見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

近代学術のインフラ構想/オルデンバーグ(金子務)

2007-06-17 23:52:01 | 読んだもの(書籍)
○金子務『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』(中公叢書) 中央公論新社 2005.3

 松本典昭氏の『パトロンたちのルネッサンス』で15世紀のヨーロッパを知り、山本義隆氏の『一六世紀文化革命』が面白かったので、次は17世紀。別に狙ったわけではないのだけれど、たまたま、本書の副題が目に飛び込んできたので買ってしまった。

 オルデンバーグ(Henry Oldenburg、1618頃-1677)の名前は、どのくらい日本人に知られているのだろうか。正直なところ、私は本書を目にするまで全く知らなかった。ドイツ生まれでイギリスに渡り、ロンドン王立協会の初代事務総長をつとめ(→詳しくはWikipedia)、現在も続く、最古の学術雑誌「Philosophical Transactions」を創刊した人物であるという。「Philosophical Transactions」! それなら私も知っている。理工系の大学・研究所図書館なら、必ず備えているアイテムである(こんな表紙)。

 「学術雑誌の刊行は17世紀に始まる」というのは、お題目みたいなもので、何度も耳にしていた。しかし、最初の学術雑誌がどんなものだったかは、あまり考えたことがなかった。本書を読んで、初めてその実態が少し窺えたように思う。

 まず必要なものは、郵便制度である(これは第5章「情報ネットワークの構築と郵便事情」で詳述されているが、知らないことばかりで非常に面白かった)。16世紀から17世紀にかけて、商業の発達とともに、ヨーロッパの郵便事情は次第に整備されていった。

 当初、科学者たちは、手紙によって通信しあった。学問や科学に関するレターは、私信と区別され、集会で読み上げられたり、引用されたり、コピーや印刷をされることを当然の前提としていた。オルデンバーグは、彼のもとに寄せられる多くの手紙を読み、若い科学者を励まし、彼らの研究成果を公表する手助けをした。そして、増え続ける情報を制御するため、興味深い報告は「トランザクションズ」に掲載し、印刷の力を借りて、より多くの読者のもとに届けることを始めた。

 オルデンバーグ自身は科学者として特別な成果を上げていないが、ニュートン、ホイヘンス、ボイル、ライプニッツなど、様々な科学者が彼の雑誌に足跡を残していく。注意すべきことは、この「トランザクションズ」は、王立協会の「認可」こそ受けてるけれど、実は資金的にも編集の面でも、オルデンバーグの個人雑誌にほかならなかった。うーむ。今も昔も新しいメディアって、集団知ではなくて、突出した一個人のビジョンから生まれるものなのかも。

 「トランザクションズ」は1664/5年(旧暦=ユリウス暦表記)に発刊されたが、直後にロンドンではペストが発生し、1666年には大火が起きた(この大火でペストは終息)。この2つの災害により、イギリスの書籍業は壊滅的な打撃を受けたという。今後はイギリスの古書を見るときは、この1666年という年号より古いか新しいかに注意しようと思う。

 最後に、オルデンバーグは、アカデミーという「共同研究の場」を確立することにも業績があったことも付け加えておこう。
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西と東/江戸時代の西洋学(天理ギャラリー)

2007-06-16 23:25:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
○天理ギャラリー 131回展『江戸時代の西洋学~天理大学附属天理図書館蔵品による~』

http://tokyotenrikyokan.co.jp/gallery/gallery.htm

 昨秋、天理図書館に行って、特別展『漢籍』を見てきた。その直前までやっていたのが、この『江戸時代の西洋学』展だった。図書館の職員の方が「来年、東京の天理ギャラリーに行きますよ」とおっしゃっていたので、気にかけてはいたのだが、危うく見逃すところだった。

 今回の展示は、徳川八代将軍吉宗のころから幕末にいたる約150年間の西洋学術・文化の受容とその周辺について、和洋双方の資料から展示したもの。「和洋双方」というのがポイントである。いや、正確には「和漢洋」かな。冒頭に展示されているのは、南懐仁の『新撰霊台儀象志』(江戸後期写)。一見ペン画のような精密なタッチで「天体儀」が描かれている。

