〇濱口桂一郎、海老原嗣生『働き方改革の世界史』(ちくま新書) 筑摩書房 2020.9
労働や雇用の問題には関心があるのだが、自分に基礎がないことを知っているので、読む本を選ぶときは慎重になる。濱口先生の著書は『働く女子の運命』1冊しか読んでいないが、軽いタイトルにもかかわらず内容は堅実で、とても勉強になったので、本書は迷わず買ってみた。
本書は、国によって異なる労働運動の仕組みが、どのような経緯で出来上がったかを、時代と国情などを整理して説明したものである。英米独仏そして日本の労働思想に関する古典的な名著12冊をセレクトし、濱口氏がその内容と歴史的な位置づけを、それぞれ15ページ程度で解説する。軽い冗談も交えた講義口調で、名著の要点が頭に入る。各章の口絵に、それぞれ「物体」としての本(日本語翻訳版)の写真が使われているのもちょっと好き。
紹介されている12冊は以下のとおり。シドニー&ベアトリクス・ウェッブ『産業民主制論』/サミュエル・ゴンパーズ『サミュエル・ゴンパーズ自伝』/セリグ・パールマン『労働運動の理論』/フリッツ・ナフタリ『経済民主主義』/ギード・フィッシャー『労使共同経営』/W.E. フォン・ケテラー『労働者問題とキリスト教』/G.D.H. コール『労働者』/アラン・フランダース『イギリスの団体交渉制』/バリー&アーヴィング・ブルーストーン『対決に未来はない』/サンフォード・ジャコービィ『会社荘園制』/エドモン・メール『自主管理への道』/藤林敬三『労使関係と労使協議制』。読んだことのある本は1冊もなかった。
ここから分かってくること。イギリスでは同じ職業(トレード)の労働者が団結し、労働力の集合取引(コレクティブ・バーゲニング)を行うために組合が形成された。20世紀のアメリカでは、科学的管理法と大量生産システムによってトレード(職種)が解体し、企業の管理単位であるジョブ(職務)が確立する。アメリカの労働者は会社側が作り出したジョブを労働者の権利として再編成した(決められたジョブ以外はやらされない)。しかし、その結果、労働者は「経営」に携わることができなくなる。
一方、戦後ドイツは、ワイマール時代に構想された経済民主主義を実行に移す。労働者が経営の意思決定に携わるという意味で、労使共同経営(パートナーシャフト/パートナーシップ)とも呼ばれ、日本的経営に近い面もある。1950年代のイギリスでは、国内の労働運動の混乱・破綻の中で、ドイツや日本の労使パートナーシップ関係に憧れの目が向けられて来た。アメリカも、行き過ぎたジョブ・コントロールへの反省から、労使協調組合の存在を認めるための労働法改正が、1990年代に民主党のクリントン政権の下で実現しかかったが、従来型の労使関係に固執する労働組合団体によって阻止され、その後、日本型経営は、急速に支持を失った。
本書で初めて知ったが、写真フォルムのコダック社は、アメリカ企業では例外的に「メンバーシップ型」の経営を実践した。終身雇用の見込みと揺りかごから墓場までの給付を提供し、職長が労働者を直接解雇することを禁じ、「個人的なふれあい」を大事にし、監督者は「俺のために」ではなく「俺と一緒に」仕事をするよう部下に指示することが求められた等、日本の老舗企業の話を聞いているようだった。しかし市場競争の激化によって、コダック社は90年代に多数のレイオフを出し、2012年には経営破綻してしまう。
著者のひとり、海老原氏は、巻末の対談で「コダックなどはもう少し日本型経営の仕組みを研究していれば」生き永らえたのではないか、という疑問を投げかけているが、濱口氏は「それは無理でしょう」と厳しい。なぜなら雇用システムとは一社だけでは成り立たないので、社会の多数派である必要がある。「社会主義は孤立して一国社会主義でも成り立つが、企業は一社だけ孤立して存在するのは難しい。雇用システムは企業内の人事システムであると同時に社会システムでもあるから」というのは、強く印象に残った言葉である。
現在の日本の雇用システムにはたくさん問題があると思うが、それはみんなで変えていかなければ持続化しないと思う。それから、世界には(一見)さまざまな成功モデルがあるが、いずれも固有の歴史と社会システムの中に根を張っているので、「いいところ」だけを日本に移植するのは困難だということがよく分かった。