21日~2014年3月23日)

 後期は相国寺開山堂襖絵など、本邦初公開作品を含む障壁画を中心に展示。という売りだが、私は第1展示室で、応挙が学んだ中国絵画の数々を見られたことが面白かった。「応挙」の号は「銭舜挙」に由来するんだったのね。辺文進の『百鳥図』は、若冲ふうの鳳凰(という説明が一番分かりやすいので)を囲む鳥たちの図。鳳凰の尾羽根の色が赤・白・緑のイタリアンカラー。劉俊筆『陳南浮浪図』は、大きく描かれた人物が悠揚迫らぬ感じでいいなあと思って見ていたが、背景の波頭の描き方が琳派の波涛図を思わせるところがある。

 第2展示室には「七難七福図」の画稿(墨画)が一部出ていた。応挙の写生帖(三井南家伝来)はいつ見ても面白い。ニワトリ、カエル、魚などの図。ニワトリは全体図がパネルになっていて、ありがたかった。

■阿弥陀寺(上京区)

 葵橋の北、賀茂川を背にして寺院の並ぶ寺町にある。この一帯には、一度迷い込んだことがあって「織田信長公本廟所」の石碑を見つけ、へえ~と思った記憶がある。本能寺の変の際、同寺の開山・清玉(せいぎょく)上人が駆け付け、信長の遺骸を運び出して埋葬・供養したという言い伝えがある。↓織田信長、信忠父子の墓石。



 信長の「墓所」と伝わる寺院・神社は各地に多数あるが、かつて明治天皇から「最も正統性があるのはどこか」(?)とのご下問があり、帝国大学の先生たちが調べた結果、この阿弥陀寺と定まったという、おじさんの解説が面白かった。

 最後に祇園に出て、京都ゑびす神社に寄っていく。「残り福」も最終日だったので人は少なく、ゆっくりお参りできた。

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