 南懐仁(フェルディナント・フェルビースト、1623-1688)は、イエズス会の宣教師、中国に渡り、清朝の皇帝に仕えた(中国の古装劇=時代劇ドラマにもよく出てくる)。チコ・ブラーエが発明した天体観測儀などを中国にもたらし、さらに書物を通じて日本の天文学者にも影響を与えた。チコ・ブラーエ(1546-1601)って有閑貴族だったのよね...最近、『一六世紀文化革命』で、彼の人となりを知ったばかり。16世紀に起きたヨーロッパの知の変動が、17世紀の中国を経て、18~19世紀に日本に達するわけである。

 この展覧会、展示品は書物ばかりだが、図版入りのものが多くて退屈しなかった。興味深く思ったのは、たとえば林子平の『海国兵談』(天明6年成)の挿絵に、皮のベルトで石投げの練習をする人々が描かれているのだが、これがドイツ人ディリッヒの『戦争教則本』(1689年)の挿絵と一致すること。前者はかなり稚拙な模写だが、後者をお手本にしたことは一目瞭然である。

 また、森島中良の『紅毛雑話』(天明7年序刊)の「霊鷲山(→釈迦が説法をしたところ)絶頂之図」は、明らかにファレンティンの『新旧東インド誌』(1726)の挿絵を写している。比べてみれば百聞は一見に如かず、であるが、自前の資料だけでこんな比較が示せるのは、和洋双方の豊富な蔵書を誇る天理図書館ならでは、と思って唸った。

 見て楽しいのは『鷙鳥(しちょう)之図』が随一。長崎の複数の画家が、唐船や蘭船わたりの鳥類を描いたもの。うっすらピンク色がかった白いオウムが愛らしい。頭部アップの表情がいいなあ。墨筆でスケッチされた様々なポーズも。その隣りはダチョウ。長崎の出島を描いた別の画巻にも、犬、牛、馬に混じって、ダチョウらしきものが描かれていた。船に乗せてくるのが流行っていたのだろうか。

 小関三英の『那波列翁(ナポレオン)傳』(天保8年)も取り上げておきたい。リンデン著『ポナパルテの生涯』(1803年)の翻訳である。一書は写本で「蕃書調所改」という墨印が押してある。これは刊行許可を求めるために提出した自筆原稿だという。とはいえ、いちおう本の体裁を整え、冒頭にはナポレオンの顔のアップが描かれている。ゲラ刷りみたいなものか。のちの刊本を見ると、同様に冒頭にはナポレオンの肖像が刷り出されている。

 展示品はどれも状態がよい。図書館の蔵書にありがちな、みっともない再製本もされず、品のないラベルも施されず、よく古態を保っている。何よりも「天理図書館之印(だったかな?)」という蔵書印が、ホントに小さく控えめで、江戸時代の蔵書家の印と並んでも目立たない(違和感がない)ことに感心した。そうよねえ。貴重な書籍を伝えてきた先人に対して、真に感謝と尊敬の気持ちを持っていたら、札所のご朱印みたいな大きな蔵書印なんて、押さないよなあ。

 ※展示は明日(6/17)まで。

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めでたし、日本の幟旗(のぼりばた)/日本民藝館

2007-06-14 23:55:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日本民藝館 特別展『日本の幟旗(のぼりばた)』

http://www.mingeikan.or.jp/

 私事(わたくしごと)だが、新しい職場に移って2ヶ月ちょっと、仕事の先行きが見えなくて、なんとなくストレスが積もっている。何か、パッと晴れやかな気分になるようなものを見たい、と思っていたら、『芸術新潮』6月号を開いたとき、この展覧会の写真が目に入った。

 圧巻は、特別展示室の天井から斜めに垂れ下がった幔幕(のようなもの)の列。よく見ると、天井の高いホールにも収まり切らず、二つ折りにされた状態である。優に5~6メートルはあるのだろう。表には特大の文字で「八幡宮」とか「熊埜大権現」とか、悪霊に挑みかかるような、念の籠もった書体で書かれている。絵だけの幟もあって、これも恐ろしくデカい。波を蹴立てる昇り龍、色彩絢爛たる七福神など、写真で見ているだけで、わくわくしてくる。これは元気が出る展示に違いない。週末、吸い寄せられるように見に行ったら、果たして期待は裏切られなかった。

