1週間前の日曜、サハリン旅行から帰ってきたばかりだというのに、また日帰りで札幌に行ってきた。夜の飲み会に参加するのが目的だったが、日中はフリーだったので、久しぶりに小樽に行って、遊んできた。
レトロな雰囲気が人気の「アイスクリームパーラー美園」。観光地図をたよりに訪ねたが、店舗が二階にあるとは知らなくて探した。ガラスのうつわも盛り付け方も懐かしい。クリームぜんざいは、ソフトクリームの下にゆであずきやもちもちの求肥が隠れている。美味。向かいの純喫茶「光」も気になったが、ちょっと一人で入るのは躊躇する店構え。「注文の多い料理店」みたいなことになりそうで。
今回、小樽を訪ねた目的は、サハリンで旧・北海道拓殖銀行の建物を見たため、小樽に残る同支店の建物と比べてみたくなったためだ。現在はホテルとして使われている。ユジノサハリンスクやコルサコフで見た建物に比べると規模が大きい分、のっぺりした印象だった。「よりモダン」なデザインなのかもしれないが。
小樽市総合博物館・運河館も初めて訪ねてみた。「北のウォール街」と呼ばれた時代、大正中期までは札幌より人口が多かったことを知る。窓口で、旧・日本郵船小樽支店(重要文化財)見学との「セット券」があることを教えられたので、日本郵船の嘱託をしていた内田百間先生(北海道には来ていなかったはず)に敬意を表し、寄っていくことにする。観光客の集まる小樽運河とは逆方向に少し歩く。
あとで調べた情報によると、この建物は小樽市博物館として利用されていた時期もあったが、老朽化が目立ってきたため、博物館は撤退し、往時の姿に復元された。2階の貴賓室の壁は「金唐革紙(きんからかわし)」で飾られている。金唐革紙といえば東京・池之端の岩崎邸! 何様式というのか分からないが、内装の雰囲気がよく似ていた。まあ日本郵船は、もともと岩崎弥太郎が手がけた事業の一つで三菱系だからな。岩崎邸はジョサイア・コンドルの設計だが、日本郵船小樽支店は、工部大学校造家学科第一期生つまりコンドルの教え子である佐立七次郎(1856-1922)の設計である。
写真は貴賓室の隣りの会議室。日露戦争終結後、日露国境線画定(北緯50度線)の作業の進め方についての両国の会議が、この部屋で開催された(小樽会議)。へえ~知らなかった! 隣りの展示室で、またも日露国境標石の模型や拓本に遭遇してしまった。その後の話になるのだろうが、日本郵船の定期航路が、小樽からサハリン(大泊=コルサコフ)に通っていたことを示す資料もあった。
小樽文学館と市立美術館(同じ建物)にも寄った。小樽文学館は、企画展『楢喜八原画展』に来ることができず悔しかったが、開催中の『小樽・坂道物語展』もいい。札幌在住の画家・山口忠氏が描いた小樽の坂の水彩スケッチが大量に展示されている。大量だが、変化に富んでいて全く見飽きない。会場のパネルに、やまぐち氏の絵には「素人画家」ならではの品格と味わいがある、という文学館のコメントがあって共感した。それにしても、目を疑うようなすごい急坂の風景もあって、興味深かった。長崎、神戸、横浜。やっぱり港町は坂の町なんだな。
※やまぐち ただし氏のサイト「街並み水彩スケッチ」(作品多数)
レトロな雰囲気が人気の「アイスクリームパーラー美園」。観光地図をたよりに訪ねたが、店舗が二階にあるとは知らなくて探した。ガラスのうつわも盛り付け方も懐かしい。クリームぜんざいは、ソフトクリームの下にゆであずきやもちもちの求肥が隠れている。美味。向かいの純喫茶「光」も気になったが、ちょっと一人で入るのは躊躇する店構え。「注文の多い料理店」みたいなことになりそうで。
今回、小樽を訪ねた目的は、サハリンで旧・北海道拓殖銀行の建物を見たため、小樽に残る同支店の建物と比べてみたくなったためだ。現在はホテルとして使われている。ユジノサハリンスクやコルサコフで見た建物に比べると規模が大きい分、のっぺりした印象だった。「よりモダン」なデザインなのかもしれないが。
小樽市総合博物館・運河館も初めて訪ねてみた。「北のウォール街」と呼ばれた時代、大正中期までは札幌より人口が多かったことを知る。窓口で、旧・日本郵船小樽支店(重要文化財)見学との「セット券」があることを教えられたので、日本郵船の嘱託をしていた内田百間先生(北海道には来ていなかったはず)に敬意を表し、寄っていくことにする。観光客の集まる小樽運河とは逆方向に少し歩く。
あとで調べた情報によると、この建物は小樽市博物館として利用されていた時期もあったが、老朽化が目立ってきたため、博物館は撤退し、往時の姿に復元された。2階の貴賓室の壁は「金唐革紙(きんからかわし)」で飾られている。金唐革紙といえば東京・池之端の岩崎邸! 何様式というのか分からないが、内装の雰囲気がよく似ていた。まあ日本郵船は、もともと岩崎弥太郎が手がけた事業の一つで三菱系だからな。岩崎邸はジョサイア・コンドルの設計だが、日本郵船小樽支店は、工部大学校造家学科第一期生つまりコンドルの教え子である佐立七次郎(1856-1922)の設計である。
写真は貴賓室の隣りの会議室。日露戦争終結後、日露国境線画定(北緯50度線)の作業の進め方についての両国の会議が、この部屋で開催された(小樽会議)。へえ~知らなかった! 隣りの展示室で、またも日露国境標石の模型や拓本に遭遇してしまった。その後の話になるのだろうが、日本郵船の定期航路が、小樽からサハリン(大泊=コルサコフ)に通っていたことを示す資料もあった。
小樽文学館と市立美術館(同じ建物)にも寄った。小樽文学館は、企画展『楢喜八原画展』に来ることができず悔しかったが、開催中の『小樽・坂道物語展』もいい。札幌在住の画家・山口忠氏が描いた小樽の坂の水彩スケッチが大量に展示されている。大量だが、変化に富んでいて全く見飽きない。会場のパネルに、やまぐち氏の絵には「素人画家」ならではの品格と味わいがある、という文学館のコメントがあって共感した。それにしても、目を疑うようなすごい急坂の風景もあって、興味深かった。長崎、神戸、横浜。やっぱり港町は坂の町なんだな。
※やまぐち ただし氏のサイト「街並み水彩スケッチ」(作品多数)