○野嶋剛『ふたつの故宮博物院』(新潮選書) 新潮社 2011.6
発売当初に本書を見たときは、何を今さら、と思った。あれでしょ、日中戦争の戦火を避けるため、北京故宮の文物が四川省まで運ばれ、終戦後、北京に戻るはずが、国共内戦の勃発により、国民党政権とともに海を越え、台湾に渡り、今日に至るという、日本人にもよく知られた物語。
ところが、書店で手に取って、中をパラパラめくってみたら、どうもそれだけではないらしい。2000年以降に台湾で起きた二度の政権交代(2000年:国民党→民進党、2008年:民進党→国民党)が、台湾故宮博物院に与えた影響が、詳細にレポートされている。あまりの生々しさに震撼しながら、一気に読んでしまった。
戦中の文物大移送の話も面白かった。文物移送を命じられた故宮の職員たちは、箱詰めのコツを骨董街・琉璃廠の職人たちに教えてもらう。職員たちが包んだ茶碗を、職人が蹴って転がして、包みを開けてみると、茶碗が割れていた。次に職人たちが包んだ茶碗は、同じように転がしても割れていない。職人たちの包み方に「秘技」が潜んでいたからだ…なんて描写に、嬉しくなってしまう。中国各地を渡り歩き、梱包と開梱を繰り返すうち、故宮の職員たちも箱詰めの専門家になっていく。
迫る日本軍の爆撃、トラックは道路の陥没や脱輪に悩まされ(そうだろうなあ…)、小舟で急流を渡り、たまたま乗り込んだ舟や列車の行先にあわせて、文物は放浪を続ける。それでも文物の破損、紛失は皆無に近く、今も故宮には「文物有霊」(あるいは古物有霊)という言葉が語り継がれているという。
日中戦争が終わった後、文物は南京に戻るが、1948年12月から翌年1月にかけて、選りすぐりの文物2,972箱が台湾に移された。このとき、文物と一緒に海を渡った学芸員がいたこと、彼らが「老故宮」と呼ばれていること、彼らは、長くても数年のうちに中国に戻れると信じていたことなども初めて知った。
南京に残された文物は、共産党政権下で、南京博物院が保管することになった。北京の故宮博物院はこの返還を要求し、北京と南京が険悪な関係になったこともあったが、1990年代に副総理の李嵐清が「しばらくこのままでよいではないか」という調停をおこなって、騒ぎを収めたという。中国という国は、意外と中央集権でなくて、地方の自立性が強いんだな。南京博物院の展示文物には、実は北京故宮の伝来品も混じっていたのか。
話は飛んで、2000年の台湾。民進党政権は「故宮は中華文化の博物館ではなく、アジア文化の博物館に変わるべきだ」と主張し、故宮に自己改革を迫った。2006年には、林曼麗を故宮初の女性院長に起用。私は、雑誌『芸術新潮』2007年1月号「大特集・台北故宮博物院の秘密」を手元に持っているが、林曼麗院長は、2010年開館予定の故宮南院(分館)が「アジア美術博物館という位置づけ」であり、中国の歴代皇帝コレクションを「アジアの文脈で捉え直す必要」について、熱く語っている。
ところが、2008年に政権を奪還した国民党は、「故宮はアジアの美術館にはなりえず、中華文化の美術館や博物館とするのがふさわしい」と路線変更を指示、民進党が勝負をかけた「国立故宮博物院組織条例」の改正も頓挫してしまった。故宮南院は、大幅な計画見直しを迫られることになり、2015年完成予定に後退している。何しろ、著者によれば、台湾の政権交代には「一種の革命」のような激しさがあるそうだ。やっぱり、ところ変われど中華民族である。
さて、一方の中国(大陸)では、「国宝回流」と呼ばれる現象が起きている。韓国でも、奪われた文物の返還を要求する運動が起きているのは周知のことだが、中国の場合は、海外に流出した美術品を豊富なチャイナ・マネーで買い戻す動きが活発化している。山下裕二先生が、最近は清朝の磁器などが驚くほど高くて、唐や宋の文物は意外と安い、とおっしゃっていたのは、こういうわけか。円明園の十二支像の一部(ただし持ち去られたのは1930年代)がオークションに現れたりするのだから、中国人富裕層の愛国心を刺激するわけである。なお、オークションビジネスの仕掛け人として本書に登場する王雁南は、なんと趙紫陽の娘さんだというので、びっくりした。
再び、二つの故宮の話題に戻れば、国民党政権による台中関係改善の結果、2009年春から「両岸故宮交流」が始まり、2010年6月には、浙江省博物館が所蔵する黄公望筆『富春山居図』が台湾故宮で展示された。台湾故宮には、元来、これと一続きだった画巻の片割れが所蔵されている。この話題は、昨夏の中国旅行中、新聞で読んだ記憶があるが、裏には複雑な事情があったんだなあ、と感じた。
新春の東博の特別展『北京故宮博物院200選』も、本書を読んで迎えると、格別の感慨があると思う。激しい政治の荒波を乗り越えて今日に伝わった文物に「文物有霊」を感じる気持ちはよく分かる。それと同時に、私は、清朝の皇帝コレクターたちの霊が、今もこれらの文物を護っているような気がしてならない。
※北京故宮博物院200選(2012年1月2日~2月19日)
緊急決定:中国が世界に誇る至宝、清明上河図ついに国外へ(何だってー!!)
