○山崎正和『対談 天皇日本史』(文春学藝ライブラリー) 文藝春秋 2015.2
底本は1974年刊。山崎正和氏がホストをつとめ、9人のゲストと、それぞれ異なる天皇について語った対談が9編。最後に小松左京氏と「天皇及び天皇制の謎」について概括的に語った対談を収める。
まず9人の天皇の選び方が面白くて、買ってしまった。天智天皇、宇多天皇、後白河法皇、後醍醐天皇、後小松天皇、正親町天皇、後水尾天皇、明治天皇、昭和天皇。そして、本書を買ったときにはあまり気にしなかったのだが、対談者のラインナップがすばらしく私好み。井上光貞氏、竹内理三氏、小西甚一氏、芳賀幸四郎氏、林家辰三郎氏、桑田忠親氏、奈良本辰也氏、司馬遼太郎氏、高坂正堯氏。著者は巻末の「文庫版あとがき」で、「10人のお相手は今はすべて故人となり、なかには現代の読者には耳遠い名前もあろうが、そのころはそれぞれ専門分野を代表する大家であり、言論界に君臨する巨匠ばかりであった」と振り返っている。
9人の帝は、それぞれ時代の画期を象徴している。天智天皇は、日本にはめずらしい意志的な人間で、次の天武天皇とともに古代天皇制を確立する。が、このような天皇制は二度と現れない。宇多天皇の時代に、天皇は権力から解放されて風流の世界に沈潜していき、日本的美意識の原型がかたちづくられる。院政期は、天皇が支配者意識にめざめた時代。白河院は直接的な支配を望んだが、後白河院は人の力を巧みに使い、バランスをとる政治を行った。ただ「陰険なマキャベリスト」(この見方は吉川英治が始めたとも)というより、自分が振り出した手形の決済に追われる中小企業の社長さんみたい、という小西甚一さんの比喩がとても面白かった。
後醍醐天皇はやったことがムチャクチャでどんな政治構想があったのか疑問、と辛辣なのは山崎正和氏。ううむ、安倍政権みたいなものかな。日本では、むかしあった型を理想化して、それを再現するというかたちで革新のスローガンを掲げる、というのも、まさに今の政治状況を語っているみたいに聞こえる。後小松天皇は「天皇のたたずまい」を決められたと評される。国家は政治と文化の二重の層でできており、政治を放棄して、文化の層で国家を統一しようとした。ここは、足利義満、義政の語られ方も面白いなあ。
このあとも「政治」ではなく「文化」、「権力」ではなく「権威」というのは、天皇制を考えるキーワードである。にもかかわらず、江戸時代の初期から「天皇の教養が痩せはじめた」ことと、天皇の政治的指向が目覚めてくるのは無関係でない、と山崎氏。もし浮世絵やら狂歌やら時代の文化がたっぷり朝廷に入っていたら、ヒステリックなイデオロギーの入り込む余地はなかっただろうという。同じ趣旨の発言は、最後の小松左京氏との対談にも出てくる。うん、教養は大事だ。パワー(権力)ではないかもしれないが、パワーの源泉とも言える。公家的教養とは、古典的アカデミズムと猥雑な好奇心の合体である。もし近世以後も天皇周辺の教養が痩せ細らなかったら、「天皇は依然として京都にいて、非常に猥雑な文化の中でハイカラな西洋の教養を身につけて、またそれを無意味なものにしてしまって楽しんでいたかもしれない」。この天皇像、ちょっと後白河院を思わせる。
底本は1974年刊。山崎正和氏がホストをつとめ、9人のゲストと、それぞれ異なる天皇について語った対談が9編。最後に小松左京氏と「天皇及び天皇制の謎」について概括的に語った対談を収める。
まず9人の天皇の選び方が面白くて、買ってしまった。天智天皇、宇多天皇、後白河法皇、後醍醐天皇、後小松天皇、正親町天皇、後水尾天皇、明治天皇、昭和天皇。そして、本書を買ったときにはあまり気にしなかったのだが、対談者のラインナップがすばらしく私好み。井上光貞氏、竹内理三氏、小西甚一氏、芳賀幸四郎氏、林家辰三郎氏、桑田忠親氏、奈良本辰也氏、司馬遼太郎氏、高坂正堯氏。著者は巻末の「文庫版あとがき」で、「10人のお相手は今はすべて故人となり、なかには現代の読者には耳遠い名前もあろうが、そのころはそれぞれ専門分野を代表する大家であり、言論界に君臨する巨匠ばかりであった」と振り返っている。
9人の帝は、それぞれ時代の画期を象徴している。天智天皇は、日本にはめずらしい意志的な人間で、次の天武天皇とともに古代天皇制を確立する。が、このような天皇制は二度と現れない。宇多天皇の時代に、天皇は権力から解放されて風流の世界に沈潜していき、日本的美意識の原型がかたちづくられる。院政期は、天皇が支配者意識にめざめた時代。白河院は直接的な支配を望んだが、後白河院は人の力を巧みに使い、バランスをとる政治を行った。ただ「陰険なマキャベリスト」(この見方は吉川英治が始めたとも)というより、自分が振り出した手形の決済に追われる中小企業の社長さんみたい、という小西甚一さんの比喩がとても面白かった。
後醍醐天皇はやったことがムチャクチャでどんな政治構想があったのか疑問、と辛辣なのは山崎正和氏。ううむ、安倍政権みたいなものかな。日本では、むかしあった型を理想化して、それを再現するというかたちで革新のスローガンを掲げる、というのも、まさに今の政治状況を語っているみたいに聞こえる。後小松天皇は「天皇のたたずまい」を決められたと評される。国家は政治と文化の二重の層でできており、政治を放棄して、文化の層で国家を統一しようとした。ここは、足利義満、義政の語られ方も面白いなあ。
このあとも「政治」ではなく「文化」、「権力」ではなく「権威」というのは、天皇制を考えるキーワードである。にもかかわらず、江戸時代の初期から「天皇の教養が痩せはじめた」ことと、天皇の政治的指向が目覚めてくるのは無関係でない、と山崎氏。もし浮世絵やら狂歌やら時代の文化がたっぷり朝廷に入っていたら、ヒステリックなイデオロギーの入り込む余地はなかっただろうという。同じ趣旨の発言は、最後の小松左京氏との対談にも出てくる。うん、教養は大事だ。パワー(権力)ではないかもしれないが、パワーの源泉とも言える。公家的教養とは、古典的アカデミズムと猥雑な好奇心の合体である。もし近世以後も天皇周辺の教養が痩せ細らなかったら、「天皇は依然として京都にいて、非常に猥雑な文化の中でハイカラな西洋の教養を身につけて、またそれを無意味なものにしてしまって楽しんでいたかもしれない」。この天皇像、ちょっと後白河院を思わせる。