不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

江戸と昭和と/坂本龍馬×百段階段(目黒雅叙園)

2010-12-20 23:45:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
目黒雅叙園 龍馬と対話する特別展『坂本龍馬×百段階段』(2010年11月27日~12月23日)

 目黒雅叙園は、Wikiによれば、石川県出身の創業者・細川力蔵が、昭和6年(1931)に開業した料亭(満州事変の年だ)。国内最初の総合結婚式場でもあった。絢爛たる装飾を施された園内の様子は「昭和の竜宮城」とも呼ばれ、ケヤキの板材で作られた木造建築「百段階段」(実際は99段)とその階段沿いに作られた7つの宴会場は、映画『千と千尋の神隠し』の湯屋のモデルとして知られ、近年、さまざまなイベントの舞台にもなっている。

 今回は、「高知県立坂本龍馬記念館の全面協力を得て、江戸の世界が花咲く百段階段に、龍馬の存在がエモーショナルに甦る」企画だという。展示にはそれほど期待しなかったが、東京都の登録有形文化財にも指定されている百段階段を一度見てみたい、と思って行ってみた。

 近代建築の正面玄関で受け付けのあと、大きなエレベーターで百段階段の入口階に上がる。エレベーターの扉と壁面には螺鈿で唐獅子牡丹の装飾が施されている。Wikiによれば、韓国の漆芸家・全龍福によって制作もしくは修復されたものである由。エレベーターを降り、靴を脱ぐと、百段階段である。昇り窯を思わせる、なだらかな勾配の階段がどこまでも伸びている。天井には華やかな板絵が描かれているが、階段自体は思ったより簡素な空間である。

 はじめは「十畝の間」。格天井に花鳥画を描いた荒木十畝(じっぽ)の名前にちなむ。同室の展示は、龍馬の家系・家族を写真パネルと龍馬の書簡(複製)で紹介。江戸博の『龍馬伝展』も長崎歴史文化博物館の『龍馬伝館』も見てきた自分には物足りないが、まあこんなものか、と思う。

 内装の白眉は次の「漁樵の間」で、天井の花鳥画も壁の人物画も、全てが3D(立体)仕様。特に床柱に施された極彩色の彫刻が見事である。日本人の発想とは思えないなあ。

 展示は「静水の間」が、長崎の料亭をイメージしたしつらえになっていて面白かった。さらに「清方の間」は、龍馬暗殺の夜をイメージし、暗殺現場に残されたという貼り交ぜ屏風の複製と、無人の長火鉢がじっと鎮座している。吹きすさぶ寒風、犬の遠吠え、一閃する刃、龍馬とかかわった人々の顔写真など、暗い背景に流れるイメージビデオも効果的。このほの暗さ、わびしさ、江戸の空間らしいなあ、と感心してしまうが、昭和6年の創建だから、実は全くの時代錯誤なのであるが。でも、こういう歴史的建造物を展示空間に利用すると、一般の博物館や美術館では出せない面白みが味わえると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道化師、わが心のセビリャ/プラシド・ドミンゴ in films(写真美術館)

2010-12-20 00:36:23 | 見たもの(Webサイト・TV)
写真美術館 『プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010』(2010年12月4日~12月26日)

 東京都写真美術館で『オペラ映画フェスティバル』が開催されたのは2008年の年末だった。今月初め、なぜかそのときのレポート記事に、たくさんのアクセスをいただいたのである。もしや?とひらめくところあって、写真美術館のホームページを見にいって、このイベントを発見した。ドミンゴ絶頂期というべき、70~80年代に撮影された7作品を一挙上映する、ファン歓喜のお得企画である。→公式サイト(楽劇会)

 本音をいうと7本全部見たいのだが、それも贅沢かな…とか、先週まで、週末に仕事を持ちかえる状態が続いていたり、なかなか落ち着かなかった。今週、ようやく落ち着いて、いちばん見たかった2本を見てきた。

