〇千葉市美術館 『岡本神草の時代展』(2018年5月30日~7月8日)
岡本神草(おかもとしんそう、1894-1933)は神戸に生まれ、京都市立美術工芸学校・京都市立絵画専門学校で学んだ日本画家である。ほとんど何も知らない名前だった。ポスターの『口紅』に見覚えがある気がしたのは、この展覧会が、昨年、大阪と岡山に巡回している広告を見かけたたけだろう。寡作で、短い生涯に完成させた作品は確か数点(10点に満たない)と説明されていた。そのかわり、本展には素描・下図など資料類約100点、師の菊池契月や共に競い合った画家仲間の作品も展示されている。
冒頭には、京都市立絵画専門学校の卒業制作である『口紅』。第1回国画創作協会展に入選して、一躍新興美人画家として注目を集めた。竹久夢二ふうの華奢な舞妓が、燭台の前で、化粧の仕上げとして紅筆で口紅をつけている。豪華な着物とかんざしの人工美と無防備な表情、露わな白い二の腕の官能性。妖しげできれいな絵だと思うけれど、私はそんなに好きになれない。
その後も神草は舞妓や白川女など、和装の女性、女児を描き続ける。小動物や植物の絵もあるけれど、圧倒的に女性。何気ない日常の所作だったり、計算された美の瞬間だったり、豪華な着物をまとっていたり、湯浴みする裸婦だったり、いろいろ。しかし習作は多いが、完成作はなかなかない。完成作が見たかったなあと思ったのは、三味線をつまびく花魁を描いた『春雨のつまびき』。大画面を斜めに横切るような構図が圧巻で、色っぽいというより神々しい。手を合わせて拝みたくなる。『拳を打てる三人の舞妓』は、未完のまま神草の代表作となった作品だが、何点も草稿があり、作者が生真面目に苦しんでいることが分かるので、見ているほうも苦しくなる。初期の妖艶さは消え、三美神ではなく、アルカイックな仏像の三尊図を思わせる。
昭和に入ると、神草の女性像は柔らかさを取り戻し、静謐ですっきりした美しさへと変化していく。代表作は、二人の女性を描いた『婦女遊戯』だろう。一人は立って紙風船を高く跳ね上げ、一人は膝立ちで床で毬をついている。紙風船で遊ぶ女性の、顎を挙げて上向いた横顔も、毬で遊ぶ女性の、袖口ではなく脇(身八つ口)から大胆に腕を出した姿も、神草が好んで描いてきたものだ。しかし、初期の美人図とはまるで別人のようだった。所蔵者は「株式会社ロイヤルホテル」で、ふだん大阪のリーガロイヤルホテルの1階ラウンジに掛けられているそうだ。確かに『口紅』などと違って、万人に好まれそうな美人画である。
寡作で短い生涯だった岡本神草。妻の若松緑も画家で、やはり若くして亡くなった。しかし、本展に出品された多くの画稿は妻の実家である若松家に保管され、『婦女遊戯』がリーガロイヤルホテルに飾られることになったのも若松家の縁だと聞くと、よかったねとつぶやきたくなった。
なお本展には、岡本神草と同時代の画家の作品を(特に女性像を中心に)集めた一室があって面白かった。知っていたのは、師匠の菊池契月(1879-1955)くらいである。契月は歴史画のイメージが強かったのだが、同時代の若い女性を描いた『少女』がとてもよかった。『朱唇』は、衣装風俗から見て桃山時代か江戸初期の美人を描いているのだろうが、リラックスした自然なポーズ、聡明そうな表情、赤い唇からは、はきはきと現代言葉がこぼれてきそうな肖像画である。なんというか、岡本神草より感覚が新しい。
神草の画家仲間である甲斐庄楠音(かいのしょうただおと、1894-1978)の描く女性は怖い、気持ち悪い、怪しい。しかもWikiを読んだら、いろいろ興味深い人物である。丸岡比呂史、稲垣仲静も変だ。高橋由一の『花魁』を変な絵だと思っていたが、これらデロリ系の女性像に比べたら、全然ふつうに思えてきた。悪酔いしそうな展示室にあって、梶原緋佐子の作品が息抜きになった。手ぬぐいを肩にかけ、格子戸の前で、大きく口を開けて一心に唄う『唄へる女』。大陸の少女だろうか、楽器の弓を膝に置いて、まっすぐ前を見つめる『曲芸師の少女』。すごくよい! これらの作品の多くは京都近美に所蔵されている。関東で見る機会をつくってもらい、ありがたかった。