発売当初に本書を見たときは、何を今さら、と思った。あれでしょ、日中戦争の戦火を避けるため、北京故宮の文物が四川省まで運ばれ、終戦後、北京に戻るはずが、国共内戦の勃発により、国民党政権とともに海を越え、台湾に渡り、今日に至るという、日本人にもよく知られた物語。
ところが、書店で手に取って、中をパラパラめくってみたら、どうもそれだけではないらしい。2000年以降に台湾で起きた二度の政権交代(2000年:国民党→民進党、2008年:民進党→国民党)が、台湾故宮博物院に与えた影響が、詳細にレポートされている。あまりの生々しさに震撼しながら、一気に読んでしまった。
戦中の文物大移送の話も面白かった。文物移送を命じられた故宮の職員たちは、箱詰めのコツを骨董街・琉璃廠の職人たちに教えてもらう。職員たちが包んだ茶碗を、職人が蹴って転がして、包みを開けてみると、茶碗が割れていた。次に職人たちが包んだ茶碗は、同じように転がしても割れていない。職人たちの包み方に「秘技」が潜んでいたからだ…なんて描写に、嬉しくなってしまう。中国各地を渡り歩き、梱包と開梱を繰り返すうち、故宮の職員たちも箱詰めの専門家になっていく。
迫る日本軍の爆撃、トラックは道路の陥没や脱輪に悩まされ(そうだろうなあ…)、小舟で急流を渡り、たまたま乗り込んだ舟や列車の行先にあわせて、文物は放浪を続ける。それでも文物の破損、紛失は皆無に近く、今も故宮には「文物有霊」(あるいは古物有霊)という言葉が語り継がれているという。
日中戦争が終わった後、文物は南京に戻るが、1948年12月から翌年1月にかけて、選りすぐりの文物2,972箱が台湾に移された。このとき、文物と一緒に海を渡った学芸員がいたこと、彼らが「老故宮」と呼ばれていること、彼らは、長くても数年のうちに中国に戻れると信じていたことなども初めて知った。
南京に残された文物は、共産党政権下で、南京博物院が保管することになった。北京の故宮博物院はこの返還を要求し、北京と南京が険悪な関係になったこともあったが、1990年代に副総理の李嵐清が「しばらくこのままでよいではないか」という調停をおこなって、騒ぎを収めたという。中国という国は、意外と中央集権でなくて、地方の自立性が強いんだな。南京博物院の展示文物には、実は北京故宮の伝来品も混じっていたのか。
話は飛んで、2000年の台湾。民進党政権は「故宮は中華文化の博物館ではなく、アジア文化の博物館に変わるべきだ」と主張し、故宮に自己改革を迫った。2006年には、林曼麗を故宮初の女性院長に起用。私は、雑誌『芸術新潮』2007年1月号「大特集・台北故宮博物院の秘密」を手元に持っているが、林曼麗院長は、2010年開館予定の故宮南院(分館)が「アジア美術博物館という位置づけ」であり、中国の歴代皇帝コレクションを「アジアの文脈で捉え直す必要」について、熱く語っている。
ところが、2008年に政権を奪還した国民党は、「故宮はアジアの美術館にはなりえず、中華文化の美術館や博物館とするのがふさわしい」と路線変更を指示、民進党が勝負をかけた「国立故宮博物院組織条例」の改正も頓挫してしまった。故宮南院は、大幅な計画見直しを迫られることになり、2015年完成予定に後退している。何しろ、著者によれば、台湾の政権交代には「一種の革命」のような激しさがあるそうだ。やっぱり、ところ変われど中華民族である。
さて、一方の中国(大陸)では、「国宝回流」と呼ばれる現象が起きている。韓国でも、奪われた文物の返還を要求する運動が起きているのは周知のことだが、中国の場合は、海外に流出した美術品を豊富なチャイナ・マネーで買い戻す動きが活発化している。山下裕二先生が、最近は清朝の磁器などが驚くほど高くて、唐や宋の文物は意外と安い、とおっしゃっていたのは、こういうわけか。円明園の十二支像の一部(ただし持ち去られたのは1930年代)がオークションに現れたりするのだから、中国人富裕層の愛国心を刺激するわけである。なお、オークションビジネスの仕掛け人として本書に登場する王雁南は、なんと趙紫陽の娘さんだというので、びっくりした。
再び、二つの故宮の話題に戻れば、国民党政権による台中関係改善の結果、2009年春から「両岸故宮交流」が始まり、2010年6月には、浙江省博物館が所蔵する黄公望筆『富春山居図』が台湾故宮で展示された。台湾故宮には、元来、これと一続きだった画巻の片割れが所蔵されている。この話題は、昨夏の中国旅行中、新聞で読んだ記憶があるが、裏には複雑な事情があったんだなあ、と感じた。
新春の東博の特別展『北京故宮博物院200選』も、本書を読んで迎えると、格別の感慨があると思う。激しい政治の荒波を乗り越えて今日に伝わった文物に「文物有霊」を感じる気持ちはよく分かる。それと同時に、私は、清朝の皇帝コレクターたちの霊が、今もこれらの文物を護っているような気がしてならない。
※北京故宮博物院200選(2012年1月2日~2月19日)
緊急決定:中国が世界に誇る至宝、清明上河図ついに国外へ(何だってー!!)