■道化師(フランコ・ゼフィレッリ監督、1982年)

 いやもう、圧倒的である。ヴェリズモ・オペラの傑作とされる、情念に満ちた曲調に、明るく艶っぽいドミンゴの声が乗ると、爆発的な化学変化が起きるような気がする。今日はフィルムを見に来たはずなのに、うっとりと目を閉じて聞き惚れそうになって、いかんいかんと自分を叱咤しなければならなかった。

 音楽が名演であることに間違いはないが、ゼフィレッリ監督の演出には、いろいろ戸惑う点もあった。むかし、私がテレビで見たイタリア歌劇公演では、牧歌的な農村が舞台となっていて、旅回りの劇団は馬車でやってきた(と思う)。ところが、映画では、登場人物は古き良きイタリア映画の趣きで(1930年代くらいのイメージか?)、劇団はおんぼろトラックに乗って現れ、電飾に美しく飾られた舞台で道化芝居を演ずる。

 【※以下は私の勘違いあり。12/30コメント参照】それにも増して戸惑うのは、劇中劇のタデオを、カニオ=劇中劇のパリアッチョ役のドミンゴが二役で演じていること。普通は、カニオ=劇中劇のパリアッチョ=テノールと、トニオ=劇中劇のタデオ=バリトンは厳然と別人物なのだが、これをわざと(?)混乱させているのだ。したがって、冒頭で「前口上」を述べるタデオはドミンゴ。途中、ネッダに言い寄って袖にされるトニオは、ホアン・ポンス(バリトン)が演ずるのだが、後半の劇中劇のタデオは再びドミンゴ。これだとネッダが、トニオの口説きを「あとで(舞台の上で)また同じことを言えばいい」とあしらうセリフが分かりにくい。それと、激情のあまり、ネッダ(コロンビーナ)とその恋人を刺し殺したカニオ(パリアッチョ)が、凶器を投げ捨て、自らに宣告するように叫ぶ「芝居は終わりました!」の決めゼリフ、これがタデオのセリフになっているのは、どうでしょう…。私は、原作の脚本のほうが、ストレートで感情移入しやすくていいと思うんだけどなあ。

 ネッダ役のテレサ・ストラータスの美しさは映画女優並み。ドミンゴは、この時期、肉がたるんでいて、老けた中年男に見えるのが、かえって役柄に合っている。

■わが心のセビリャ(ジャン=ピエール・ポネル監督、1981年)

 これはまた楽しい映画。ホフマン物語の稽古が終わったところというドミンゴが、舞台演出家のジャン=ピエール・ポネル、指揮者のジェームズ・レヴァインをつかまえて、愛嬌たっぷりに話しかける。「ジミー(というのはレヴァインのことか!)、古来、最も音楽家を魅了した土地といえばどこかな?」、レヴァイン「ローマ」、ポネル「パリ」。「違うね」と自信たっぷりのドミンゴ。「それはセビリャさ!」と続くのだが、レヴァインが「じゃ、モスクワ?」なんて口を挟んでたりして(素なのか?)、3人のおじさんの表情の可愛いこと。

 以下、実際にセビリャ地方の風景や建造物にカメラを据えて、ドミンゴがオペラの名曲を歌いまくり、そのメイキング風景も紹介する。言ってみれば、セビリャのプロモーションビデオであるが、贅沢無類。

 荘厳なアルカサル(王宮)を舞台に『ドン・ジョバンニ』を歌い上げ、曲がりくねった石畳の道で『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵(テノール)とフィガロ(バリトン)の掛け合いを一人二役で見せ、郊外のローマ遺跡を地下牢に見立てて『フィデリオ』のフロレスタンを演ずる。『フィデリオ』の演出で「巨匠には巨匠を」と言って、ゴヤの版画(戦争の惨禍など)を取り入れてくれたのは嬉しかったな。スペイン・オペラ『山猫』(ペネーリャ作)は、初めて聞いたが、どことなく地方色が感じられて面白かった。最後は『カルメン』で大団円。