 幟旗は、戦場で敵と味方を区別をするための「旗差物(はたさしもの)」を起源とし、江戸時代には、子どもの成長を願ったり寿いだり(→鯉のぼりの起源)、祭礼の告知にも使われた。文字や紋所のほか、勇壮な武者絵や和漢の故事、無邪気な唐子、龍、鯉、海老、鶴なども描かれた。展示品には、小野道風、太公望、神功皇后、一来法師、「大織冠」の海女の図なども見られた。

 題材は伝統的だが、極端に縦長のキャンパスになるため、構図がモダンで新鮮である。幟旗に署名や落款は無いのが普通だが、いずれも迫力満点で、絵師の力量を感じさせるものが多かった。ボストン美術館には、北斎筆の『朱鐘馗図幟』が伝わっているそうで、名だたる職業絵師が幟旗を描くこともあったようだ。『芸術新潮』が「曽我蕭白や伊藤若冲といたビッグネームを思い浮かべてしまう」と、さりげなく書いているのもうなづける。

 ふと、展示ホールの卓上に置かれた雑誌『民藝』が目に留まって、中を開いた。何気なく、巻頭の北村勝史(よしちか)氏のエッセイを読んでびっくり。今回の特別展に出品されている幟旗は、日本民藝館の所蔵品ではなくて、同氏のコレクションなのだという。今でこそ東京造形大学非常勤講師の肩書きを持つ同氏であるが、35年前、「外資系のコンピュータ会社に勤務するサラリーマン」だった同氏は、「素晴らしい経営体制に満足しつつも、精神的、肉体的にかなり負荷もかかっていた」という。「会社でつらい分、趣味の世界にひたる時間を持つことで心身のバランスを保っていた」著者が、奈良の古道具屋でめぐりあったのが、1枚の幟だった――。

 その最初の幟は、1階エントランスホールの右手の壁に飾られていた。「二十四孝」のひとり「楊香」を描いたもの。素手で虎と戦い、父親を救った14歳の少女だという。少女なのか!? きりりとした表情。熊につかみかかる金太郎のような力強さが指先にまで漲っている。泥臭い迫力を感じさせる名品。

 そして、同氏はサラリーマンの小遣いを注ぎ込み、とうとう200点の幟旗を集めてしまったという。すごいなあ、えらいなあ。でも共感できる。社会人が心のバランスを保つには、ときどき、美しいものに癒されることが必要なのである。この日、私も日本民藝館を出るときは、ずいぶん元気になっていた。
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鴎外も賞味した和菓子百珍/虎屋ギャラリー

2007-06-13 23:45:23 | 行ったもの(美術館・見仏)
○虎屋ギャラリー 虎屋文庫資料展 第68回『和菓子百珍』展その2

http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat01/dat01_019.html

 赤坂の虎屋本店には「虎屋文庫」という資料室があること、ときどき面白そうな資料展を開いていることは、前から気になっていた。特に今回の企画は、各社のニュース(例:毎日新聞)でも取り上げられていたので、ぜひ訪ねてみようと思っていた。

 店舗の隣りの事務通用口を入り、2階に上がると小さなギャラリーがある。ここが今回の『和菓子百珍』展の会場だ。冒頭では、実際に江戸時代に出版された「百珍もの」(1つの素材をテーマに100種類の調理法を記したもの)の書籍と、これに関連する菓子の実例を展示する。先日、古書の博物館を名乗る岩瀬文庫が、展示ケースに本とお銚子・お猪口を一緒に並べていることを紹介したが、本と和菓子が並んだ光景には、さらにびっくりした。生菓子の「鯨餅」はさすがに複製らしかったが、焼菓子の「松風」はもしかして本物か!?

