見もの・読みもの日記

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百年の秘密と魅力/セーラー服と女学生(弥生美術館)

2018-06-04 23:09:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
弥生美術館 『セーラー服と女学生~イラストと服飾資料で解き明かす、その秘密~』(2018年3月29日~6月24日)

 セーラー服とは19世紀中頃のイギリス海軍の水兵服にはじまり、その後、子ども服、女性服としても流行したファッションの一つ。本来は着る人の年齢を問わないユニセックスなファッションであるセーラー服が、日本では女学生服として定着し、100年もの間、愛されてきた。本展はイラストレーションと服飾資料により、その秘密と魅力に迫る。

 セーラー服誕生以前の女子学生の服装は試行錯誤だった。明治初期の和装から、一時はバッスルスタイル(鹿鳴館スタイル)の洋装を取り入れたり、また和装に戻ったりと、その変遷は女子師範(お茶の水女子大)の生徒写真から覗うことができる。明治中期頃から着物の上につける筒状の女袴が流行した(このへんの歴史も面白いのだが、本展ではサラッと扱われている)。

 さて、日本で初めて女子生徒用の制服としてセーラー服が導入されたのは、1920年(大正9)、京都の平安女学院であるとされる。ただし、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型だった。翌年、現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を最初に採用したのは福岡女学院であるとされる。福岡女学院の校長をつとめていた女性宣教師のエリザベス・M・リー女史は、和服や袴がスポーツを楽しむのに不便であることから、欧米各国の服装を調査し、生徒たちに人気の高かったセーラー服を採用した。実は、リー先生はまだ日本語が不得手で、スポーツで生徒たちと触れ合いたかったとか、リー先生の娘たちの着ていたセーラー服を生徒たちが気に入ったとか、微笑ましいエピソードがたくさん。特に、調査に時間がかかりすぎて、制服が完成したときは夏になってしまっていたので、空色ギンガムの夏服もつくった、というのが可笑しかった。よいなあ~。

 会場には、福岡女学院の冬服・夏服と、平安女学院のセーラー服(復刻)の実物が展示されていた。福岡女学院は今でも同型の制服を維持しているが、平安女学院はもうセーラー服ではないそうだ。私はセーラー服を着たことがないが、実物を眺めると、セーラー服は直線断ち・直線縫いが基本で、着物の縫い方に似ているので、日本人にもすぐ作れた、という説が納得できた。1920~30年代のセーラー服は上衣が長く、ずん胴で、体の曲線が目立たない。これに小さめの帽子を深くかぶって髪を隠すと、完全なアールデコファッションである。かわいい。

 セーラー服をかわいく着るポイントは胸のスカーフで、各地の学校にユニークな巻き方があるのを初めて知った。鎌倉女学院の鎌女結びとか都立第五商業高等学校の五商結びとか。いや、毎日こんなめんどくさいことをしなければならない学校生活でなくてよかったとひそかに思った。

 イラストレーションは、高畠華宵、松本かつぢ、中原淳一らに始まり、藤田ミラノ(富島健夫の小説の装丁など)、武内直子(美少女戦士セーラームーン)、江津匡士(あやしい制服少女像を描く)、中村祐介(ポップなイラストレーター)など、バラエティに富み、楽しかった。江津匡士さんが、セーラー服は子どもが着るもの、日本女性は子どもっぽいから似合う、と語っていたのには納得した。中村祐介さんは、竹久夢二のような美人画・抒情画を引き継ぎたい、でも今の時代に着物の女性は特殊過ぎるから、誰でも思い入れを持てる制服の少女を描く、と語っていた。そして一世を風靡した『制服図鑑』の森伸之さんのイラスト多数。実は、自分の母校の制服を探したんだけど、やっぱりなかった。まあ仕方ないな(私の母校はセーラー服スタイルだが、1970年代に制服を廃止してしまったので「幻の制服」と言われている)。

 制服といえば忘れてならない、難波知子先生のコメントもパネルになって紹介されていた。最近の著書『近代日本学校制服図録』、買わねば。
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