 途中、オペラの名曲に混じって、サルスエラの作曲家フェデリコ・モレノ・トロバが本作品のために書き下ろした歌曲『セビリャは…』が歌われる。セビリャは、噴水、鉄の門、花いっぱいの庭…みたいに美しい風景を数えあげていく歌詞。一度だけ(一晩だけ)セビリャに行ったときの記憶がよみがえって、懐かしかった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テクノロジーの真実/お母さんは忙しくなるばかり(R.S.コーワン)

2010-12-19 01:38:36 | 読んだもの(書籍)
○ルース・シュウォーツ・コーワン著、高橋勇造訳『お母さんは忙しくなるばかり:家事労働とテクノロジーの社会史』 法政大学出版局 2010.10

 19世紀の工業化と20世紀の家庭電化は、お母さんたちの仕事を本当に楽にしたのか? 科学技術史の研究者である著者が、70年代に研究を開始し、1983年に刊行した原著の初の日本語訳である。

 家事労働という、そもそもデータが残りにくい(賃金が発生せず、社会保険制度もないので、労働時間も従事者の数も計測されていない)問題について、著者は丹念に証言を拾い集め、長い歴史を再構成している。アメリカの文学や映画に疎い私には、非常に興味深くておもしろかった。

 まずは18世紀中頃に遡ろう。炊事は男女両方の労働を必要とした。調理は女の仕事であったが、動物をすること、穀類を育て、脱穀し、粉にすることは男性の仕事だった。不思議なことに、家政には男女分業の決まりがあり、男はリンゴ酒や蜂蜜酒をつくり、女はビールをつくった。布製の衣服を直すのは女で、革製の衣服を直すのは男だった。女は床を磨き、男はそのための灰汁をつくった。なんとか生活していくには、家の中に男女それぞれの大人がいることが必要不可欠だった。面白いなあ。結婚→社会の再生産サイクルを促すための智恵だったんじゃないかと思う。

 19世紀半ば、製粉業が発展し、普通の家庭でも小麦粉やトウモロコシ粉を購入することが可能になった。これにより、穀類生産の全工程に関与していた男性は、家庭内の重要なチョア(骨折り仕事)を免じられて、外に働きに出ることが可能になった。一方、女性は、白色粉が手に入るようになったことで、全粒粉による速製パンでなく、手間のかかる白パンやケーキをつくらなければならなくなり、以前よりも労働時間が増した。

 同じことが、炊事ストーブ、ガス・水道・電気の供給、洗濯機、冷蔵庫、真空掃除機、運搬・交通手段としての自動車の登場時にも起きた。テクノロジーの進歩によって、女性は、メイドや配達人や通いの看護婦にやらせていた家事労働を、自分自身で行わねばならなくなり、しかも「見苦しくない家庭生活」のレベルアップにつれて、いよいよ長時間、働かなければならなくなった。興味深いのは、戦間期の「レディーズ・ホーム・ジャーナル」の広告語を分析すると「罪」がトップ3に入ってくるという。夫や子どもたちに栄養バランスのよい食事をとらせ、評判を落とさない服を着せ、彼女自身も健康で賢く若々しくある…こういったことができない母親は「罪深い」とされたのである。

 本書が書かれたのは1980年代だけど、今もアメリカの家庭には「一点のしみもないワイシャツやピカピカの床」をステイタスとする心理ってあるのだろうか。日本の中産階級の場合、この点はさほど強力ではないけれど、子どもの教育に関して母親の役割を期待する割合は、アメリカ以上ではないかと思う。本田由紀さんの『「家庭教育」の隘路』を思い出した。いま、女性の社会参画推進のために、男性の意識改革が求められているけれど、本書を読むと、やっぱり女性自身の意識改革に、もう一度戻ってみたほうがいいと思った。ただし、必要なのは「できる女」を目標に努力することではなく、「…ができない女は罪深い」という先入観を笑いとばす強さではないかと思う。

