見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

吉野の社寺と三佛寺/蔵王権現と修験の秘宝(三井記念美術館)

2015-08-30 21:52:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展『蔵王権現と修験の秘宝』(2015年8月29日~11月3日)

 修験道は、日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教、陰陽道などが習合した日本独自の宗教で、その主尊が蔵王権現。役小角が吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。本展は、金峯山寺をはじめとする奈良県・吉野の社寺と、「投入堂」で有名な鳥取県の三佛寺ゆかりの秘宝を中心に構成されている。

 展示室1には、比較的小さな(像高30~40cm)銅造の蔵王権現像が並んでいる。いずれも平安~鎌倉時代。大峯山寺(吉野郡天川村)のもののほか、大阪市美や奈良博から集められてきている。展示室の中ほどまで進んで、ふと振り返ったとき、同じポーズの後ろ姿が並んでいて、可愛かった。それから、金峯山寺や金峯山神社に伝わる、地中に埋められた経箱。きわめつけは藤原道長の経筒。

 別室に移ると、掛仏や銅鏡も多数展示されていて、なんだか「金属製品」の比率がすごく高い。神像や蔵王権現像を線刻した道鏡(鏡像)は興味深かったが、図様を認識するのはかなりしんどい。いろいろ視点を変えても、なかなか全体像が見えない。照明の工夫でなんとかならなかったのかなあ。図録を見ると、素朴なものから巧緻なものまで多様さに驚き、ひゃーとかほうーとか声が出てしまっている。

 吉野の仏像では、如意輪寺の蔵王権現像(重文・鎌倉時代)が逸品。衣や火焔光背の赤がよく残っている。力強いが、均整がとれ、破綻なくまとまっているので、荒々しさより華麗さを感じる。金峯山寺の聖徳太子立像は、胸板厚く眼光鋭く、みずら姿の童子像とは思えない、オヤジのような迫力がある。髪を失った二童子立像が附随していて、山背大兄王と殖栗皇子だという見解もあるそうだ。この二人も因縁をつけられたら怖そうな悪相である。好きなのは、桜本坊の地蔵菩薩坐像(平安時代)と役行者坐像(鎌倉時代)。現状では、白い木肌が美しい。

 意外な再会だったのは、小さなな銅造の釈迦如来。先月、奈良博『白鳳』展でお会いしたロングドレスのおばちゃんみたいな白鳳仏である。桜本坊は『大峯八大童子立像』(南北朝時代)もよかったなあ。高野山の運慶作の八大童子とはだいぶ趣きが違うが、こっちのほうが童子の名にふさわしいかもしれない。六頭身くらいの頭でっかちで、表情がやさしい。ちなみに名前は、検増童子、護世童子、虚空童子、剣光童子、悪除童子、香精童子、慈悲童子、除魔童子。役行者と八大童子を描いた絵画も出ていた。

 最後は三佛寺(三仏寺)から。風雪にさらされて、ぼろぼろになった狛犬がよかった。顔を半分失った一体は、現代彫刻みたいだった。平安時代の木造の蔵王権現像がたくさん来ていたが、どれもまだ動きがぎこちない(片足があまり上がっていない)。奥院(投入堂)の正本尊は平安時代の古作にしては抜群の造形力だが、今回展示は鳥取県立博物館所蔵の模作のみ。原品は、年輪年代測定法によって、光背部材の伐採時期が1165年と判明しているそうだ。永万元年、平清盛が蓮華王院を造営した功績により、重盛が正三位となった年である。

 会場のところどころに、吉野及び三佛寺の風景写真がパネルで掲げてあったのが懐かしかった。吉野へはしばらく行っていないなあ。金峯山寺、久しぶりに行ってみたくなった。蔵王権現は、やっぱりあの巨像が好きなのだ。三佛寺の投入堂にもまた行ってみたいが、今の体力ではあの山道を往復する自信がない。若いうちに行っておいてよかったのかも。
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桃山の王朝回帰/躍動と回帰-桃山の美術(出光美術館)

2015-08-30 00:56:01 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 日本の美・発見X『躍動と回帰-桃山の美術』(2015年8月8日~10月12日)

 16世紀末から17世紀初頭にかけて、戦国武将たちが天下の覇権をめぐってせめぎ合う、激動のただなかにあった時代「桃山」の美術について、出光コレクションの約90件の工芸作品と20件の絵画作品を通して考える企画。すごく面白かった。以前、名古屋市博物館で見た『変革のとき 桃山』展は、なんとなく消化不良だったのに、今回は、私が桃山美術に漠然と感じていた印象をきれいに整理してくれたような気がした。

 会場に入ってすぐ『宇治橋柴舟図屏風』。嬉しい! 本当はこれは江戸時代の作品で、しかも「桃山らしい」長谷川派の『柳橋水車図屏風』(これも江戸時代)に比べると「古様」な参考例として展示されていたのだが、大好きな屏風なので、とりあえず見ることができて嬉しかった。しかも久しぶりに左右一対で。春→夏→冬と変化する柳(いずれも二本)の描き分けとか、楽しいなあ。『柳橋水車図屏風』のほうが極端に非現実化した風景を堂々と大画面に描いていて、新奇であることは分かる。この(風景なのに)「平らかさ」が桃山美術の特徴なのだ。光琳まではあと一歩。

 一方、桃山のやきものは「歪み」「割れ」「染み」など、世界的な造形の標準からいえば「負の要素」に美を見出すところに特徴がある。ここでも冒頭には、わざと中国の青磁瓶が展示されている。そのストイックなバランス。並べられた『伊賀耳付角花生』が見事だ。角ばった縦長の花生で、上半分はおおまかに中国陶磁の形態を真似たように見せかけて、下半分は不定形に膨らみ、ぐいと押し付けた箆の痕が流れている。釉薬の偶然の流れを生命とする朝鮮唐津(唐津焼の一種)も面白い。

 また、桃山のやきものには、日本古来の身近な植物や動物を描いたものが多い。並んだ作品を見ると確かにそのとおりだ。平安時代の和様化した銅鏡の文様とよく似たところがある。鼠志野の草文や草花文、絵唐津の葦文や秋草文、いいなあ。鎌倉・室町のやきものが中国磁器に倣って牡丹や唐草の意匠を好んだことに比べると「王朝回帰」と言ってもよい。戦国武将の「桃山」と女房文学の最盛期「王朝」がつながるなんてびっくりだが、桃山文化には意外と可憐な一面がある。

 織部はあまり好きではないのだが、今回の展示は、素朴でかわいいもの、なつかしいものが多くてよかった。『志野山水文鉢』(二匹のサカナが水面に顔を出している)と『志野山水隅切鉢』も好き。茶陶の一種「不識型水指」は骨壺の形を模したもので、日本のやきものは、生死にかかわるうつわの記憶を宿しているというのは納得できる。しかし、敢えて(?)均整を欠いた無骨な造形の水指(伊賀、備前など)や素朴な竹の花生を見ていると、全く古代人の遺物のようで、高度な哲学(禅宗)や科学技術(鉄砲、望遠鏡)と共存した時代の作だとは考えにくい。桃山ってほんとに面白い時代だと思う。

 絵画(屏風)は前後期入れ替えあり。南蛮蒔絵も4点ほど。照明を暗くしているので、夜光貝がよく光って美しかった。
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