 それから、「百珍」にちなんで、製法や意匠、食べ方の「一風変わった菓子」が紹介されている。鶏卵素麺や金花糖(→これ大好き~!)の作り方はビデオで紹介。江戸の風俗図に描かれた、派手な扮装の菓子売りさまざま、見立て菓子のいろいろも楽しい。

 気になっていたのは「意外な食べ方」、とりわけ文豪・森鴎外が好んだという「饅頭茶漬け」である。4分の1に割った葬式饅頭をご飯に載せ、煎茶をかけて食すのだそうだ。会場には模型が飾られていた(上記、毎日新聞ニュースには本物?の写真あり)。また、江戸時代の書物には「カステラの大根おろし添え」の記述があるそうだ。どっちもちょっと...遠慮したい。

 「羊羹サンドイッチ」というのは、虎屋のニューヨーク店(1993-2003)で開発されたメニューで、食パン(当初はフランスパン)に羊羹とクリームチーズを挟んだサンドイッチだという。これは食べたい。クリームチーズがポイントだな。

 小さな引き出しの並んだ薬箪笥に「おいしい雑学」を詰めたアイディアは秀逸! ひととき童心に帰れる楽しい展覧会だった。展示品の試食コーナーがないのが唯一の残念。

■参考:「ほぼ日刊イトイ新聞」の記事(写真多数)
http://www.1101.com/news/index.html
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お伽話とホラー/グーグル革命の衝撃(NHK取材班)

2007-06-12 23:53:31 | 読んだもの(書籍)
○NHK取材班『NHKスペシャル:グーグル革命の衝撃』 NHK出版 2007.5

 NHKスペシャル『グーグル革命の衝撃-検索があなたの人生を変える』は、2007年1月21日に放送された。あまり熱心なテレビ視聴者ではない私は、翌日、職場の上司に「見た?」と話題を振られるまで、そんな番組が放映されたことも知らなかった。本書は、当時の放送内容(たぶん)を基礎に、その後(本年2~4月)の最新情報を付加して、まとめられたものである。

 企業としてのグーグルの歴史と実態は、所詮、自分には無関係なものと思って読む限り、お伽話のようで興味深い。年に1度のパーティ(グーグルダンス)、「エンジニアの楽園」と呼ばれる職場環境、社員の夢の書かれたホワイトボード。創業者「ラリー・ペイジ」のネームプレートが残るスタンフォード大学の研究室、最初のオフィスとなったメンローパークの住宅街のガレージ、消費電力と放熱がネックだったと初期のビジネス、等々。

 グーグルが我々にもたらしたものは様々である。検索順位をめぐる争いは、今や企業の命運を制するもので、その駆け引きは凄まじい。その一方、2001年に仕掛けられた「グーグル爆弾(ボム)」のエピソードには笑ってしまった。検索順位って、こんな単純なことで操作できるんだなあ。しかし私は、逆説的だが、容易に操作され得るところに、却ってグーグルの検索順位の数学的信頼性(ヘンに思想的・政治的な加工がされていない)を感じた。現在は「対策」が取られているそうで、むしろこっちのほうに私は警戒感を抱いてしまう。

 検索履歴を通じて個人情報が収集されることには、私は、今のところ、あまり危惧を感じていない。私はログインしてグーグルを使っているのだが、グーグルの「おすすめニュース」は一向に私の趣味に合ってこない。私が関心を持っている主題と、グーグルを使用する主題に微妙なズレがあるからか。「グーグルに全てを委ねるのか」という問題設定は、まだちょっと気が早いように思う。グーグル、もうちょっとパーソナライズ頑張れよ、と言いたい。
 
 驚いたのは、アメリカの大学生・専門学校生の多くが、情報源の客観性を判断することや、検索結果を絞り込むことができない、という調査結果である。また、大学院生になっても、検索エンジンしか使えない(調査研究用のデータベースで調べる方法を知らない)という事例も報告されている。楽に流れるのは人間の習いではあるが、これは危うすぎる。こういう若者が、アメリカの政権を選び、その結果が世界に覇権を及ぼすのかと思うと、真面目に背筋の凍る話である。

 図書館の蔵書を電子化するプロジェクト「グーグル・ブックサーチ」については短く触れられていただけだが、将来に対する影響は大きいと思う。英語圏の書物が全て電子化され、自在に検索できるようになったら、「知識のインフラという意味では、日本語と英語の間に格段の差が開く」という野口悠紀雄氏のコメントが印象的だった。ただ、「英語でなければおよそ知的な作業ができなくなってしまう」とまで言われると、過去の文献を全文検索できなければ、知的な作業はできないのか?という疑問を感じたが。
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ドラマ『風林火山』にハマる・河越夜戦

