〇呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書) KADOKAWA 2018.3
話題の本をようやく読んだ。一昨年、むちゃくちゃに売れた『応仁の乱』の著者による新刊である。あとがきによれば『応仁の乱』が売れたので、慌てて次の本を出したわけではなく、前著と同じ頃から構想を練っていたそうだ(構想三年)。『応仁の乱』は、乱の中心にいた武将や公家たちではなく、二人の興福寺僧の日記を参考に乱のなりゆきを追っていくというスタイルが、ちょっと小説的で面白かった。
それに比べると本書は、特に仕掛けのない、直球の日本中世史入門だと感じた。本書は日本中世史において「陰謀・謀略」を疑われる事件・人物を時代順に取り上げる。「保元の乱」「平治の乱」「平家一門と反平氏勢力の抗争(鹿ケ谷、以仁王)」「源義経(兄・頼朝との争い)」「源氏将軍家断絶」「北条得宗家(名越氏、三浦氏、安達氏)」「後醍醐天皇の倒幕計画」「観応の擾乱」「応仁の乱と日野富子」「富子悪女説」「本能寺の変」「秀次切腹」「七将襲撃」「関ヶ原の戦い」。12世紀から17世紀冒頭に及ぶ。私の日本史に関する関心は、かなり偏っているので、源平争乱から鎌倉時代のはじめまではスラスラ読めた。「本能寺の変」以降の知識も、近年の大河ドラマなどでだいぶ補強されたが、南北朝・室町時代は、知らないことが多かった。
本書は「直球の日本中世史入門」と述べたが、実はそうでもない事情がある。本書が扱うのは「陰謀・謀略」を疑われる事件・人物であるが、歴史作家や歴史マニアの「陰謀」好きに対して、日本史研究の専門家が陰謀に関心を向けることはほとんどない。まあそれはそうだろう。私も創作世界の陰謀論は大好きだが、〇〇の陰謀を主張する研究書(もどき)は時間の無駄だと思って初めから読まない。しかし、このように陰謀論を放置しておくと、悪貨が良貨を駆逐する事態があり得る。そこで著者は、敢えて陰謀論の数々を取り上げ、客観的・実証的に分析してみた。その意味では、歴史学者が書いた、たいへん珍しい本であるとも言える。
以上は「まえがき」に述べられていることだが、実際に本文を読んでみると、著者の分析・検証の対象になっているのは、著名な歴史学者の先行研究もあれば、自称「歴史研究家」の妄想もある。歴史研究に親しんでいない読者だと、その区別がつかないのではないかと思われ、やや心配である。
陰謀論にはいくつかのパターンがある。たとえば、平治の乱の平清盛の対応が水際立っていたことから「事前にクーデターを察知していた」「むしろクーデターを誘発した」と考えるのは「最終的な勝者が全てを予測して状況をコントロールしていたと考える」陰謀論の特徴で、頼朝が敢えて義経を後白河の支援で反乱を起こすように仕向けたとか、秀吉が光秀をそそのかして本能寺の変を起こしたというのも同型である。あと「加害者(攻撃側)と被害者(防御側)の立場が実際には逆である」というのも、初めて聞くと鮮やかな逆転の妙に目を眩まされるが、実は陳腐なパターン認識にすぎない。
日本中世史における陰謀論のパターンを抽出し、整理しておくことは、他の局面にも応用できる。本書の終章は、太平洋戦争はコミンテルンの陰謀であるとか、日中戦争は日本と蒋介石を戦わせるために中国共産党が仕組んだ陰謀であるとか(すごい)、近代史における陰謀論を紹介し、それらも同じパターンの踏襲であることを示す。もちろん、現代社会に渦巻くさまざまな陰謀論を見破り、遠ざけるためにも役立つだろう。
著者は忠告する。陰謀論は教科書的な歴史像より単純明快で分かりやすいことが多い。歴史の勉強をせずとも簡単に理解できて、かつ周囲の人間に対して優越感を抱けるから、コストパフォーマンスがよい。そう、真実は分かりにくい。特に歴史の真実なんていうのは、一生かけても分からないことはたくさんある。そのコスパの悪さをがまんできる忍耐力が大事なんだと思う。
それにしても「本能寺の変」の黒幕説の変遷は面白かった。「朝廷黒幕説」「足利義昭黒幕説」「秀吉黒幕説」さらに「イエズス会黒幕説」なんてのもあることを初めて知った。昨今は明智憲三郎氏の「家康黒幕説」が話題らしい。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる」はどうするのか、気になる。ちなみに著者は光秀の突発的な単独犯行説である。
