○日本民藝館 特別展『日本の幟旗(のぼりばた)』
http://www.mingeikan.or.jp/
私事(わたくしごと)だが、新しい職場に移って2ヶ月ちょっと、仕事の先行きが見えなくて、なんとなくストレスが積もっている。何か、パッと晴れやかな気分になるようなものを見たい、と思っていたら、『芸術新潮』6月号を開いたとき、この展覧会の写真が目に入った。
圧巻は、特別展示室の天井から斜めに垂れ下がった幔幕(のようなもの)の列。よく見ると、天井の高いホールにも収まり切らず、二つ折りにされた状態である。優に5~6メートルはあるのだろう。表には特大の文字で「八幡宮」とか「熊埜大権現」とか、悪霊に挑みかかるような、念の籠もった書体で書かれている。絵だけの幟もあって、これも恐ろしくデカい。波を蹴立てる昇り龍、色彩絢爛たる七福神など、写真で見ているだけで、わくわくしてくる。これは元気が出る展示に違いない。週末、吸い寄せられるように見に行ったら、果たして期待は裏切られなかった。
幟旗は、戦場で敵と味方を区別をするための「旗差物(はたさしもの)」を起源とし、江戸時代には、子どもの成長を願ったり寿いだり(→鯉のぼりの起源)、祭礼の告知にも使われた。文字や紋所のほか、勇壮な武者絵や和漢の故事、無邪気な唐子、龍、鯉、海老、鶴なども描かれた。展示品には、小野道風、太公望、神功皇后、一来法師、「大織冠」の海女の図なども見られた。
題材は伝統的だが、極端に縦長のキャンパスになるため、構図がモダンで新鮮である。幟旗に署名や落款は無いのが普通だが、いずれも迫力満点で、絵師の力量を感じさせるものが多かった。ボストン美術館には、北斎筆の『朱鐘馗図幟』が伝わっているそうで、名だたる職業絵師が幟旗を描くこともあったようだ。『芸術新潮』が「曽我蕭白や伊藤若冲といたビッグネームを思い浮かべてしまう」と、さりげなく書いているのもうなづける。
ふと、展示ホールの卓上に置かれた雑誌『民藝』が目に留まって、中を開いた。何気なく、巻頭の北村勝史(よしちか)氏のエッセイを読んでびっくり。今回の特別展に出品されている幟旗は、日本民藝館の所蔵品ではなくて、同氏のコレクションなのだという。今でこそ東京造形大学非常勤講師の肩書きを持つ同氏であるが、35年前、「外資系のコンピュータ会社に勤務するサラリーマン」だった同氏は、「素晴らしい経営体制に満足しつつも、精神的、肉体的にかなり負荷もかかっていた」という。「会社でつらい分、趣味の世界にひたる時間を持つことで心身のバランスを保っていた」著者が、奈良の古道具屋でめぐりあったのが、1枚の幟だった――。
その最初の幟は、1階エントランスホールの右手の壁に飾られていた。「二十四孝」のひとり「楊香」を描いたもの。素手で虎と戦い、父親を救った14歳の少女だという。少女なのか!? きりりとした表情。熊につかみかかる金太郎のような力強さが指先にまで漲っている。泥臭い迫力を感じさせる名品。
そして、同氏はサラリーマンの小遣いを注ぎ込み、とうとう200点の幟旗を集めてしまったという。すごいなあ、えらいなあ。でも共感できる。社会人が心のバランスを保つには、ときどき、美しいものに癒されることが必要なのである。この日、私も日本民藝館を出るときは、ずいぶん元気になっていた。
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私事(わたくしごと)だが、新しい職場に移って2ヶ月ちょっと、仕事の先行きが見えなくて、なんとなくストレスが積もっている。何か、パッと晴れやかな気分になるようなものを見たい、と思っていたら、『芸術新潮』6月号を開いたとき、この展覧会の写真が目に入った。
圧巻は、特別展示室の天井から斜めに垂れ下がった幔幕(のようなもの)の列。よく見ると、天井の高いホールにも収まり切らず、二つ折りにされた状態である。優に5~6メートルはあるのだろう。表には特大の文字で「八幡宮」とか「熊埜大権現」とか、悪霊に挑みかかるような、念の籠もった書体で書かれている。絵だけの幟もあって、これも恐ろしくデカい。波を蹴立てる昇り龍、色彩絢爛たる七福神など、写真で見ているだけで、わくわくしてくる。これは元気が出る展示に違いない。週末、吸い寄せられるように見に行ったら、果たして期待は裏切られなかった。
幟旗は、戦場で敵と味方を区別をするための「旗差物(はたさしもの)」を起源とし、江戸時代には、子どもの成長を願ったり寿いだり(→鯉のぼりの起源)、祭礼の告知にも使われた。文字や紋所のほか、勇壮な武者絵や和漢の故事、無邪気な唐子、龍、鯉、海老、鶴なども描かれた。展示品には、小野道風、太公望、神功皇后、一来法師、「大織冠」の海女の図なども見られた。
題材は伝統的だが、極端に縦長のキャンパスになるため、構図がモダンで新鮮である。幟旗に署名や落款は無いのが普通だが、いずれも迫力満点で、絵師の力量を感じさせるものが多かった。ボストン美術館には、北斎筆の『朱鐘馗図幟』が伝わっているそうで、名だたる職業絵師が幟旗を描くこともあったようだ。『芸術新潮』が「曽我蕭白や伊藤若冲といたビッグネームを思い浮かべてしまう」と、さりげなく書いているのもうなづける。
ふと、展示ホールの卓上に置かれた雑誌『民藝』が目に留まって、中を開いた。何気なく、巻頭の北村勝史(よしちか)氏のエッセイを読んでびっくり。今回の特別展に出品されている幟旗は、日本民藝館の所蔵品ではなくて、同氏のコレクションなのだという。今でこそ東京造形大学非常勤講師の肩書きを持つ同氏であるが、35年前、「外資系のコンピュータ会社に勤務するサラリーマン」だった同氏は、「素晴らしい経営体制に満足しつつも、精神的、肉体的にかなり負荷もかかっていた」という。「会社でつらい分、趣味の世界にひたる時間を持つことで心身のバランスを保っていた」著者が、奈良の古道具屋でめぐりあったのが、1枚の幟だった――。
その最初の幟は、1階エントランスホールの右手の壁に飾られていた。「二十四孝」のひとり「楊香」を描いたもの。素手で虎と戦い、父親を救った14歳の少女だという。少女なのか!? きりりとした表情。熊につかみかかる金太郎のような力強さが指先にまで漲っている。泥臭い迫力を感じさせる名品。
そして、同氏はサラリーマンの小遣いを注ぎ込み、とうとう200点の幟旗を集めてしまったという。すごいなあ、えらいなあ。でも共感できる。社会人が心のバランスを保つには、ときどき、美しいものに癒されることが必要なのである。この日、私も日本民藝館を出るときは、ずいぶん元気になっていた。