 本書には、家事労働軽減のための「失敗した試み」もいくつか紹介されている。やっぱり「共同化・協同化」ってダメなんだなあ。「協同組織は、どんなに美しい文で書いてあっても、米国の文化の中では持続は困難である」と著者はいう。自主自立の国だものね。また、ガス冷蔵庫と電気冷蔵庫のシェア争いでは、無音で故障の少ないガス冷蔵庫のほうが技術的にすぐれていたにもかかわらず、圧倒的な企業力で勝ち残ったのは電気冷蔵庫だった。生産者の立場から見て「ベスト」の機械は、必ずしも消費者から見て「ベスト」ではない(逆も真)。消費者は、自由に商品を選択しているように見えて、実際は「買えるものの範囲」でしか決められないのである。事実に基づいた指摘だけに、よく納得できた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福建省の陶磁/茶陶の道(出光美術館)

2010-12-18 02:49:25 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 やきものに親しむVIII『茶陶の道-天目と呉州赤絵-』(2010年11月13日~12月23日)

 出光コレクションに館外の名品を加えて、中国福建省の陶磁を紹介する展覧会。福建省には残念ながら行ったことがない。南方・辺境好きの私は、行きたい行きたいと騒いでいるのだが、なかなか旅仲間の賛同を得られないのだ。だから、福建省がどんなところかは、いまいちイメージが湧かない。

 冒頭の器(せっき、陶器と磁器の中間。釉薬をかけない)や、ほわほわした文様の青白磁(青磁は全体に色が薄くて白っぽい)を見ていると、南方の美術はなごむなあ、と思う。ところが、展示室の途中からは、緑の濃い、くっきりした色と形の青磁が登場。プレートには「龍泉窯」とある。え?と思って地図を確認すると、龍泉窯は浙江省の南部、福建省との県境にかなり接近したところにある。でも、福建省ではない。会場には「福建省のやきものと共にもたらされた唐物磁器」みたいな説明がさりげなく加えられていたが、参考展示にしては、ちょっと存在感がありすぎる、と思った。

 先へ進むと、今度は天目茶碗。鉄釉のかかった茶碗のことで、その名前は、浙江省の天目山に留学した禅僧が日本に持ち帰った事に由来するというが、天目茶碗の代表に、福建省の建窯で作られた建盞(けんさん)があるから、これは福建の陶磁と言っていい。ただし、福建らしからぬ、端正で貴族的なうつわである。私はあまり好きではなくて、むしろ隣りの珠光青磁のほうが親しみが持てる。続いて、茶入と茶壺。「福建又は広東系」とある。要するに茶葉の産地ということか。調べていたら「茶壺は広東省で生産されたものであるし、茶入れの多くは福建省で作られたものである」と書いているサイトもあったら、本展はそこまで区別していなかった。

 そして、呉州赤絵。ふふふ、いいなあ。生きるのが楽しくなってくるような、おおらかな味わい。獅子、麒麟、魚などを描いているが、これが獅子か?と吹き出したくなるようなものもある。ひどいのは、ダリアのような花弁模様を描きかけて、なんか途中でやめてるし…。アラビア文字を模倣しようとして(?)子どもの落書きみたいになっているのもある。たぶん2つと同じ絵柄はないだろう。日本の鍋島が(たぶん中国の官窯も)、5客、10客セットの場合、「完璧に同一な文様」を追求したのとは対照的だ。

 繊細な乳白色の白磁を産した徳化窯は、特に仏像や観音像などが有名らしい。いろいろ調べていたら、江戸中期以降、日本で愛好された煎茶碗のほとんどは、景徳鎮産(江西省)と言われていたが、実際は「福建省で作られていたものであるとわかってきました」と書いているサイトも見つけた。実は日本文化とのつながりの深い福建省。ますます行ってみたくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費化社会のあの頃/現代社会の理論(見田宗介)

2010-12-15 22:43:33 | 読んだもの(書籍)
○見田宗介『現代社会の理論:情報化・消費化社会の現在と未来』(岩波新書) 岩波書店 1996.10

