○世田谷美術館 企画展『青山二郎の眼』
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
この展覧会、昨秋は、滋賀県のMIHOミュージアムで開かれていた。行きたくてウズウズしていたのだが、東京にまわってくるまでガマン、と自分に言い聞かせていた。
青山二郎の名前が気になり始めたのは、松涛美術館の『骨董誕生』展の頃からではないかと思う。青山は「希代の目利き」で、いわゆる「骨董」世界の完成者といわれる。柳宗悦らの民藝運動を支え、白州正子や小林秀雄に古美術鑑賞を指南した。当初、私は骨董→おじさんと早合点していたが、青山が横河民輔の委託を受け、中国陶磁コレクションの図録『甌香譜(おうこうふ)』を作成したのは26歳の時だという。なんという早熟! 昨年、展覧会に行けない不満の埋め合わせに買って、時々眺めていた『天才 青山二郎の眼力』(新潮社とんぼの本 2006.8)の表紙を飾る写真も、鼻の下のチョビ髭がなかったら、高校生のような童顔である。
さて、本展の構成は「中国陶磁」から始まる。若き青山が編集執筆した図録『甌香譜』(記憶では、大和文華館より出品)と、掲載作品である陶磁器(横河コレクションは、現在、東京国立博物館が所蔵)を、比べて見ることができる。ポスターにもなっている『白磁鳳首瓶』は、とろりとした餅肌が魅力。
『自働電話函』という不思議な銘を持つ白釉黒花梅瓶は、私には初見か。青山が「これさえ手に入れば電話ボックスで暮らしても構わない」という理由で名付けたもの。私も大好きな磁州窯だが、黒の発色が十分に鮮やかでなく、全体に白い霞がかかったようである。また、下書きの茶色の線がところどころに見える。磁州窯の正統的な基準に照らせば、名品とは言えないのだが、どこかモダンな魅力がある。
青山は、中国陶磁に関しては、もうひとつ『呉州赤絵(ごすあかえ)大皿』という図録も残している。呉州赤絵(福建の産、自由闊達な筆づかいが特徴)自体は、五島美術館などで、何度か目にしたことがあったが、こんなふうに大皿ばかりを並べて見たのは初めてのことだ。「赤絵」というが、緑あるいは青が必ず同時に使われていて、この寒色(特に青)が美しい。この「中国陶磁」のセクションでは、展示ケース内が淡い水色で統一されていた。最初、なんだか貧乏くさい色だなあ、と思ったが、赤絵の「青」の魅力を引き立てている。
次の「李朝、朝鮮工芸」では、展示ケースの基本色はグレーだった。なるほどね。木工品もさることながら、白磁の美しさを際立たせる背景はグレーなのだな、と思った。ここで、朝鮮工芸の美の発見者、浅川伯教(のりたか)・巧兄弟の名前を覚えたことを付記しておこう。
「日本の骨董」のセクションの基本色は薄茶。唐津の色である。萩、志野、織部などさまざまだが、唐津がいちばん多いように思った。なお、制作地にかかわらず、日本人が発見し、賞玩してきたものは「日本の骨董」であるという立場から、このセクションには李朝や唐物の陶磁器も混じっている。私が気に入った『刷毛目徳利』は、両手を広げたエイリアンみたいな奇妙な文様が描かれている。李朝の作だ。全体に粉をふいたような風合いが『自働電話函』に通ずる。
そのほか、骨董コレクションは、蒔絵、香炉など各種。さらに青山が手がけた装丁や写真、油絵も見ることができる。生涯、仕事らしい仕事はせず、高等遊民の生涯を全うして1979年没。欲の多い凡人には真似のできない、いさぎよさに憧れる。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
この展覧会、昨秋は、滋賀県のMIHOミュージアムで開かれていた。行きたくてウズウズしていたのだが、東京にまわってくるまでガマン、と自分に言い聞かせていた。
青山二郎の名前が気になり始めたのは、松涛美術館の『骨董誕生』展の頃からではないかと思う。青山は「希代の目利き」で、いわゆる「骨董」世界の完成者といわれる。柳宗悦らの民藝運動を支え、白州正子や小林秀雄に古美術鑑賞を指南した。当初、私は骨董→おじさんと早合点していたが、青山が横河民輔の委託を受け、中国陶磁コレクションの図録『甌香譜(おうこうふ)』を作成したのは26歳の時だという。なんという早熟! 昨年、展覧会に行けない不満の埋め合わせに買って、時々眺めていた『天才 青山二郎の眼力』(新潮社とんぼの本 2006.8)の表紙を飾る写真も、鼻の下のチョビ髭がなかったら、高校生のような童顔である。
さて、本展の構成は「中国陶磁」から始まる。若き青山が編集執筆した図録『甌香譜』(記憶では、大和文華館より出品)と、掲載作品である陶磁器(横河コレクションは、現在、東京国立博物館が所蔵)を、比べて見ることができる。ポスターにもなっている『白磁鳳首瓶』は、とろりとした餅肌が魅力。
『自働電話函』という不思議な銘を持つ白釉黒花梅瓶は、私には初見か。青山が「これさえ手に入れば電話ボックスで暮らしても構わない」という理由で名付けたもの。私も大好きな磁州窯だが、黒の発色が十分に鮮やかでなく、全体に白い霞がかかったようである。また、下書きの茶色の線がところどころに見える。磁州窯の正統的な基準に照らせば、名品とは言えないのだが、どこかモダンな魅力がある。
青山は、中国陶磁に関しては、もうひとつ『呉州赤絵(ごすあかえ)大皿』という図録も残している。呉州赤絵(福建の産、自由闊達な筆づかいが特徴)自体は、五島美術館などで、何度か目にしたことがあったが、こんなふうに大皿ばかりを並べて見たのは初めてのことだ。「赤絵」というが、緑あるいは青が必ず同時に使われていて、この寒色(特に青)が美しい。この「中国陶磁」のセクションでは、展示ケース内が淡い水色で統一されていた。最初、なんだか貧乏くさい色だなあ、と思ったが、赤絵の「青」の魅力を引き立てている。
次の「李朝、朝鮮工芸」では、展示ケースの基本色はグレーだった。なるほどね。木工品もさることながら、白磁の美しさを際立たせる背景はグレーなのだな、と思った。ここで、朝鮮工芸の美の発見者、浅川伯教(のりたか)・巧兄弟の名前を覚えたことを付記しておこう。
「日本の骨董」のセクションの基本色は薄茶。唐津の色である。萩、志野、織部などさまざまだが、唐津がいちばん多いように思った。なお、制作地にかかわらず、日本人が発見し、賞玩してきたものは「日本の骨董」であるという立場から、このセクションには李朝や唐物の陶磁器も混じっている。私が気に入った『刷毛目徳利』は、両手を広げたエイリアンみたいな奇妙な文様が描かれている。李朝の作だ。全体に粉をふいたような風合いが『自働電話函』に通ずる。
そのほか、骨董コレクションは、蒔絵、香炉など各種。さらに青山が手がけた装丁や写真、油絵も見ることができる。生涯、仕事らしい仕事はせず、高等遊民の生涯を全うして1979年没。欲の多い凡人には真似のできない、いさぎよさに憧れる。