〇東京芸術劇場 湖北省京劇院日本公演『京劇・項羽と劉邦~覇王別姫』全二幕(2018年6月9日)
この時期に本場の京劇の招待公演を見に行くことも、すっかり定例化した。主催の日本経済新聞社さん、毎年ありがとうございます。今年の演目は『覇王別姫』と聞いて、やった!とガッツポーズをしてしまった。そもそも私が「京劇」に関心を持ったきっかけは、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛 覇王別姫』なのである。1993年の作品で、映画はその数年後に見たにもかかわらず、京劇『覇王別姫』を見る機会は、20年以上なかったのだ。積年の夢がやっと叶う。
公演は本日が初日。開演前にプログラムを買って眺めていたら、今回の演目、中国語では『楚漢春秋』という題名だと分かった。伝統作品『萧何月下追韓信(蕭何、月下に韓信を追う)』と『覇王別姫』の二作品をベースにした湖北省京劇院のオリジナルだという。中国の大劇場の京劇は、現代の観客の嗜好に合わせた改作・演出を、わりと積極的に取り入れているように思う。
第一幕は、劉邦の漢軍が舞台。鴻門の会で、あやうく項羽の怒りをなだめた劉邦は、褒中に左遷される。兵士に命じて桟道を焼き、二度と都(咸陽)には上らない意思を示して落ちていくのが序幕。さて、優れた将軍の材を求める劉邦のもとへ韓信が訪ねてくる。韓信は張良の推薦状を携えていたが、敢えてそれを懐から出さない。丞相・蕭何は韓信の人物を見抜き、意気投合したが、他の幕僚たちは韓信を侮り、劉邦も深く考えようとしなかった。怒った韓信は、書置きと推薦状を残して出ていってしまう。慌てた蕭何は、月下に韓信を追い、なんとか連れ戻す。劉邦もようやく考えをあらため、韓信を大将軍に任じて、項羽を倒すための戦いに出発する。
韓信役の董宏利さんは、きびきびした立ち回りが美しい武生。黄檗宗の寺院にある韋駄天像を思わせる。蕭何役の尹章旭さんは感情表現が細やかで面白かった。顔の表情だけでなく、袖を垂らしたりたくしあげたり、髭を撫でたり、手先を震わせたり、全身で演技をする。特に手先・指先の表現は見ごたえがあった。蕭何ってこんなに好人物だったのか。月下に韓信を追って(たぶん山の中)馬から転げ落ち、冠が脱げても必死で韓信を引き止めようとするのだ。
第一幕では、物語の中心人物である韓信、蕭何は隈取なし。劉邦もなし。しかし、劉邦麾下の将軍が揃うと、樊噲とあと一人誰だったか?素顔の想像もつかない、仮面のような隈取をした将軍役が、同じ舞台に立っているのが、面白い演劇だなあと思う。
第二幕。楚の将軍・虞子期(彼も隈取なし)が登場し、漢軍を迎え撃つ。四本の三角旗を背負った将軍たちが激しい立ち回りを見せる。バレエのスピンみたいに、高速でくるっとまわって正面に戻る動きが美しい。少し体を斜めに傾けて回る瞬間、背中の旗と鎧を表す長い裾が、ふわっと広がる。漢軍の兵士たちは虎の顔のついた丸い盾を持ち、刀でそれを叩いて気勢をあげるのが面白かった。楚軍は大きな旗を振り回す。身体能力の高さはさすが。とりわけ項羽の馬丁役の二人組は、動きで目立つ役だった。観客から「好!」の声がかからないのが残念だったなあ。やっぱり日本人だと拍手になってしまう。
