〇吉見俊哉『東京裏返し:社会学的街歩きガイド』(集英社新書) 集英社 2020.8
このところ、大学論や学問論、平成日本社会論など、ハードな著作が続いていた著者なので、本書を見つけたときはタイトルを二度見した。しかし、都市論、盛り場論は、著者本来の研究フィールドであり、何も驚くことはない。
本書は、著者が提案する1週間(7日間)の東京都心街歩きガイドブックである。実際に著者と集英社新書編集部のみなさんが、2019年2月から10月の間に7回の街歩きを行っており、各章の扉には、東京の街角にたたずむ笑顔の著者の写真も使われている。
東京は三回「占領」された都市であると著者はいう。最初の占領は徳川家康、二度目は明治維新の薩長政権、三度目は1945年のアメリカ軍だ。薩長の占領と米軍の占領は連続的で、その延長に高度成長期、とりわけ1964年の東京オリンピックに向けた都市改造があり、それは、この都市が歴史的に育んできたアイデンティティの根幹を破壊するものだった。象徴的なのは「川筋の東京」の否定である。
けれども東京には、古層の時間を宿したスポットが飛び地のように散在している。本書が焦点を当てるのは、上野、秋葉原、本郷、神保町、兜町、湯島、谷中、浅草、王子などの「都心北部」である。このエリアは、明治・大正期まで東京の文化的中心だったが、戦後の高度成長期以降、「より速く、より高く、より強く」を目指す都市改造によって周縁化されてきた。しかし、だからこそ、21世紀に私たちが追求すべき「より愉しく、よりしなやかに、より末永く」という価値創造のヒントが、この地域には息づいているのだ。
気になったエピソードはいろいろあるが、ひとつは渋沢栄一という人物への注目。渋沢はパリで「資本主義とは紙幣である」との認識に達し、日本の経済を発展させるため、製紙会社、製紙工場を設立する。へえ~考えたこともなかった! 渋沢の従兄の成一郎は彰義隊の初代隊長で、渡欧中でなかったら栄一も彰義隊に参加していたかもしれない。渋沢は最期まで幕臣意識を持っていたと察せられ、谷中墓地の徳川慶喜の墓の傍らに眠っている。また、渋沢は霊岸島周辺に東京港を築いて、日本最大の貿易港とする構想を描いていたが、横浜の財界の猛反対にあって実現しなかったという。2021年の大河ドラマが楽しみになってきた。
第5日に神保町を起点とし、東京大学の本郷キャンパス内を散策・紹介しているのも面白かった。記憶にとどめておきたいと思ったのは、学内に記念碑がある相良知安(さがら ともやす)という人物。幕末維新期の蘭方医で、東大医学部の前身である医学校の初代校長をつとめたが、政府との対立で罷免され、愛人と東京の貧民窟を転々とする人生を送ったという。いまWikiを見たら、 相良知安先生記念碑は陸軍軍医の石黒忠悳が題額を書いているのか。面白い。
江戸時代、蔵前には幕府直轄領から集められた年貢米を貯蔵する「浅草御蔵」があった。明治になると、この御蔵を利用して、湯島聖堂に収蔵されてきた書籍を収蔵・公開する浅草文庫がつくられた。つまり「米」の収蔵庫が「知」の収蔵庫になった、という話も面白かった。ついでにいうと、浅草文庫のコレクションが上野の博物館に移されたあと、浅草文庫跡地に建てられたのが、東京工業大学の前身である東京職工学校であるというのも面白い。
各コースの最後には、大江戸線の外側にトラムで東京を一周する外江戸線をつくろうとか、上野駅正面玄関口のペデストリアンデッキを撤去して昭和の初めの風景を取り戻ろうとか、大胆で魅力的な「提案」がいくつも述べられている。いま、日本橋の首都高を地下化する工事が始まっているが(首都高速道路 日本橋区間地下化事業)、第2日には、もっと構想を徹底し、都心全体から高速道路を見えなくしてはどうか、と述べている。もっとも第7日には、水上タクシーで日本橋川をクルーズし、川面から見る頭上の高速道路の存在がSF的な「斬新な印象」を与えていることに気づく。矛盾しているようだが、「歩きながら考える」思考の変化が見てとれるのも本書の面白さである。日本橋川クルーズ、今年、コロナで乗れなかったので、来年の桜の季節にはリベンジできるといいなあ。