見もの・読みもの日記

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飲むもの、注ぐもの/酒器の美に酔う(静嘉堂文庫)

2018-06-11 23:21:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
静嘉堂文庫美術館 『酒器の美に酔う』(2018年4月24日~6月17日)

 酒を盛る・注ぐ・酌み交わすうつわ、そして酒を呑む人びとをテーマに、およそ3000年前の中国古代から幕末・明治時代まで、中国・朝鮮・日本の豊かな酒器の世界と酒をめぐる美術を紹介する。やきもの中心の展覧会だな、と思って見に行ったのだが、冒頭の『江戸名所図屏風』(左隻・隅田川図)の前でしばらく釘付けになってしまった。

 菱川師宣ふうの、ややずんぐりした男女が、色とりどり、さまざまな文様の着物をまとい、賑やかに行き交う、繁華な都市の図。18世紀前期の作品だという。第6扇(左端)には人形浄瑠璃の舞台があって「三世道成寺」(元禄14/1701年初演)が掛かっている。人形遣いは全く姿を見せていない。歌舞伎の小屋の入口には「とくわかに御万歳」という文字が読めて、芝居の演題?と思ったら、これは「いつまでも若々しく」という寿ぎ言葉だそうだ。歌舞伎の客席ではプログラム(台本?)を売り歩いている。人形浄瑠璃の客席には、煙管売りの姿も。

 芝居小屋の外は、軒を連ねるさまざまな店舗。櫛や、扇や、数珠や(珠に穴を開けて糸を通す)、麺や(うどんか素麺を干している)、汁粉や(餅をついている)など。路上に座り込んで博打(?)に興ずる者、船の上から乗り出して花火を楽しむ者も。火の粉が噴き出すタイプや、ねずみ花火のような渦巻きを糸から垂らすタイプがある。ばかに長い刀を差した洒落者の若者、大きな犬を横抱きにした子供、ぼっちの舟遊びを楽しむ編笠の人物など、眺めていて興味がつきない。こんなに何度も静嘉堂文庫に来ているのに、初見の作品ではないかと思う。

 展示室に入り、本題の酒器を見る。解説によれば、中国では中唐の頃まで樽状の大きな容器(青銅器・陶磁器)に酒を蓄え、柄杓ですくって杯に注いで飲んでいたという。最近の中国の古装ドラマでも、そんな場面をよく見る。『青銅盉』(南北朝~唐時代)は急須形の青銅器で、酒を温めて注ぐもの。取手が中空の筒状になっており、木製の柄を差し込んで使用したとみられる。面白い。梅瓶も酒を入れて注ぐ容器で、日本の瓶子は梅瓶を模倣して生まれたものだという。しかし、注ぎにくそうな感じがする。

 注ぐうつわといえば、細長い口のついた優美な水注。鍋島藩窯の『色絵牡丹文水注』は、白い肌と色絵と金の上品なバランスが絶妙。徳川吉宗が佐賀藩へ私的に注文したものだという。有田焼の『色絵桐鳳凰文徳利』は、花火のように尾羽を広げた鳳凰、同じく枝を広げた桐の浮遊感。この2点を見ただけも、この展覧会に来た甲斐があった。あとは片口。この形の容器は、日本では縄文時代からあるが、中国では元代から流行した。片口あるいは徳利と呼ばれるやきものは、唐津、丹波、備前など、おおらかで肩の力の抜けた感じのものが多くて好ましかった。

 酒杯のいろいろとして、唐三彩の小さな杯がたくさん並んでいた。副葬品(明器)である。その中にデミタスカップのような取手つきの杯(把手杯)がいくつか混じっていた。把手杯はローマ文化の影響で隋唐時代に流行した。飲んだのは酒だけなのかな。お茶でもよさそうだ。現代人は冷たい酒を飲むことが多いが、古来、酒は温めて飲むのが基本で、容器が熱くなることは、酒器にも茶器にも共通していた。熱と杯の上げ下げで卓が傷つくことを避けるため、酒器には盃台、茶器には天目台が用いられた。ということで、酒器に混じって曜変天目茶碗も特別展示中である。

 なお、展示作品と解説を収録した小冊子があったので購入したが、展覧会によって、リーフレットだったり冊子だったり、形態が一致しないのはすごく困る。保管の観点からいうと、シリーズ化してほしい。
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