ついに項羽が登場。長い漆黒の髭、黒と白の隈取。京劇の中でもきわめつけの異相で、雅楽の「阿摩」に少し似ている。長い矛(?)を振り回して、かなり激しい立ち回りも見せたが、私が感激したのは黒い房つきの鞭(大きな黄色いリボンを結んでいる)の操り方。荒い息づかいのように上下する鞭を見ながら、ああ、愛馬・騅(すい)の姿が見える!と思った。なお、この戦闘場面に、女兵士を引き連れた虞姫が登場するのにはちょっと驚いた。
私がはじめて「虞美人」の物語を知ったのは、小学生の頃に読んでいた少女マンガ雑誌で、運命に逆らえない無力な女性の悲劇をイメージしていた。ところが、今回の舞台の虞姫は、意外と活動的、主体的な女性だった。楚軍の幕屋に戻ると、弱気になる項羽を「勝敗は世の常」と励まし、項羽を休ませて、自ら陣営を見回りに行く。その結果、四面楚歌に満ち、劉邦がすでに楚の地を奪ったこと、援軍が来る望みがないことを知る。虞姫は項羽を起こし、絶望を分かち合う。このとき、けっこう項羽が取り乱すのに対して、虞姫のほうが最後まで超然としている。ここで項羽の「力は山を抜き」の歌が入るのだが、なんだか憔悴していて、思ったほどカッコよくない。
続いて虞姫が「私の歌と舞で憂いを晴らしてください」と静かに言って、双剣の舞を舞う。文字どおり固唾をのむ会場。自刎。ああ、映画『さらば、わが愛 覇王別姫』もこの舞台上の自刎で終わるのだが、私は最初見たとき、芝居なのか現実なのか混乱して、びっくりしたことを思い出す。そして、愛妃の自刎に取り乱す項羽、全然カッコよくない。それにしても項羽はこれだけ歌い、語り、叫ぶのに、髭のせいで「口元」の動きが全く見えないのだな。
最後は烏江のほとり。楚軍はさんざんに討たれ、項羽は冠もなく、鎧も半ば奪われて(剣だけは下げている)よろよろと登場する。先日見た『鉄籠山』の姜維と同じ状態である。兵士を失い、愛妃も失った項羽は、覚悟を決めて剣を抜き、静止。そのまま幕。歌唱の聴きどころがたくさんあって楽しい演目だった。
この時期に本場の京劇の招待公演を見に行くことも、すっかり定例化した。主催の日本経済新聞社さん、毎年ありがとうございます。今年の演目は『覇王別姫』と聞いて、やった!とガッツポーズをしてしまった。そもそも私が「京劇」に関心を持ったきっかけは、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『さらば、わが愛 覇王別姫』なのである。1993年の作品で、映画はその数年後に見たにもかかわらず、京劇『覇王別姫』を見る機会は、20年以上なかったのだ。積年の夢がやっと叶う。
公演は本日が初日。開演前にプログラムを買って眺めていたら、今回の演目、中国語では『楚漢春秋』という題名だと分かった。伝統作品『萧何月下追韓信(蕭何、月下に韓信を追う)』と『覇王別姫』の二作品をベースにした湖北省京劇院のオリジナルだという。中国の大劇場の京劇は、現代の観客の嗜好に合わせた改作・演出を、わりと積極的に取り入れているように思う。
第一幕は、劉邦の漢軍が舞台。鴻門の会で、あやうく項羽の怒りをなだめた劉邦は、褒中に左遷される。兵士に命じて桟道を焼き、二度と都(咸陽)には上らない意思を示して落ちていくのが序幕。さて、優れた将軍の材を求める劉邦のもとへ韓信が訪ねてくる。韓信は張良の推薦状を携えていたが、敢えてそれを懐から出さない。丞相・蕭何は韓信の人物を見抜き、意気投合したが、他の幕僚たちは韓信を侮り、劉邦も深く考えようとしなかった。怒った韓信は、書置きと推薦状を残して出ていってしまう。慌てた蕭何は、月下に韓信を追い、なんとか連れ戻す。劉邦もようやく考えをあらため、韓信を大将軍に任じて、項羽を倒すための戦いに出発する。
