見もの・読みもの日記

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守成のトップリーダー/貞観政要(守屋洋訳)

2016-05-16 23:55:52 | 読んだもの(書籍)
○呉競;守屋洋訳『貞観政要』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2015.9

 このところ見ていたドラマ『隋唐演義』に影響されて読んでみた。「貞観政要」は唐太宗(李世民、598-649)の言行録である。太宗の死後40~50年後、史家の呉兢(670-749)によって編纂された。本書は、全部で280篇の説話のうち、その四分の一にあたる70篇を訳出したものである。現代語訳と短い解説のあとに、原文(漢文)と読み下し文がついている。「現代的意義を持ち、まとまりのあるもの」という訳者の選択基準がよいのかもしれないが、全編にわたって、とても面白かった。

 私は李世民というと、兄の李建成と弟の李元吉を殺害した「玄武門の変」の衝撃が強くて、これだけのことをやり遂げるのは、よほど残忍で腹黒い策士に違いないと思っており、「貞観政要」でつくられた名君のイメージを信用していなかった。しかし本書を読むと、なかなか懐の深いリーダーであったことが分かる。李世民自身が語った言葉にも印象深いものがあるが、それ以上に周りの政務補佐官たち、魏徴や王珪の言葉には、今日に通じる政治の要諦が説かれており、それを受け入れる李世民の度量に感心させられる。あまたの名臣に混じって、文徳皇后の存在がきちんと記録に残されているのも嬉しい。騎馬民族系(鮮卑族)だから、女性の地位は高かったのだろう。

 奢侈のいましめ。神仙を求めることの否定。学問(読書)の奨励。できるだけ戦争を回避すること(兵は凶器なり。やむを得ずしてこれを用う)。法の遵守。しかし法は簡素に、なるべくゆるやかに適用し、過酷な執行で民を怯えさせない。指導者たる者、言語を慎み、わずかな失言もないようにする。ああ、こんなリーダーがどこかにいないものかと思って、何度となく嘆息した。現代社会にはびこる、相当な社会的地位にありながら、学問を否定し、天下の法を私(わたくし)し、発言に全く重みのない人々にはもううんざりである。

 強く共感したのは、治世の要諦は人材登用にあり、という考え方である。とりわけ、太宗から人材の発掘を命じられた臣下が「これといった人材が見つかりません」と答えたのに対し、太宗が「周の文王が太公望に出会ったような奇跡に望みをつないではならない。どんな時代にも人材はいる。われわれが気づいていないだけではないか」と答えたという一段には感銘を受けた。昨今、育成、育成とお題目を唱えている人々には、この「われわれが(人材の存在に)気づいていないだけではないか」という謙虚さを一度学んでほしいと思う。

 あわせて、解説にあった戦国時代の郭隗の言葉、「礼をつくして相手に仕え、謹んで教えを受ける、これなら自分より百倍すぐれた人材がまいります」(途中略)「頭ごなしにどなりつけ叱りとばす、これではもはや下僕のようなものしか集まってきません」というのも、本当にいつの時代にも通じる教訓だと思った。

 本書を読むと、李世民が鼻持ちならない偽善者に感じられないこともない。だが、考えてみると、彼は陳の陳淑宝や隋の煬帝をはじめ、多くの権力者が奢侈や放埓に溺れ、生涯を全うできなかった姿を間近に見ているのである。「君は舟、民は水」であり、「水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」というのは、李世民の肌身に迫る実感であったろう。国を治め、百姓の安楽を実現することは、君主となった者が我が身と一族を守るために絶対必要な責務であった。

 日本において、徳川家康が「貞観政要」を愛読したことはよく知られているが、尼将軍・北条政子もこの書にほれ込み、北条氏は代々治世の参考書にしたという。さすが政子。本書を読んで、だいぶ李世民が好きになった。しかし、これだけの名君でも後継者選びはうまくいかないものなのだなあ。

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