2007-06-10 23:59:58 | 見たもの(Webサイト・TV)
○NHK大河ドラマ『風林火山』第23回 「河越夜戦」

 今年の大河ドラマは面白いらしいと聞いて、4月半ばからチャンネルを合わせるようになった。はじめはテキトーに見流していたのだが、だんだん本気でハマってきた。信じられない。大河ドラマなんて、小学生の頃(まだ家に1台しかテレビが無かった70年代初め)、家族と一緒に見ていた記憶しかないというのに…。

 だいたい、私は小説をほとんど読まないと同様に、TVドラマも受け付けない性質なのである。と思っていたが、数年前、中国製のドラマ『射英雄伝』『天龍八部』にハマり(原作の小説も堪能した)、ああ、こういう武侠ドラマは私の性に合うのだと納得した。それから、ふとしたきっかけでNHKの『柳生十兵衛』を見て、日本の時代劇にも面白いものがあると知った(ただし、第1&第2シリーズ限定)。そして、とうとう今年は大河ドラマである。

 とにかく面白い。脚本がいいし、配役もいい。私は映画も歌舞伎も詳しくないので、新しい登場人物が現れるたび、これ誰?誰!?と右往左往しっぱなしである。

 普通の社会人にとって、大河ドラマを1年間見通すというのは、なかなか難しいことではなかろうか。実は、これまで初回からしばらく見ていても、途中で見逃すと、「もういいや」と思って止めてしまったことが何度かあった。逆に、途中で「今年はなかなか面白い」という噂を聞いても、もうずいぶん見逃しているし…と思うと、なかなか途中から入り込めなかった。

 しかし、今は「YouTube」がある! 世の中には奇特なひとがいるもので、『風林火山(Furinkazan)』は、ちゃんと第1回から全ての回が(毎回5~6本に分けて)UPされているのだ。もちろんこれは「違法行為」だが、私のように「出遅れた視聴者」をガッチリ掴むという点では、NHKの損にはならず、むしろ得になっていると思う。最近のニュースによれば、著作権法について、非親告罪(権利者が告訴しなくても罪に問える)の範囲拡大が検討されているそうだが、これって時代に逆行した動きではないのだろうか。

 とにかく、私はこの週末に「YouTube」で『風林火山』の1~8回までを一気に見ることができ、本当にありがたかった(残りは来週)。我々世代の老後はテレビなんて要らないかも。毎日、ネットで懐かしのドラマを見て過ごせれば、図書館にCDやDVDを借りに行くこともしないだろうなあ、なんて思った。

 しかし、散歩の楽しみはまた別。土曜日は「川越夜戦跡」の碑が立つ東明寺に行ってきた。今日の番組終了後の「風林火山紀行」でも映っていたけれど。川越駅から、大正浪漫夢通り、蔵造り通りなどの観光ゾーンをぶらぶら抜けて、徒歩40分くらいだった。



■NHK大河ドラマ『風林火山』公式サイト(本日、TOPページ更新!)
http://www3.nhk.or.jp/taiga/index.html
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花の盛り/マグダラのマリア(岡田温司)

2007-06-08 23:31:42 | 読んだもの(書籍)
○岡田温司『マグダラのマリア:エロスとアガペーの聖女』(中公新書) 中央公論新社 2005.1

 西洋美術史の岡田温司さんの本にちょっとハマっている。『もうひとつのルネサンス』(平凡社ライブラリー 2007.3)も『処女懐胎』(中公新書 2007.1)も面白かったので、もう1冊読んでみることにした。

 本書の主題はマグダラのマリア。悔悛した娼婦、キリストの磔刑、埋葬、復活に立会い、「使徒のなかの使徒」とも呼ばれたことになっている。「なっている」というのは、聖書(四福音書)を読む限りでは、彼女について、明らかなことは殆んどないのだ。そもそも娼婦であったかどうかも分からない。わずかに、ルカによる福音書が「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラと呼ばれるマリア」と伝えるのみである。

