○徳川美術館 企画展示『知られざる徳川美術館コレクション-珍品・奇品・迷品-』(2016年1月5日~1月31日)+蓬左文庫 徳川美術館・蓬左文庫開館80周年記念『コレクションが語る蓬左文庫のあゆみ』(2016年1月5日~4月10日)
三連休最終日は、名古屋の徳川美術館に寄った。常設展示は、気のせいかもしれないが、初春らしく華やかな茶道具・文具・能装束などが出ているように感じた。「大名の雅び」の展示室に、琉球楽器が並んでいたのも面白かった。島津家から献上されたもので、寛政10年、島津家の家臣が尾張徳川家の江戸戸山屋敷で演奏した記録があるそうだ。細身の琵琶は「ヒイハア」、横笛は「ホンテツ」などの名称は中国読みに近い。あと『小朝拝・歳旦冬至図』という江戸期の屏風があって、「歳旦冬至」というのが、旧暦11月1日と冬至が重なることで、およそ19年に一度あり、吉祥とされる、ということを初めて知った。調べたら2014年の冬至が「歳旦冬至」だったらしい。あと18年は来ないのか!
今回は徳川美術館の展示が目的で、蓬左文庫にはチェックを入れてこなかったのだが、来てみたら非常に興味深い展示をやっていた。まず蔵書印。印影は何度も見たことのある「御本」(尾張徳川家初代藩主・徳川義直の蔵書印)は鈕(つまみ)が玉を弄ぶ獅子になっている。「尾陽文庫」(藩祖義直と二世光が使用)の鈕は三巻の巻子本を積んだ姿。
さまざまな書物(冊子)を積み上げ、並べた展示ケースは圧巻。『周易』は濃茶色(柿渋?)の表紙。『倭玉篇』はピンク色っぽい。『礼記』は黄色、『続日本紀』は水色。花色(はなだ色)というのか。『続日本紀』(江戸・17世紀)は写本なのだな。『今昔物語集』(江戸・17世紀)の写本もめずらしい。中国本では、明清の皇帝が用いた「広運之宝」印の押された『歴代君鑑』。医学書も多く、オランダ本や奈良絵本もあった。また藩士の蔵書が尾張徳川家の文庫に加えられることもあった。神村正鄰(かみむら まさちか)は、跡継ぎがないまま蔵書を残して病死したそうで、藩に接収されてよかったんじゃないかな。論語コレクションはたいへん貴重なもの。
明治5年の御書籍払で一部の蔵書は整理されたが、大正元年(1912)頃「蓬左文庫」という名称が誕生する(※公式ホームページでも時期は曖昧)。その後、東京で開館、戦争中の疎開、戦後は名古屋市の「市民の文庫」となるなど、紆余曲折が興味深い。世界地図や中国地図を含む絵図コレクションも貴重で、『清朝中外輿図』の原本は中国になく、日本にも数点しかないものだそうだ。よく見る「蓬左文庫」の印には、読みやすい字体のものと、古風な字体で読みにくいものがあって、実は前者の使用が早く(大正初期)、後者が遅い(昭和初期)というのは覚えておこう。
再び徳川美術館ゾーンに戻る。今回の企画展は、ふだん公開の難しい作品や、開館以来一度も展示されたことのない作品を取り揃えて紹介するもの。期待したほどの珍品はなかったが、確かに見た記憶のないもの『馬面・馬鎧』とか『簞笥仕掛け銃』には笑ってしまった。秀吉所用の品と伝える『真珠付純金団扇』はきれいだったなあ。近代ものでは、桜井清香筆『米騒動絵巻』。「小中学校の歴史の教科書や教材などで紹介される機会が多い人気作品ですが、展示の機会がほとんどありません」という説明に、なるほどなあと思った。米騒動の様子そのものよりも、カブトビールや仁丹の広告など、街の風俗がよく描かれていて面白い。
徳川義親の収集した郷土玩具のコレクションを見て、そうだ、北海道の木彫り熊の生産を奨励したのもこのひとだったなあと思い出す。しかし「象の足」の剥製はどうなんだろ。ゴミ箱にしていたそうだが。
三連休最終日は、名古屋の徳川美術館に寄った。常設展示は、気のせいかもしれないが、初春らしく華やかな茶道具・文具・能装束などが出ているように感じた。「大名の雅び」の展示室に、琉球楽器が並んでいたのも面白かった。島津家から献上されたもので、寛政10年、島津家の家臣が尾張徳川家の江戸戸山屋敷で演奏した記録があるそうだ。細身の琵琶は「ヒイハア」、横笛は「ホンテツ」などの名称は中国読みに近い。あと『小朝拝・歳旦冬至図』という江戸期の屏風があって、「歳旦冬至」というのが、旧暦11月1日と冬至が重なることで、およそ19年に一度あり、吉祥とされる、ということを初めて知った。調べたら2014年の冬至が「歳旦冬至」だったらしい。あと18年は来ないのか!