岡本神草(おかもとしんそう、1894-1933)は神戸に生まれ、京都市立美術工芸学校・京都市立絵画専門学校で学んだ日本画家である。ほとんど何も知らない名前だった。ポスターの『口紅』に見覚えがある気がしたのは、この展覧会が、昨年、大阪と岡山に巡回している広告を見かけたたけだろう。寡作で、短い生涯に完成させた作品は確か数点(10点に満たない)と説明されていた。そのかわり、本展には素描・下図など資料類約100点、師の菊池契月や共に競い合った画家仲間の作品も展示されている。
冒頭には、京都市立絵画専門学校の卒業制作である『口紅』。第1回国画創作協会展に入選して、一躍新興美人画家として注目を集めた。竹久夢二ふうの華奢な舞妓が、燭台の前で、化粧の仕上げとして紅筆で口紅をつけている。豪華な着物とかんざしの人工美と無防備な表情、露わな白い二の腕の官能性。妖しげできれいな絵だと思うけれど、私はそんなに好きになれない。
その後も神草は舞妓や白川女など、和装の女性、女児を描き続ける。小動物や植物の絵もあるけれど、圧倒的に女性。何気ない日常の所作だったり、計算された美の瞬間だったり、豪華な着物をまとっていたり、湯浴みする裸婦だったり、いろいろ。しかし習作は多いが、完成作はなかなかない。完成作が見たかったなあと思ったのは、三味線をつまびく花魁を描いた『春雨のつまびき』。大画面を斜めに横切るような構図が圧巻で、色っぽいというより神々しい。手を合わせて拝みたくなる。『拳を打てる三人の舞妓』は、未完のまま神草の代表作となった作品だが、何点も草稿があり、作者が生真面目に苦しんでいることが分かるので、見ているほうも苦しくなる。初期の妖艶さは消え、三美神ではなく、アルカイックな仏像の三尊図を思わせる。
昭和に入ると、神草の女性像は柔らかさを取り戻し、静謐ですっきりした美しさへと変化していく。代表作は、二人の女性を描いた『婦女遊戯』だろう。一人は立って紙風船を高く跳ね上げ、一人は膝立ちで床で毬をついている。紙風船で遊ぶ女性の、顎を挙げて上向いた横顔も、毬で遊ぶ女性の、袖口ではなく脇(身八つ口)から大胆に腕を出した姿も、神草が好んで描いてきたものだ。しかし、初期の美人図とはまるで別人のようだった。所蔵者は「株式会社ロイヤルホテル」で、ふだん大阪のリーガロイヤルホテルの1階ラウンジに掛けられているそうだ。確かに『口紅』などと違って、万人に好まれそうな美人画である。
寡作で短い生涯だった岡本神草。妻の若松緑も画家で、やはり若くして亡くなった。しかし、本展に出品された多くの画稿は妻の実家である若松家に保管され、『婦女遊戯』がリーガロイヤルホテルに飾られることになったのも若松家の縁だと聞くと、よかったねとつぶやきたくなった。
なお本展には、岡本神草と同時代の画家の作品を(特に女性像を中心に)集めた一室があって面白かった。知っていたのは、師匠の菊池契月(1879-1955)くらいである。契月は歴史画のイメージが強かったのだが、同時代の若い女性を描いた『少女』がとてもよかった。『朱唇』は、衣装風俗から見て桃山時代か江戸初期の美人を描いているのだろうが、リラックスした自然なポーズ、聡明そうな表情、赤い唇からは、はきはきと現代言葉がこぼれてきそうな肖像画である。なんというか、岡本神草より感覚が新しい。
神草の画家仲間である甲斐庄楠音(かいのしょうただおと、1894-1978)の描く女性は怖い、気持ち悪い、怪しい。しかもWikiを読んだら、いろいろ興味深い人物である。丸岡比呂史、稲垣仲静も変だ。高橋由一の『花魁』を変な絵だと思っていたが、これらデロリ系の女性像に比べたら、全然ふつうに思えてきた。悪酔いしそうな展示室にあって、梶原緋佐子の作品が息抜きになった。手ぬぐいを肩にかけ、格子戸の前で、大きく口を開けて一心に唄う『唄へる女』。大陸の少女だろうか、楽器の弓を膝に置いて、まっすぐ前を見つめる『曲芸師の少女』。すごくよい! これらの作品の多くは京都近美に所蔵されている。関東で見る機会をつくってもらい、ありがたかった。