〇松嶋雅人『あやしい美人画』 東京美術 2017.6
千葉市美術館の『岡本神草の時代展』を見たあと、ミュージアムショップで、図録を買おうかどうしようか、しばらく悩んで、隣りにあった本書を買っていくことにした。ハンディなムックで、表題どおり「あやしい美人画」の詰め合わせである。
「はじめに」にいう。多くの美人画は、見る人をうっとりさせ、心地よい印象をもたらす。しかし美人画の中には、女性の姿形が醜く歪んで描かれ、恐ろしさを感じさせるものもある。醜い美人画って、語義矛盾だが、そうとしか言いようのない絵画が確かにある。醜く恐ろしいのに「同時にそれらは一度目にすれば、心を奪われ、魅了されてしまうあやしい力をやどした」作品が。
著者によれば、特に大正時代の日本画壇では「あやしい美人画」が華開いたという。理由はいろいろ考えられるが、『岡本神草の時代展』を思い出すと納得できる。文学史でも、自然主義と反自然主義の双方で、さまざまな「あやしい女性像」が書かれた時代と言えるのではないかな。
興味深いのは、本書がこの時代の美人画を「京都」「大阪」「東京」に分けて紹介していることだ。京都では、特にあやしさを前面に打ち出した作品があらわれた。しばしば舞妓や芸妓をモデルとし、異様で醜く、奇怪な女性像が描かれた。その一番手は甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)。表紙の中央を飾っているのは楠音の『幻覚』である。ぞっとする微笑みの『横櫛』も好き。岡本神草も、もちろん取り上げられている。稲垣仲静、祇園井特も。これら「デロリ」系に比べると、上村松園の『花がたみ』『焔』なんてきれいすぎる。
大都市・大阪には世紀末の退廃と虚無的な官能。北村恒富の『淀君』は美人画じゃないと思うが怖い。女性画家の島成園もいいなあ。そして「福富太郎コレクション」がいい作品を持っていることを知る。
東京の美人画は、京都や大阪ほど情念的にならず、象徴性あるいは抽象性を堅持したものが多い、と解説にいう。とはいえ、鏑木清方の『妖魚』などは、清潔な象徴性を食い破るような情念を感じる。岩の上の人魚は手の中に小魚をつかまえているのか。喰われるか捨てられるか、というキャプションが怖い。松岡映丘の『伊香保の沼』も好きな作品なので、ここに取り上げてもらえて嬉しい。あとは小村雪岱に橘小夢。最近、リバイバル中の画家だ。
また本書には、近世以前の「あやしい美人画」もいくつか紹介されている。岩佐又兵衛、曽我蕭白、長沢蘆雪、月岡芳年など。どれも私の好きな作品で嬉しい。葛飾応為の『夜桜美人図』もいいなあ。江戸時代の幽霊画も、とびきりお勧めの(とびきり怖い)作品が取り上げられた。噛みちぎった女の生首をぶらさげた『幽霊図』(福岡市博物館)と、腰から下を血に染めた『幽霊之図 うぶめ』。これらを美人図と呼んでいいのか判断が分かれると思うが、「一度目にすれば、心を奪われ、魅了されてしまう」女性像であることは確かである。最後に「現代のあやし」も3点。丸尾末広、さすがだ。
本書がとてもよかったので、著者の松嶋雅人さんには、紙の上だけでなく、ぜひこれらの作品を一堂に集める展覧会を実際に開催してほしいと思った。でも著者紹介を読んだら、東京国立博物館の平常展調整室長の方だった。東博でこの展示は無理だろうなあ。
千葉市美術館の『岡本神草の時代展』を見たあと、ミュージアムショップで、図録を買おうかどうしようか、しばらく悩んで、隣りにあった本書を買っていくことにした。ハンディなムックで、表題どおり「あやしい美人画」の詰め合わせである。
「はじめに」にいう。多くの美人画は、見る人をうっとりさせ、心地よい印象をもたらす。しかし美人画の中には、女性の姿形が醜く歪んで描かれ、恐ろしさを感じさせるものもある。醜い美人画って、語義矛盾だが、そうとしか言いようのない絵画が確かにある。醜く恐ろしいのに「同時にそれらは一度目にすれば、心を奪われ、魅了されてしまうあやしい力をやどした」作品が。
著者によれば、特に大正時代の日本画壇では「あやしい美人画」が華開いたという。理由はいろいろ考えられるが、『岡本神草の時代展』を思い出すと納得できる。文学史でも、自然主義と反自然主義の双方で、さまざまな「あやしい女性像」が書かれた時代と言えるのではないかな。
興味深いのは、本書がこの時代の美人画を「京都」「大阪」「東京」に分けて紹介していることだ。京都では、特にあやしさを前面に打ち出した作品があらわれた。しばしば舞妓や芸妓をモデルとし、異様で醜く、奇怪な女性像が描かれた。その一番手は甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)。表紙の中央を飾っているのは楠音の『幻覚』である。ぞっとする微笑みの『横櫛』も好き。岡本神草も、もちろん取り上げられている。稲垣仲静、祇園井特も。これら「デロリ」系に比べると、上村松園の『花がたみ』『焔』なんてきれいすぎる。
大都市・大阪には世紀末の退廃と虚無的な官能。北村恒富の『淀君』は美人画じゃないと思うが怖い。女性画家の島成園もいいなあ。そして「福富太郎コレクション」がいい作品を持っていることを知る。
東京の美人画は、京都や大阪ほど情念的にならず、象徴性あるいは抽象性を堅持したものが多い、と解説にいう。とはいえ、鏑木清方の『妖魚』などは、清潔な象徴性を食い破るような情念を感じる。岩の上の人魚は手の中に小魚をつかまえているのか。喰われるか捨てられるか、というキャプションが怖い。松岡映丘の『伊香保の沼』も好きな作品なので、ここに取り上げてもらえて嬉しい。あとは小村雪岱に橘小夢。最近、リバイバル中の画家だ。
また本書には、近世以前の「あやしい美人画」もいくつか紹介されている。岩佐又兵衛、曽我蕭白、長沢蘆雪、月岡芳年など。どれも私の好きな作品で嬉しい。葛飾応為の『夜桜美人図』もいいなあ。江戸時代の幽霊画も、とびきりお勧めの(とびきり怖い)作品が取り上げられた。噛みちぎった女の生首をぶらさげた『幽霊図』(福岡市博物館)と、腰から下を血に染めた『幽霊之図 うぶめ』。これらを美人図と呼んでいいのか判断が分かれると思うが、「一度目にすれば、心を奪われ、魅了されてしまう」女性像であることは確かである。最後に「現代のあやし」も3点。丸尾末広、さすがだ。
本書がとてもよかったので、著者の松嶋雅人さんには、紙の上だけでなく、ぜひこれらの作品を一堂に集める展覧会を実際に開催してほしいと思った。でも著者紹介を読んだら、東京国立博物館の平常展調整室長の方だった。東博でこの展示は無理だろうなあ。