 近代社会一般とは区別された存在としての「現代社会」。それを特色づけているのは情報化/消費化である。第1章は、純粋消費社会としての「情報化/消費化社会」(キーワードは、デザイン、広告、モード)が近代市民社会の必然であり、卓越した魅力を有していることを述べる。第2、3章は、ゆたかな現代社会が外部に追いやった「闇」の部分、環境問題と貧困について述べる。そして第4章は、自然収奪的でも他者収奪的でもない方向に欲望を転回することで「闇」を克服することを提言し、「自由な社会」の可能性を説く。

 要するに、エコってカッコいいよね、みたいな美学の転換が行き渡れば、環境問題や貧困は解決できるってこと? 「〈情報〉のコンセプトを徹底してゆけば、それはわれわれを、あらゆる種類の物質主義的な幸福の彼方に向かって解き放ってくれる」って、平たく言えば、そういうことなの?

 1996年に出た本書を、2010年の今、正しく読むことはなかなかに難しい。80年代後半から90年代初頭まで、バブル景気期の消費者は、確かにモデルチェンジに煽られ続けてていた。情報が生み出す欲望は、無限に拡大するかに思われた。けれど、いつからか、情報化と消費化ははっきり袂を分かってしまった。情報化の進展は留まることを知らないけれど、消費は個別化・細分化し、今や「嫌消費」世代の登場まで言われ始めている。

 不思議なのは、消費の欲望が抑制的になっても、一向に環境問題や貧困の解消につながらないことだ。むしろ聞こえてくるのは、もっと消費を!もっと景気拡大を!の煽り声である。消費が減退すれば、北でも南でも、いよいよ貧困は拡大し、企業の設備投資もできないから、環境問題も解決しない。そして、地球にやさしい生活を謳歌できるのは、収入に不安のない、格差社会の勝ち組だけだ。一体どこに、自然収奪的でも他者収奪的でもない幸福の形式なんかがあるのだろう。

 本当のところ、本書を読みながら途方に暮れてしまった。10年や20年前の社会システムを前提に書かれた本を読むのは難しいな。かえって100年前の本のほうが、エッセンスを理解しやすい気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脂派の魅力/近代の洋画家、創作の眼差し(三の丸尚蔵館)

2010-12-13 00:30:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
三の丸尚蔵館 第52回展覧会『近代の洋画家、創作の眼差し』(2010年10月30日~1月10日)

 日本の近代初頭の洋画が好きだ。それも、黒田清輝などの本格的な洋画が登場する前の、まだ混沌とした世代の作品に惹かれてしまう。展示会場の解説パネルによれば、当時、まだまだ社会的に大きな力を持っていたのは伝統的な日本画であったが、皇室は、洋画を積極的に買い上げ、支援したという。その意図は、明治美術会設立趣意書草案の冒頭、「美術の国家に有用なる事は、今識者の共に唱導する所なれば」云々、に尽きるだろう。

 「国家有用の美術」!? 嫌な表現だ。そんな枠組みから、真の芸術なんて生れるはずがないと言いたいところだが、旧弊な枠組みが厳然とあって、しかもそこから、画家の個性がずるずるとはみ出していくところが、近代黎明期の面白さなのである。芸術の自立を意識した世代の作品より、かえって無類に面白いことさえある。

 本展は「見出された景観」「時代を写す」「歴史画の流行」の3つのパートで構成される。洋画は、まず風景の全く新しいとらえ方を日本人に教えた。高橋由一の『栗子山隧道図』や鹿子木孟郎の『大台ヶ原山中』などを見ていると、「写生」という概念が明治人に与えた衝撃と、その衝撃と格闘した明治人の生真面目さが感じられる。この世代の作品は、全体に画面が暗い。明治20年代後半に登場し、明るい外光描写を得意とした白馬会の画家たちが「紫派」と呼ばれるのに対し、彼ら(旧派)は脂派(やには)と呼ばれたのだそうだ。脂派、いいんじゃないの。私は好きだ。

