見もの・読みもの日記

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印刷技術とともに/一六世紀文化革命(山本義隆)

2007-06-07 23:30:03 | 読んだもの(書籍)
○山本義隆『一六世紀文化革命』1、2 みすず書房 2007.4

 面白かった! これは今年のベストワンに違いない、と確信している。

 舞台となる16世紀ヨーロッパについて、Wikipediaは「ルネサンスと宗教改革の嵐により中世的な世界観にかわり、近世的な新しい世界観が生まれた」と記す。簡にして要を得た説明である。ただし「ルネサンス」と言っても、先日読んだ『パトロンたちのルネッサンス』に描かれたような、イタリアの美術家・建築家たちの活動は15世紀が中心。続く16世紀は、人文主義と古代文芸復興を特徴とする。

 しかし、著者はこのような伝統史観に違和感を表明する。人文主義と古典復興は、少数の上流階級の子弟にしか影響を与えなかった。一方、16世紀には、それとは全く異なる文化革命が進行していた。主役は大学アカデミズムとは無縁の職人たちである。本書は、医学、植物学、鉱山学、数学、天文学、地理学など、自然科学の各分野で同時並行的に起きた「知の地殻変動」を、豊富な実例を挙げながら、興味深く描き出している。

 中世の知識人にとって「書物」は、決定的な権威の源泉だった。真実は全て、古代の賢人によって、あらかじめ書物に記されていると、本気で信じられていたのだ。だから、驚くべきことに大学の医学部でさえ(ラテン語の)書物を学ぶことが最重要と考えられており、実際に患者に手を下す「外科医」は、理論を修得した「医師」よりも一段低いものと考えられていた。むかし、どうして英語では「医師 doctor」と「外科医 surgeon」を使い分けるのか不思議だったけど、こういう来歴があるのだな。

 しかし、14~15世紀のペストの流行と、火器の使用が始まった英仏百年戦争は、アカデミズム医学の無力を露呈させ、豊富な臨床経験を持つ外科医の威信が高まる。ここで面白いのは、彼らが、最新のメディアである印刷出版技術を大いに活用していることだ。

 ルネサンス期の巨人レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は、様々な思索と研究の成果を残したが、生前にそれらを公表しようとはしなかった。高度な専門技術を秘匿することは、当時の職人ギルドにとって、当然の慣習だったのである。しかし、16世紀の外科医や職人たちは、俗語による専門学術書の出版に努めた。そこには、多くの者が知識を共有し、実証的な経験を積み重ねることによって、それをより良いものに高めていこうという意図が認められる。「Web2.0」の思想の原点みたいなものだけど、非常に初々しくて感動的でさえある。

 16世紀の文化革命は言語革命とともに進行した。俗語(国語)は、思想や学問の記述に耐えるまでに鍛え上げられ、文法や正字法が整備された。これによって、ラテン語を知らない多くの人々に知識や思想が行き渡るようになった反面、ラテン語を通じて行われてきたインターナショナルなコミュニケーションが衰退し、学術がナショナリズムと結びつくようになった。

 また、知識人は手仕事を厭わなくなった。その結果、学問の主導権は再び知識人のもとに取り戻された。つまり、職人の素朴経験主義や、やみくもな試行錯誤は、もはや科学の進歩に寄与するとは看做されなくなってしまったのだ。理論の裏づけに基づく「仮説→論証→実験」という近代科学の方法が自覚され、先進的な研究は、専門の研究者集団によって、組織的かつ目的意識的に推敲されなければならないと考えられるようになった。この立場を代表するのが、フランシス・ベーコンである。

 このように、本書は、職人たちが切り開いた「16世紀文化革命」の意義を高く評価しながら、その限界と負の側面に言及することも忘れず、味わい深い読みものになっている。お奨め。
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