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中国の多元性/物語 江南の歴史(岡本隆司)

2023-12-18 21:27:12 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司『物語 江南の歴史:もうひとつの中国史』(中公新書) 中央公論新社 2023.11

 「江南」は、一般的には長江下流部の南方を指す用語だが、本書ではもう少し広く、中国語の「南方」の意味で使っている。北方=中原がまさに「中国」であるのに対して、南方=長江流域と沿海部は、中国を成り立たせると同時に「一つの中国」を否定し、中国の多元性を体現してきた地域なのである。

 春秋時代、中原の諸侯が連合して「中国」を名乗ると同時に、長江流域には楚・呉・越の諸国が起こり、北方と不可分にかかわる「江南」の歩みが始まる。以下、本書は「江南」を「長江上流(四川・重慶)」「長江下流(江蘇・浙江・安徽・江西)」「沿岸・海域(福建・広東)」「長江中流(湖南・湖北)」に分けて紹介していく。これらの地域が歴史に立ち現れるのが、この順序なのである。

 はじめに巴蜀(四川盆地)は、三国志の物語で有名だが、険阻な地形に囲まれながら、肥沃な耕地に恵まれ、引きこもるにはうってつけの場所だった。ただし一時的には自立できても、結局は自立を保てないという歴史は、その後もずっと繰り返されている。

 次に長江下流域の呉・越・楚は、中原列国から「夷狄」扱いされながら、その争覇に深入りし、最後には苦杯を嘗めるのが常だった。三国の孫呉政権は、先住民の同化編入、東南アジアや朝鮮半島との海上交易、仏教の振興など、のちの江南政権の先駆となった。東晋・南朝の間に江南の開発は大きく進展する。天下を統一したのは北朝の隋だったが、隋の煬帝は、むしろ南朝の後継者として滅びた。続く唐は、北朝の伝統に忠実な武力本位の政権だったが、安史の乱を経て「財政国家」化すると、再び江南のプレゼンスが上昇する。南北は、経済文化と政治軍事を分業する関係に転換する。宋代には、土木技術の向上により、江南デルタの低湿地の開発が進むとともに、占城稲(チャンパーとう)が導入され、「蘇湖熟すれば天下足る」と言われるようになった。生産と人口の増加によって、商業が発展する。

 ところが、明代、15世紀に入ると、水利条件の変化(呉淞江の涸浅)によって江南デルタは水不足に陥る。農民は作付を転換し、副業であった製糸・紡績が盛んになり、高度な産業化(工業化)が進む。新たな穀倉となったのは未開発の長江中流域で「湖広熟すれば天下足る」と言われた。

 視点を転じてシナ海沿海部は、住地が狭隘で独自の勢力を形成しにくく、中原や江南と大きく異なる生態環境のため、往来や移住の難度も高かった。瘴癘の地、流刑の地、宦官の供給地という「異形」の地域にも、10世紀(五代十国)には、閩と南漢という独立国家が生まれる。宋代以降は王朝政権の一辺境となるが、海外貿易の窓口として、発展・繁栄を続ける。いや、この地域、おもしろいなあ。倭寇、洪秀全、孫文、そして現代の香港まで、海外と結んだ「革新」と、それを待ち受ける弾圧の運命を繰り返している。

 最後に長江中流域。三国志では荊州として登場する。その後も政治的自立を果たすことはなかったが、12~13世紀の人口増に伴い、長江下流域で溢れた人々が中流域に入植してくる。未開地が多かったため、17世紀以降も移民の受入れと開拓が続く。18世紀には有数の米穀産出地域となるものの、それ以上のペースで人口が増加したため、湖南人はいつも貧しく「拼命(いのちがけ)」が性分とされた。ここから20世紀の中国革命のリーダーたちが誕生するのだが、新旧価値観の同居、定まらない順逆が、湖南人士に共通の特色に思われる。岩波新書『曽国藩』を書いた著者の評なので、味わい深い。

 はじめは、中原/江南の対立軸で語る中国論か(知ってる)と思って読み進んでいたが、その対立軸にさえ収まらない「沿海部」「長江中流域」の存在が強く印象に残った。一般の日本人には、ほとんど中国として意識されない「異形」の中国だと思うが、知れば知るほどおもしろい。内実がこれほど多元的であるから、北京政府は「一つの中国」を声高に唱えなければならないと言えるかもしれない。特に沿海部、大好きなので、また現地に行ってみたい。


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