 「時代を写す」に登場する山本芳翠は、黒田清輝の白馬会にも参加しているけど、皇室への尊敬の念深く、伊藤博文らの九州・沖縄巡視に記録者として同行したらしい(証拠となる公文書は未発見)など、「国家有用の美術」の枠内に身をおいていた感じもする。芳翠、面白いなあ。どこかで本格的な回顧展をやってくれないだろうか。日清・日露戦争に従軍していたことは初めて知った。バルビゾン派の風景画みたいな『唐家屯月下之歩哨』も相当不思議な作品だったが、図録に収録されている参考作品『明治二十七八年戦地記録図』をぜひ見てみたい! 松岡寿の『ベルサリエーレの歩哨』は巧すぎると思うのだが、本場の西洋人が見たら、やっぱり日本人臭を感じるんだろうか?

 明治20年代~30年代前半に集中する油絵の歴史画もかなり不思議な流行であるが、最近の、戦国武将をゲームキャラクター風にアレンジする流行と似ていなくもない。

 前後期で完全展示替え。図録を見ると、前期を見逃したことがすごく悔やまれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小袖、歳暮の茶も/絵のなかに生きる(根津美術館)

2010-12-12 21:45:03 | 行ったもの(美術館・見仏)
根津美術館 コレクション展『絵のなかに生きる:中・近世の風俗表現』(2010年11月23日~12月23日)

 説話画、物語絵、名所絵、都市図など、さまざまな作品に描かれた風俗に注目するコレクション展。冒頭が南北朝時代の『聖徳太子絵伝』でちょっと驚く。少年から壮年まで、つねにオレンジ色の衣で描かれるのが太子(※調べたら、東宮の服色は黄丹なのだ)。蘇我氏と物部氏の戦いは、足利尊氏みたいな大鎧姿で描かれている。観覧客のおばさんが二人、「この頃から鎌倉武士みたいなの着てたのね」「そうよ、平安時代の末くらいだから」って納得していた。おいおい…。でも、考えてみると、平時の束帯姿は、近世に至ってもあまり変わらないのに、戦う人々の姿はどんどん変わる。変わる風俗と変わらない風俗があるんだな、ということを考えさせられた。

 『曽我物語図』『犬追物図』は江戸初期の屏風。おばさんたちがヒソヒソと「あんなに長くて引き摺るのね」「考えられないわ」と囁きあっていたのは、女性の着物の裾の長さを言っているらしい。そうか、私は日常生活で全く和服を着ないので、何も気づかなかったが、和服を着なれた世代の女性から見ると、違和感のある風俗なんだろうなあ。私は、この時期の男性の平服が好きだ。直垂(ひたたれ)というのだろうか、上下共布(スーツ)形式で、さまざまな色や文様のバリエーションがあって、オシャレだと思う。

 作品としては、大きな『舞楽図』屏風に魅せられた。ああ、久隅守景筆なのか。右隻には太平楽、4人の舞人の表情が生々しい。左隻には納曽利と蘭陵王、仮面をつけた舞人の表情は分からないが、幔幕から歩み出すような楽人を見ていると、息遣いと同時に音楽も聞こえてきそうだ。宗達の洗練された『舞楽図屏風』とは、また違った魅力が感じられる。冷泉為恭の墨画の小品もよかった。こんな即興的な作品も描く人なんだな。

 上の階に上がって、展示室5は「小袖の文様」と題し、桃山~江戸初期(16~17世紀)の古裂を特集。絵画に描かれた風俗の実物が確かめられて、とてもタイムリーな連携企画だと思う。鹿の子絞りや縫い締め絞りに刺繍をプラスした慶長小袖ってほんとにステキだ。Wikiを見たら、桃山小袖に比べて色調が暗いのが特徴とある。なるほど。テレビの時代劇には、こういう故実をもう少し構ってほしいなあ。

