〇『東京人』2019年11月号「特集・台湾 ディープ散歩」 都市出版 2019.11
先日、ジュンク堂某店の公式ツイッターが「女子旅ばかり意識して、つまらない台北特集ばかりだったが」という前置きで本誌を紹介したため、「女子旅を揶揄するのはどうか」「女性蔑視な雰囲気」などの非難を浴び、ツイートの削除謝罪に至った、その発端の1冊である。私自身はそのツイートを見て、おお!これは買い!と素直にガッツポーズをした。いわゆる「女子旅」的な、きれいな風景、かわいい雑貨、おいしいスイーツを紹介する台北ガイド本は枚挙に暇がないけれど、「Y字路、日式建築、暗渠、路上観察」等を堂々前面に押し出した(キーワードを表紙に並べた)ガイド本は稀少である。これに反応したジュンク堂某店さんの気持ちはよく分かるので、同情申し上げる。
ようやく本誌を手に入れて一読した。初めて知ったことが多数あり、面白いので、蛍光ペンでマークをつけながら読んだ。まず、来栖ひかり氏おすすめの「Y字路」のひとつはMRT古亭駅の近く。古亭という地名は、一説に「孤壇」に由来するという。清朝の頃、台湾各地で地方政府によって行き倒れや無縁仏を祀る祭壇がつくられた。古亭駅の近くの路地には、資産家の家に仕えていて非業の死を遂げた侍女を祀る「古亭地府陰公廟」という廟が今も残っているという。ああーこんな民俗資料が街角に残っているんだ。行ってみたい。
大稲埕(迪化街)は何度も行っている大好きな街。本誌に取り上げられている建築は全部見ているはずだが、次回は渡邉義孝氏の「日式建築めぐり」地図を携えていきたい。片倉佳史氏が紹介する中山北路は、高級ショッピングエリアのイメージしかなかったが、旧「勅使街道」と聞くと興味が湧く。高級ホテルの圓山飯店も台湾神社の跡地だと思うと一度は泊まってみたい。
台湾のライター水瓶子(すいへいし)さんによる記事は、台北の歴史を知るのにとても有意義だった。台北で最初に発展したのは龍山寺周辺の艋舺(萬華)地区(ここも私の好きな街)で、福建省泉州出身者が多かった。ところが、泉州出身者どうしの抗争が起こり、敗れた人々は大稲埕へ移住して商店を構えた。1860年に淡水港が開港すると、これが大稲埕の繁栄のきっかけとなる。1884年に清朝が台北城を築くにあたり、再び抗争が起こらぬよう、艋舺と大稲埕の間に城壁を築いた。なるほど~。しかし城壁は、日本統治時代の1900年半ばには取り壊され、地下水道や台北監獄、台北北警察署の壁などに転用されたそうだ。
かつての台湾では、もっぱら中国大陸の地理や歴史が教えられていて、台湾の歴史を学ぶ機会がなかったが、戒厳令が解除され、民進党が政権を取ってから、まち歩きやまちづくりへ人々の関心が向くようになった。別の記事によれば、日本発祥(?)の「路上観察学会」が台北にもあり、年に一度の「観察会」を実施しているという。台北住民による街歩きガイドツアー(まいまい京都みたいな)が人気という耳寄り情報も得た。いいなー故宮博物院と夜市だけでない台北が楽しめそう。
書籍の分野でも過去の時代を語ることが近年の流行りで、「新富市場の小売店とそれを営む人たち」や「台北屈指の本屋街としてにぎわった重慶南路の盛衰の物語」が出版されていることを、木下諄一氏が紹介している。最近、読みたいと思う中国語本の情報に多数接するのだが、日本語に翻訳される期待がほとんど持てないのが悲しい。
作家・張維中さんと写真家・川島小鳥さんのインタビューは、台湾にとっての1990年代の意味を考えさせられる。「これから新しい時代がはじまる」という希望の時代で「経済的にも文化的にも一番よかった」と70年代生まれの張さんが振り返る。まだ若いのに、そんなことを言ってしまうのか。でも今の台湾も(日本人から見て)いいと思うけどなあ。
最後に触れておきたい「直看板」。壁に直接、塗料で描かれた看板のことで、なぜか私も好きなのだ。沖縄でも見た記憶があり、南方地域に多い気がしている。しかし台北の直看板が「街角から消えゆく」状況なのは残念だ。