今回は徳川美術館の展示が目的で、蓬左文庫にはチェックを入れてこなかったのだが、来てみたら非常に興味深い展示をやっていた。まず蔵書印。印影は何度も見たことのある「御本」(尾張徳川家初代藩主・徳川義直の蔵書印)は鈕(つまみ)が玉を弄ぶ獅子になっている。「尾陽文庫」(藩祖義直と二世光が使用)の鈕は三巻の巻子本を積んだ姿。
さまざまな書物(冊子)を積み上げ、並べた展示ケースは圧巻。『周易』は濃茶色(柿渋?)の表紙。『倭玉篇』はピンク色っぽい。『礼記』は黄色、『続日本紀』は水色。花色(はなだ色)というのか。『続日本紀』(江戸・17世紀)は写本なのだな。『今昔物語集』(江戸・17世紀)の写本もめずらしい。中国本では、明清の皇帝が用いた「広運之宝」印の押された『歴代君鑑』。医学書も多く、オランダ本や奈良絵本もあった。また藩士の蔵書が尾張徳川家の文庫に加えられることもあった。神村正鄰(かみむら まさちか)は、跡継ぎがないまま蔵書を残して病死したそうで、藩に接収されてよかったんじゃないかな。論語コレクションはたいへん貴重なもの。
明治5年の御書籍払で一部の蔵書は整理されたが、大正元年(1912)頃「蓬左文庫」という名称が誕生する(※公式ホームページでも時期は曖昧)。その後、東京で開館、戦争中の疎開、戦後は名古屋市の「市民の文庫」となるなど、紆余曲折が興味深い。世界地図や中国地図を含む絵図コレクションも貴重で、『清朝中外輿図』の原本は中国になく、日本にも数点しかないものだそうだ。よく見る「蓬左文庫」の印には、読みやすい字体のものと、古風な字体で読みにくいものがあって、実は前者の使用が早く(大正初期)、後者が遅い(昭和初期)というのは覚えておこう。
再び徳川美術館ゾーンに戻る。今回の企画展は、ふだん公開の難しい作品や、開館以来一度も展示されたことのない作品を取り揃えて紹介するもの。期待したほどの珍品はなかったが、確かに見た記憶のないもの『馬面・馬鎧』とか『簞笥仕掛け銃』には笑ってしまった。秀吉所用の品と伝える『真珠付純金団扇』はきれいだったなあ。近代ものでは、桜井清香筆『米騒動絵巻』。「小中学校の歴史の教科書や教材などで紹介される機会が多い人気作品ですが、展示の機会がほとんどありません」という説明に、なるほどなあと思った。米騒動の様子そのものよりも、カブトビールや仁丹の広告など、街の風俗がよく描かれていて面白い。
徳川義親の収集した郷土玩具のコレクションを見て、そうだ、北海道の木彫り熊の生産を奨励したのもこのひとだったなあと思い出す。しかし「象の足」の剥製はどうなんだろ。ゴミ箱にしていたそうだが。