 これに、聖書外典の伝承、同じ「マリア」という名前で(あるいは名もなく)聖書に登場する女性たちとの混同が加わり、上述のようなマグダラ像が作られていく。著者は触れていないが、娼婦を石打ちにしようとしていた群衆に向かって、イエスが「この中で罪のない者だけが、この女に石を投げよ」と告げたという逸話、これも近代のキリスト伝(映画など)では、マグダラのマリアと結びつけることが定番になっている。

 こうして、人々の無意識の欲望を引き受け、両極端と言えるほど多様な解釈や表象を与えられながら、マグダラ像は形づくられてきた。たとえば、ティツィアーノの『悔悛のマグダラ』(1530年代はじめ)。「この上なく美しく、できるだけ涙にくれている」という困難な主題に挑んだこの作品で、マグダラは波打つ金髪で覆われただけの豊かな裸身に描かれており、あたかも異教のヴィーナスのようだ(後年、ティツィアーノは、同じポーズで、官能性を薄めた着衣のマグダラ像を2点描いている)。一方、ドナテッロの木彫『マグダラのマリア』は、痛ましいまでに痩せ細った聖女の姿をしている。

 私が好きなのは、カルロ・クリヴェッリの描くマグダラ(図版2点あり)。華麗な衣装、輝く金髪、花の盛りの美貌を見せつけるような驕慢な表情が、ぞくぞくするほど魅力的である。また、天使に呼び止められて振り返ったという、一瞬の表情を捉えたサヴォルドのマグダラには、市井の風俗美人画のような魅力がある。この時代(16世紀前半)、「コルティジャーナ」という語は、宮廷婦人と高級娼婦の両方の意味を持った(!)。それほど、両者の境界は曖昧だったのである。

 もうひとつ、復活のイエスに出会い、「我に触れるな」と制止されるマグダラの表象もスリリングで魅力的だ。つまり、キリスト教においては、女性であるマグダラこそが、キリストの復活の最初の証言者であり、最初の「使徒」という特権を得ているのである。ただし、四福音書の立場は、マグダラ(と女性の弟子たち)に最も好意的なヨハネから、最も手厳しいルカまで、微妙な差異があり、原始キリスト教における女性の位置づけに、葛藤があったことがうかがわれる。

※付記。遅ればせながら「芸術新潮」6月号を買った。特集「レオナルド・ダ・ヴィンチ《受胎告知》を読み解く」に付随して、岡田温司さんのインタビューで構成された「《受胎告知》の図像学」という記事がある。新書『処女懐胎<』では小さな図版でしか見られなかった名品の数々が、大図版で見られる! 幸せ!
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印刷技術とともに/一六世紀文化革命(山本義隆)

2007-06-07 23:30:03 | 読んだもの(書籍)
○山本義隆『一六世紀文化革命』1、2 みすず書房 2007.4

 面白かった! これは今年のベストワンに違いない、と確信している。

 舞台となる16世紀ヨーロッパについて、Wikipediaは「ルネサンスと宗教改革の嵐により中世的な世界観にかわり、近世的な新しい世界観が生まれた」と記す。簡にして要を得た説明である。ただし「ルネサンス」と言っても、先日読んだ『パトロンたちのルネッサンス』に描かれたような、イタリアの美術家・建築家たちの活動は15世紀が中心。続く16世紀は、人文主義と古代文芸復興を特徴とする。

 しかし、著者はこのような伝統史観に違和感を表明する。人文主義と古典復興は、少数の上流階級の子弟にしか影響を与えなかった。一方、16世紀には、それとは全く異なる文化革命が進行していた。主役は大学アカデミズムとは無縁の職人たちである。本書は、医学、植物学、鉱山学、数学、天文学、地理学など、自然科学の各分野で同時並行的に起きた「知の地殻変動」を、豊富な実例を挙げながら、興味深く描き出している。

