四連休初日、高野山霊宝館を満喫したあとは、壇上伽藍をぶらぶらし、2015年に再建された中門の四天王像に挨拶し、大門まで歩いた。途中のコンビニで、念のためお茶と甘いものを仕入れて宿へ戻る。
今回の宿坊は「清浄心院」。奥の院入口の一の橋の近く。広大な敷地にいくつもの建屋が複雑に連結しており、迷子になることを本気で心配した。昔ながらの広い庫裏と板間が印象的だった。
背後の山の中腹に赤い鳥居が見える。泊まった部屋(3階)からもよく見えた。
楽天トラベルで値段と立地だけで決めたのだが、あとで調べたら、マスコミ等で有名な住職で、いろいろ怪しい評判もあるようである。まあしかし、天長年間に弘法大師が建立したという寺伝はともかく、のちに平宗盛に再建されたというのが、平家びいきの私には嬉しい。近世には、上杉家、佐竹家、北海道の松浦家などが檀家となっており、奥の院参道にある上杉謙信霊屋は同院が管理しているのだそうだ。
この時期、高野山では全国学童軟式野球大会が開かれている。子供たちが戻ってきて騒がしくなる前にと勧められて、早めに風呂をつかって、さっぱりして夕食。1階のお座敷(個室)でいただく。精進料理だがボリュームがある。
食後は布団に倒れ込んで寝てしまった。冷房のない部屋で、まだ昼間の暑さが残っていたので扇風機をつけていたが、夜が更けると外の風が冷たくなり、扇風機を消して、布団にくるまって寝た。熱帯夜の続いている東京が嘘のよう…。
翌朝は6時からお勤めに参加。頭を丸めた若いお坊さんと有髪の中年のお坊さんのお二人が、経を読み、真言を唱えるのを聞いた。お二人とも声がよくて、眼福ならぬ耳の幸せ。終わると若いお坊さんが「本日は住職が留守のため、役僧がつとめさせていただきました」と挨拶し、仏像やご位牌の説明をしてくださった。正面には夏目漱石の位牌もあるなど。「文献院古道漱石居士」と「夏目家先祖代々」の位牌2つで、鏡子夫人の奉納だった。どういう縁故なのだろう?
また、伝・運慶作の阿弥陀如来立像など、古い仏像も拝観させていただいたが、ご本尊の秘仏・弘法大師像(廿日大師)は別のお堂に祀られており、見せていただけなかった。廿日大師の名は、弘法大師空海が、承和2年(835)3月21日の入定の前日、20日に自刻したという伝承による。なお、清浄心院の御朱印は「廿日大師」だった。
そして朝食。やっぱり、がんもどきは定番なのだな。味噌汁が美味しかった。
宿に荷物を預けて、奥の院にお参りに行く。歴史上の名家や有名人の墓所・供養塔が立ち並ぶ参道は何度歩いても楽しい。目立つのは戦国大名・武将の墓だが、今回、人形浄瑠璃の三味線弾き・豊澤團平(団平)(初代:1828-1898)(二代目:1858-1921)の墓所を見つけてしまった。
そして鶴澤清六(四代目:1889-1960)の墓所も。有吉佐和子『一の糸』のモデルだという。
納経所で奥の院の御朱印をお願いしたら、おじいちゃんが「開運招福」のハンコを添えてくれて、「今日からオリンピックだからね」(開会式当日)とにこにこしていた。さて何年後かに御朱印を見たとき、覚えているかな。