7:30にタクシーを呼んでもらい、国際フェリーターミナルから、サハリン行きのフェリー「アインス宗谷」に乗船する。二等船室の客を見る限り、ロシア人のほうが圧倒的に多い。日本人は二割くらいか。9:00に船が出発し、船内の売店が開くと、ロシア人客が殺到し、お酒やお菓子を爆買いしていた。船内は免税なのである。自働販売機の缶ビール(サッポロ黒ラベル)もなんと100円で、水より安い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/c6/8dc468dbc842e7b5b97e20f10d883941.jpg)
コルサコフ到着はサハリン時間の15:30(1時間の時差あり)で5時間半の船旅である。乗船客には緑茶の缶としゃけ弁当が配られる。出発して1時間くらいすると「日露中間ラインを越えました」というアナウンスがあって、希望者には「国境通過証明書」を配布してくれる。これは帰りの船でも同じだったが、そのときの船長さんの名前が入っており、ハンコの形が行きは円、帰りは四角形で異なる。
はじめは物珍しさに興奮していたが、だんだん疲れてくると、みんな絨毯に寝転んで、ウトウトし始める。ほどよい波の揺れが快適。たぶん飛行機が同じくらい揺れたら落ち着かないのに…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/7d/7be61dbf427cbdc5b5534cf3f8ace6de.jpg)
時間どおり、コルサコフに到着。バスに乗せられて、長い桟橋を渡り、入国審査を受ける。外に出たところで、現地ガイドのオリガさんと合流する。彫りの深い顔立ち、明るい髪の色が、いかにもスラブ系らしい。一方、専用車の運転手のアントンさんは黒髪の東洋系(あとで朝鮮系と分かる)。車でユジノサハリンスクへ向かう。
コルサコフは、日本統治時代には大泊(おおどまり)と呼ばれていた。港を出発してすぐ、右手に旧・北海道拓殖銀行の建物が見えると教えられ、車を止めてもらった。今は使われていない。後日、ユジノサハリンスク(豊原)に残る拓殖銀行の建物も外観だけ見学した。ユジノサハリンスクの拓銀の装飾にはライオンが使われていて、オリガさんは「コルサコフは羊でしたね」と言っていたが、確認できず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/58/fa72d2562c4536fb618ac01ef3bfd823.jpg)
初日はユジノサハリンスクのガガーリンホテル泊。(8/16記)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/c6/8dc468dbc842e7b5b97e20f10d883941.jpg)
コルサコフ到着はサハリン時間の15:30(1時間の時差あり)で5時間半の船旅である。乗船客には緑茶の缶としゃけ弁当が配られる。出発して1時間くらいすると「日露中間ラインを越えました」というアナウンスがあって、希望者には「国境通過証明書」を配布してくれる。これは帰りの船でも同じだったが、そのときの船長さんの名前が入っており、ハンコの形が行きは円、帰りは四角形で異なる。
はじめは物珍しさに興奮していたが、だんだん疲れてくると、みんな絨毯に寝転んで、ウトウトし始める。ほどよい波の揺れが快適。たぶん飛行機が同じくらい揺れたら落ち着かないのに…。
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時間どおり、コルサコフに到着。バスに乗せられて、長い桟橋を渡り、入国審査を受ける。外に出たところで、現地ガイドのオリガさんと合流する。彫りの深い顔立ち、明るい髪の色が、いかにもスラブ系らしい。一方、専用車の運転手のアントンさんは黒髪の東洋系(あとで朝鮮系と分かる)。車でユジノサハリンスクへ向かう。
コルサコフは、日本統治時代には大泊(おおどまり)と呼ばれていた。港を出発してすぐ、右手に旧・北海道拓殖銀行の建物が見えると教えられ、車を止めてもらった。今は使われていない。後日、ユジノサハリンスク(豊原)に残る拓殖銀行の建物も外観だけ見学した。ユジノサハリンスクの拓銀の装飾にはライオンが使われていて、オリガさんは「コルサコフは羊でしたね」と言っていたが、確認できず。
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初日はユジノサハリンスクのガガーリンホテル泊。(8/16記)