韓信役の董宏利さんは、きびきびした立ち回りが美しい武生。黄檗宗の寺院にある韋駄天像を思わせる。蕭何役の尹章旭さんは感情表現が細やかで面白かった。顔の表情だけでなく、袖を垂らしたりたくしあげたり、髭を撫でたり、手先を震わせたり、全身で演技をする。特に手先・指先の表現は見ごたえがあった。蕭何ってこんなに好人物だったのか。月下に韓信を追って(たぶん山の中)馬から転げ落ち、冠が脱げても必死で韓信を引き止めようとするのだ。
第一幕では、物語の中心人物である韓信、蕭何は隈取なし。劉邦もなし。しかし、劉邦麾下の将軍が揃うと、樊噲とあと一人誰だったか?素顔の想像もつかない、仮面のような隈取をした将軍役が、同じ舞台に立っているのが、面白い演劇だなあと思う。
第二幕。楚の将軍・虞子期(彼も隈取なし)が登場し、漢軍を迎え撃つ。四本の三角旗を背負った将軍たちが激しい立ち回りを見せる。バレエのスピンみたいに、高速でくるっとまわって正面に戻る動きが美しい。少し体を斜めに傾けて回る瞬間、背中の旗と鎧を表す長い裾が、ふわっと広がる。漢軍の兵士たちは虎の顔のついた丸い盾を持ち、刀でそれを叩いて気勢をあげるのが面白かった。楚軍は大きな旗を振り回す。身体能力の高さはさすが。とりわけ項羽の馬丁役の二人組は、動きで目立つ役だった。観客から「好!」の声がかからないのが残念だったなあ。やっぱり日本人だと拍手になってしまう。
ついに項羽が登場。長い漆黒の髭、黒と白の隈取。京劇の中でもきわめつけの異相で、雅楽の「阿摩」に少し似ている。長い矛(?)を振り回して、かなり激しい立ち回りも見せたが、私が感激したのは黒い房つきの鞭(大きな黄色いリボンを結んでいる)の操り方。荒い息づかいのように上下する鞭を見ながら、ああ、愛馬・騅(すい)の姿が見える!と思った。なお、この戦闘場面に、女兵士を引き連れた虞姫が登場するのにはちょっと驚いた。
私がはじめて「虞美人」の物語を知ったのは、小学生の頃に読んでいた少女マンガ雑誌で、運命に逆らえない無力な女性の悲劇をイメージしていた。ところが、今回の舞台の虞姫は、意外と活動的、主体的な女性だった。楚軍の幕屋に戻ると、弱気になる項羽を「勝敗は世の常」と励まし、項羽を休ませて、自ら陣営を見回りに行く。その結果、四面楚歌に満ち、劉邦がすでに楚の地を奪ったこと、援軍が来る望みがないことを知る。虞姫は項羽を起こし、絶望を分かち合う。このとき、けっこう項羽が取り乱すのに対して、虞姫のほうが最後まで超然としている。ここで項羽の「力は山を抜き」の歌が入るのだが、なんだか憔悴していて、思ったほどカッコよくない。
続いて虞姫が「私の歌と舞で憂いを晴らしてください」と静かに言って、双剣の舞を舞う。文字どおり固唾をのむ会場。自刎。ああ、映画『さらば、わが愛 覇王別姫』もこの舞台上の自刎で終わるのだが、私は最初見たとき、芝居なのか現実なのか混乱して、びっくりしたことを思い出す。そして、愛妃の自刎に取り乱す項羽、全然カッコよくない。それにしても項羽はこれだけ歌い、語り、叫ぶのに、髭のせいで「口元」の動きが全く見えないのだな。
最後は烏江のほとり。楚軍はさんざんに討たれ、項羽は冠もなく、鎧も半ば奪われて(剣だけは下げている)よろよろと登場する。先日見た『鉄籠山』の姜維と同じ状態である。兵士を失い、愛妃も失った項羽は、覚悟を決めて剣を抜き、静止。そのまま幕。歌唱の聴きどころがたくさんあって楽しい演目だった。