 中世の知識人にとって「書物」は、決定的な権威の源泉だった。真実は全て、古代の賢人によって、あらかじめ書物に記されていると、本気で信じられていたのだ。だから、驚くべきことに大学の医学部でさえ(ラテン語の)書物を学ぶことが最重要と考えられており、実際に患者に手を下す「外科医」は、理論を修得した「医師」よりも一段低いものと考えられていた。むかし、どうして英語では「医師 doctor」と「外科医 surgeon」を使い分けるのか不思議だったけど、こういう来歴があるのだな。

 しかし、14~15世紀のペストの流行と、火器の使用が始まった英仏百年戦争は、アカデミズム医学の無力を露呈させ、豊富な臨床経験を持つ外科医の威信が高まる。ここで面白いのは、彼らが、最新のメディアである印刷出版技術を大いに活用していることだ。

 ルネサンス期の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は、様々な思索と研究の成果を残したが、生前にそれらを公表しようとはしなかった。高度な専門技術を秘匿することは、当時の職人ギルドにとって、当然の慣習だったのである。しかし、16世紀の外科医や職人たちは、俗語による専門学術書の出版に努めた。そこには、多くの者が知識を共有し、実証的な経験を積み重ねることによって、それをより良いものに高めていこうという意図が認められる。「Web2.0」の思想の原点みたいなものだけど、非常に初々しくて感動的でさえある。

 16世紀の文化革命は言語革命とともに進行した。俗語(国語)は、思想や学問の記述に耐えるまでに鍛え上げられ、文法や正字法が整備された。これによって、ラテン語を知らない多くの人々に知識や思想が行き渡るようになった反面、ラテン語を通じて行われてきたインターナショナルなコミュニケーションが衰退し、学術がナショナリズムと結びつくようになった。

 また、知識人は手仕事を厭わなくなった。その結果、学問の主導権は再び知識人のもとに取り戻された。つまり、職人の素朴経験主義や、やみくもな試行錯誤は、もはや科学の進歩に寄与するとは看做されなくなってしまったのだ。理論の裏づけに基づく「仮説→論証→実験」という近代科学の方法が自覚され、先進的な研究は、専門の研究者集団によって、組織的かつ目的意識的に推敲されなければならないと考えられるようになった。この立場を代表するのが、フランシス・ベーコンである。

 このように、本書は、職人たちが切り開いた「16世紀文化革命」の意義を高く評価しながら、その限界と負の側面に言及することも忘れず、味わい深い読みものになっている。お奨め。
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団塊の繰り言/ウェブ社会をどう生きるか(西垣通)

2007-06-06 00:13:11 | 読んだもの(書籍)
○西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』(岩波新書) 岩波書店 2007.5

 一読して「団塊世代の繰り言」だなあ、と思った。ただし、私は本書を否定しているわけではない。たとえ相手の耳に届かない繰り言であっても、言ってやったほうがいいこともある。

 西垣先生の本は、1990年代の後半、『デジタル・ナルシス』(岩波書店 1997)『思想としてのパソコン』(NTT出版 1997)など何冊かを読んだ。パソコンやインターネットが、一部の情報オタクの道具から普通の生活アイテムに変貌し始めた頃である。IT技術の活用によって、今すぐバラ色の未来がやってくるかの如き、浮き足立った社会風潮に対して、冷や水を浴びせるようなところがあった。

 本書のスタンスも、基本的には変わっていない。いま、グーグル、アマゾンに代表される「ウェブ2.0」が、民主的手続きを推し進め、集合知を作り上げるという主張がある。これに対して著者は、「ウェブ礼讃論が安易に既存の専門知を排斥し、あらたなウェブ集合知を主張するあまり、急速に知の堕落が生じつつあるのではないか」という懸念を表明する。

 学問の世界における査読システムも、民主政治の手続きも、面倒で不完全であるが、模索を重ねて確立されてきたものだ。それらを放棄し、コンピュータのアルゴリズムを手放しに信頼していいのだろうか? この異議申し立ての論理は、森健さんの『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』や『グーグル・アマゾン化する社会』にも通じており、特に新しいものではない。

