〇国立劇場 令和2年9月文楽公演(2020年9月11日、13:45~)
・第2部『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)・浜の宮馬場の段/浅香市之進留守宅の段/数寄屋の段/伏見京橋妻敵討の段』
この前、文楽を見たのは今年の2月、新型コロナの感染拡大が問題になり始める直前だった。ようやくこぎつけた再開、9月6日に第3部のチケットを取っていたのに公演中止で行けなかったことは先日の記事のとおり。この日は、何十年ぶりかで平日に休暇をとって第1部と第2部を聴きに行く予定だった。ところが午前中よんどころない仕事が入ってしまい、泣く泣く第1部のチケットを無駄にした(リベンジ予定)。そして、ようやく客席に辿り着いたのが第2部。長かった。
入場時には検温。座席はソーシャルディスタンス確保のため、1つ置きに客を座らせる。満員でも通常の50パーセントしかお客が入らないが、いつもの公演に比べると、それ以上に空席が目立った。あと、久しぶりに平日に来て、やっぱり平日の客層は年齢が高いことを感じた。
『鑓の権三』は2回くらい見た記憶がある。このブログに記事がないのでずいぶん前のことだ。文化デジタルライブラリーの公演記録を検索して、1995年と1999年かなと思った。どちらもおさゐは文雀さんが遣っている。本作の主要登場人物は全て酉歳で、浅香市之進が49歳、その女房のおさゐが37歳、娘のお菊は13歳。お菊の婿に迎えるつもりが、おさゐと「不義」の汚名を着せられてしまう権三は25歳という設定である。文雀さんのおさゐは(見ていた私が若かったこともあり)落ち着いた人妻が、運命の罠にはまっていく感じだったが、今回、吉田和生さんのおさゐは、ところどころ動作が早くて、娘らしさが抜け切らない印象だった。まあ数えの37歳だもの、若くて全然おかしくない。
浜の宮馬場の段は、あまり記憶になかったのだが、遠景の馬場を駆ける馬を小さな紙人形で表す演出が面白かった。数寄屋の段で、障子に映るおさゐと権三の影が意味ありげに見えたり、生垣に四斗樽を突っ込んで抜け道をつくり、おさゐと権三がその中を通り抜けようとする「二つ頭に足四本」のシーン(実は同時に人形を突っ込むわけではないのだが、詞章が印象的なので「足四本」を見たつもりになっていた)とか、いろいろ工夫があって面白い。伏見京橋妻敵討の段も、お囃子の喧騒が高まり、踊り手たちが通り過ぎていく橋の下で二人が殺されるという演出がカッコよくて、初見のとき夢中になった覚えがある。
妻敵を討たなければいけなくなった市之進が、心中葛藤する場面があったように記憶しているのは、今回省略された岩木忠太兵衛屋敷の段かもしれない。おさゐと権三は不義密通を犯していないのに、帯を盗られて進退窮まってしまう。フェイクの誹謗中傷に絶望する現代人みたいである。おさゐは、心に秘めた権三への憧れがあったように描かれているが、権三には迷惑な話だろう。しかし権三に同情が湧かないのは、美男ではあるが、真実のないダメ男に描かれているためである。
数寄屋の段は咲太夫さんの出演予定だったが病気休演のため織太夫さんが代演。浅香市之進留守宅の段から連続でつとめた。疲れを微塵も感じさせない熱演だった。