話題の本をようやく読んだ。一昨年、むちゃくちゃに売れた『応仁の乱』の著者による新刊である。あとがきによれば『応仁の乱』が売れたので、慌てて次の本を出したわけではなく、前著と同じ頃から構想を練っていたそうだ(構想三年)。『応仁の乱』は、乱の中心にいた武将や公家たちではなく、二人の興福寺僧の日記を参考に乱のなりゆきを追っていくというスタイルが、ちょっと小説的で面白かった。
それに比べると本書は、特に仕掛けのない、直球の日本中世史入門だと感じた。本書は日本中世史において「陰謀・謀略」を疑われる事件・人物を時代順に取り上げる。「保元の乱」「平治の乱」「平家一門と反平氏勢力の抗争(鹿ケ谷、以仁王)」「源義経(兄・頼朝との争い)」「源氏将軍家断絶」「北条得宗家(名越氏、三浦氏、安達氏)」「後醍醐天皇の倒幕計画」「観応の擾乱」「応仁の乱と日野富子」「富子悪女説」「本能寺の変」「秀次切腹」「七将襲撃」「関ヶ原の戦い」。12世紀から17世紀冒頭に及ぶ。私の日本史に関する関心は、かなり偏っているので、源平争乱から鎌倉時代のはじめまではスラスラ読めた。「本能寺の変」以降の知識も、近年の大河ドラマなどでだいぶ補強されたが、南北朝・室町時代は、知らないことが多かった。
本書は「直球の日本中世史入門」と述べたが、実はそうでもない事情がある。本書が扱うのは「陰謀・謀略」を疑われる事件・人物であるが、歴史作家や歴史マニアの「陰謀」好きに対して、日本史研究の専門家が陰謀に関心を向けることはほとんどない。まあそれはそうだろう。私も創作世界の陰謀論は大好きだが、〇〇の陰謀を主張する研究書(もどき)は時間の無駄だと思って初めから読まない。しかし、このように陰謀論を放置しておくと、悪貨が良貨を駆逐する事態があり得る。そこで著者は、敢えて陰謀論の数々を取り上げ、客観的・実証的に分析してみた。その意味では、歴史学者が書いた、たいへん珍しい本であるとも言える。
以上は「まえがき」に述べられていることだが、実際に本文を読んでみると、著者の分析・検証の対象になっているのは、著名な歴史学者の先行研究もあれば、自称「歴史研究家」の妄想もある。歴史研究に親しんでいない読者だと、その区別がつかないのではないかと思われ、やや心配である。
陰謀論にはいくつかのパターンがある。たとえば、平治の乱の平清盛の対応が水際立っていたことから「事前にクーデターを察知していた」「むしろクーデターを誘発した」と考えるのは「最終的な勝者が全てを予測して状況をコントロールしていたと考える」陰謀論の特徴で、頼朝が敢えて義経を後白河の支援で反乱を起こすように仕向けたとか、秀吉が光秀をそそのかして本能寺の変を起こしたというのも同型である。あと「加害者(攻撃側)と被害者(防御側)の立場が実際には逆である」というのも、初めて聞くと鮮やかな逆転の妙に目を眩まされるが、実は陳腐なパターン認識にすぎない。
日本中世史における陰謀論のパターンを抽出し、整理しておくことは、他の局面にも応用できる。本書の終章は、太平洋戦争はコミンテルンの陰謀であるとか、日中戦争は日本と蒋介石を戦わせるために中国共産党が仕組んだ陰謀であるとか(すごい)、近代史における陰謀論を紹介し、それらも同じパターンの踏襲であることを示す。もちろん、現代社会に渦巻くさまざまな陰謀論を見破り、遠ざけるためにも役立つだろう。
著者は忠告する。陰謀論は教科書的な歴史像より単純明快で分かりやすいことが多い。歴史の勉強をせずとも簡単に理解できて、かつ周囲の人間に対して優越感を抱けるから、コストパフォーマンスがよい。そう、真実は分かりにくい。特に歴史の真実なんていうのは、一生かけても分からないことはたくさんある。そのコスパの悪さをがまんできる忍耐力が大事なんだと思う。
それにしても「本能寺の変」の黒幕説の変遷は面白かった。「朝廷黒幕説」「足利義昭黒幕説」「秀吉黒幕説」さらに「イエズス会黒幕説」なんてのもあることを初めて知った。昨今は明智憲三郎氏の「家康黒幕説」が話題らしい。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる」はどうするのか、気になる。ちなみに著者は光秀の突発的な単独犯行説である。