〇太田記念美術館 『赤-色が語る浮世絵の歴史』(2022年3月4日~3月27日)
「悪」「恋」「信心」など、さまざまな切り口で浮世絵の見方を教えてくれる同館の展覧会。今回は色彩の「赤」に注目し、鮮やかな赤色が印象的な浮世絵約60点を展示する。
浮世絵の進化過程は、2015年の同館の展覧会、錦絵誕生250年記念『線と色の超絶技巧』展で学んだのだが、あらためてまとめておこう。古い浮世絵は黒一色の「墨摺絵」だったが、まもなくこれに数色の手彩色を加えたものが現れた。鉱物質の顔料である丹色(オレンジ系)を主としたものを「丹絵(たんえ)」という。享保年間に入ると、丹に代わり、植物質の顔料である紅(ピンク系)を用いた「紅絵(べにえ)」が登場し、寛保年間には、墨摺絵に紅や緑などの色版を摺り重ねた「紅摺絵」が生まれる。石川豊信の『二代目瀬川吉次の石橋』は、墨摺に紅と緑を加えた紅摺絵だが、込み入った文様のせいで、もっと多くの色を用いているように錯覚させる。温かみのある華やかさ。
そして明和年間(18世紀半ば)には、多色摺技術の飛躍的な発展により、華麗な錦絵が誕生する。と言っても、初期の錦絵は紅を用いているので、目にやさしい落ち着いた色彩である。鳥居清長の『牛若丸と浄瑠璃姫』は、少ない色数を効果的に用いた知的な構成で好き。喜多川歌麿の『蚊帳の男女』は、ネットで調べると異版もあるようだが、全体に地味な色調の中で、蚊帳の裾と遊女の襦袢の赤が利いている。文化文政年間、勝川春扇の『二川 よしだへ一り』や歌川国貞『吉原時計 子の刻 ひけ九つ』は、描かれた女性の着物が、あまりに手の込んだ色と柄で驚きあきれる。しかし、その中でも印象に残るのは赤系統の色彩だ。一方で、天明寛政年間(18世紀後半)には、紅や紫(ツユクサを使用)が褪色しやすいことを嫌って、はじめから派手な色を使用しない「紅嫌い」というタイプの浮世絵も流行した。これはこれで、洗練されていて美しいと思う。
安政年間(19世紀半ば)に制作された歌川国貞(三代豊国)の『春の遊初音聞ノ図』では、3枚続きの広い空が真っ赤に塗られている。これは、明らかに紅とは違う化学染料の赤だろう。ネットで見つけたレビュー記事によれば、学芸員の日野原健司氏は「絵具の供給量が劇的に増える何かがあったのでしょうか。この頃から『赤』が目立つようになるのです」と語っている。面白いのは、真っ赤な空が梅林の背景に使われていることで、同様の例は広重にもある(蒲田の梅園、亀戸梅屋敷)。赤は空気中に立ち込める濃厚な梅の香の表現だったのかもしれない。
時代は明治へ。明治初年の錦絵は「赤絵(明治赤絵)」と呼ばれる赤の大洪水になる。この用語、昨年春に神奈川歴博の『錦絵にみる明治時代』を見に行って覚えたものだ。人の衣装や室内の什器だけでなく、建物のシルエットや遠景の空にも、好んで赤が用いられた。当時の人々にとって、赤は新時代の色だった、という解説をおもしろく読んだ。平成のバブル時代みたいなものかなあ。なお、この時期、安価で発色のよい絵の具が海外から入ってきたと考えられる。ネットで調べると、アニリン染料と書かれた記事が多いが、本展では、コチニールとする最近の研究が紹介されていた。コチニールについて調べてみたら、昆虫由来で、今でも菓子、ハム、かまぼこなどで使用されているようだ。明治10年代になると、赤の使用は少し落ち着き、合成染料のエオシンが使われるようになったという。
明治錦絵の「赤」については、「隈取」「ただよう雲」「流れる血」「燃えさかる炎」の各ジャンルで代表作を紹介。血みどろ絵といえば芳年だが、流血を表現するのに、紅に加えて、酸化鉄を含む紅殻(べんがら)を用いているという。小林清親の『両国大火浅草橋』は、赤だけでなく、茶色や黒・灰色を使って、大火事をリアルに描いており、恐ろしくも美しい。