 だが、著者の発言には、20年来、情報科学にかかわってきた者としての重みがある(そこが森健さんの著書とは一味違う読みどころである)。コンピュータ(検索エンジン)が人間の言葉を理解し、求めるものを探し出し、秩序を作り出す――こうした言葉を聞くと、著者は「一種の既視感」に襲われるという。1980年代、ハードウェアの機能向上を引き金に、欧米と日本で「人工知能ブーム」が起きた。人工知能研究者たちは、人間のような知能をもつコンピュータを制作するという野望に向かって「突進」し、人工知能コンピュータの可能性をめぐって、はげしい哲学的論争も行われた。

 しかし、結局、実用に供されるほどの人工知能はまだできていない。それは、人間の言語が、身体をもって周囲の環境と相互干渉する体験の中で生み出されるものであるからだ。著者は、検索エンジンが人間のような知能を持つことは、少なくともここ10年くらいは「あり得ない」と結論し、「ウェブ2.0関連の研究者は若い世代が多いので、20年前の挫折の深刻さを知らないのです」と付け加える。この含蓄、味わうべきであろう。

 また著者は、西洋人が人工知能を作りたがるのは一神教の呪縛のためではないか、という。確かにGoogleのミッションにはそんなところがあるなあ。それなら、多神教文化に生きる日本人は、何か全く違ったアプローチで、検索エンジンや人工知能を作れないものだろうか。
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古書の博物館・西尾市岩瀬文庫

2007-06-05 08:41:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○西尾市岩瀬文庫 企画展『ヘルス&ビューティー~いにしえびとの“健康・美容”情報おしえます~』

http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase/

 たまたま何かで上記のサイトに行き当たって、へえ~こんな文庫があるんだ、と知った。岩瀬文庫は、明治41年に市内の豪商・岩瀬弥助が私財を投じて設立した私立図書館である。戦争や天災で打撃を受け、研究機関への売却も検討されたが、地域住民の保存運動によって守られ、西尾市岩瀬文庫(博物館施設)として現在に至っている。

 名古屋から名鉄で小1時間、関東人の私には、まるで土地カンのない西尾駅に着いた。時間節約のため、タクシーに乗ったら、運転手さんに「岩瀬文庫って有名なんですか? 最近、お客さんが増えているんですよ」と聞かれた。やっぱり、私のようにネットで見つけて訪ねてくる物好きが他にもいるのだろう。

 平成15年に建てられた岩瀬文庫の本館は、市立図書館の隣にある。コンクリートの打ちっぱなしが目立つ、オシャレな建築である。よ~く見ると、打ちっぱなしの壁のあちこちに、本の版面(博物画やら浮世絵やら)がデザインされていて楽しい。2階に上がると、木の床と壁に区切られた常設展示コーナーが現れる。重厚な木製のカードボックスが置いてあって、引き出しには年輪を感じさせる手書きの目録カードが詰まっている。

 たぶん、むかしは実際に使われていた目録だと思うが、現在は「展示用」である。岩瀬文庫の蔵書は、もう全てデータベース化が済んでいるのだ。ちょうど若いお父さんが、小学校低学年くらいの女の子に向かって、「げんじものがたりなら”げ”のところを探すんだよ。カードに番号が書いてあるだろ? 今度はその番号で本を探すんだよ」と説明していた。女の子の、分かったような分からないような表情が可愛かった。



 展示コーナーの一角には、昔ながらの木製書架も再現されている。そこに並んでいる巻子本や和装本は複製品だが、なかなか巧くできている。棚から下ろして広げてみたり、番号順に戻してみたりすることで、文庫屋さんごっこ(?)ができるのだ。うわ~楽しい~、と思うのは私くらいか。原簿や蔵書印、業務日誌、骨董品みたいなブックエンド等の実物展示も面白かった。



 企画展示室では、『ヘルス&ビューティー』と題して、江戸の健康法と美容法を紹介する展示が行われていたが、子どもや一般客の目を引きつけるための工夫が凝らされていて感心した。たとえば、酒の効能を記した本の隣りには、お銚子とお猪口、風呂の入り方を講釈した本のそばには、風呂桶と手拭いという具合である。資料の保全を厳密に追求する立場からは叱られるかもしれないが、まあ、江戸後期以降の和本なら、こんなふうに楽しく付き合っていいんじゃないかな、と思う。



※いつぞやコメントを下さった鴨脚さん、岩瀬文庫に行ってきましたよ。
コメント (2)
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