 最後は、毎回、茶の湯のしつらえで楽しませてくれる展示室6。冬枯れの「歳暮の茶」にふさわしく、備前、伊賀、信楽など、堂々とした男前の茶道具が並ぶ。いいなー。私は、茶の湯に関しては、どうも根津嘉一郎の趣味にいちばん共感する。赤楽茶碗『銘・冬野』(道入作)は、薄暗がりの中の燠火のようだ。近寄ってみると、ひび割れを固めた細い金色の筋が、冬野の稲妻をあらわしているのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良にゆかりのひとびと/大和古物拾遺(岡本彰夫)

2010-12-11 23:43:39 | 読んだもの(書籍)
○岡本彰夫『大和古物拾遺』 ぺりかん社 2010.11

 書画、屏風、筆、杖、絵馬、木彫の人形など、古物(骨董)のカラー写真を満載。序に「生来古物が好きで、殊に資料の古物に心惹かれ」「大和に焦点をしぼって細々と収集を続けさせてもらって来た」という。これまで『大和古物散策』『大和古物漫遊』の2作を上梓し、いずれも初版で絶版になったが、古本屋では高騰を続け、定価の十倍の値がついたこともある由。それでは…というのは、のちのち売り払おうと目論んだわけではなく、書店でめぐり会ったこのときが機縁、と思って買ってしまった。著者が何者かは存じ上げず、もしや骨董屋のご主人?と思っていたら、春日大社の権宮司でいらっしゃることが途中で判明した。

 本書は、さまざまな古物を語りながら、結果的には、それらに関わった古今のひとびとについて語っている。筒井順慶、柳澤堯山侯(柳澤吉保の孫)のような歴史上の人物もいれば、著者が実際に交流を持った人々もいる。敢えて名を記さない(たとえば、仕事熱心だが歴史が苦手だった春日大社の神職の先輩某氏とか)エピソードも含まれる。

 感銘を受けたのは、昭和22年1月、GHQの米人が正倉院を訪れ「扉を開けて宝物を見せろ」と迫った時、免職をちらつかされても屈しなかった、当時の奈良県知事、野村万作氏の話。著者は「悪計をたくらんだ日本の某学者が進駐軍をそそのかし、開封を迫った事件」と書いておられるが、この某学者って誰なのか?

 先だって『東大寺大仏』展で認識を新たにした公慶上人について、上人の事を語らせれば、奈良国立博物館の西山厚学芸部長の右に出る者はなく、感極まって落涙する、というのも感銘深いエピソードである。生駒の宝山寺は、この秋訪ねたばかりだが、開祖の湛海律師という「とんでもない傑僧」の話も興味深く読んだ。本書には、湛海律師筆という色鮮やかな雨宝童子の像が図版として掲載されている。

 春日大社大宮(本社)の南門前に「出現石」という石があり、興福寺の伝承によれば、ここに赤童子が出現されたとのこと。赤童子さんは唯識論を学ぶ法相宗学徒の守護神だという。いいな、こんな愛らしくも力強いサポーターがいて。また、明治時代に撤去された春日大社の神宮寺には「おそろし殿」と呼ばれた建物があり、能の金春家の尊崇を受けていたそうだ。奈良の名園・依水園を復興した実業家・関藤次郎(宗無)の事蹟も興味深く読んだ。次回、奈良を訪ねるときは、本書で知ったスポットをぜひ実地見聞してきたいと思う。

 それにしても奈良には、僧侶、神職、教育者、政治家、実業家、職人など、職業の如何にかかわらず、この土地の長い歴史と伝統に敬意と愛着を持ち、何がしかの寄与を志した人々が多いことをあらためて感じた。けれども自分の名前を残すことには関心が薄く、万事控えめなのが、古都の床しさである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武具と文書/武士とはなにか(国立歴史民俗博物館)

2010-12-10 22:47:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立歴史民俗博物館 企画展示『武士とは何か』(2010年10月26日~12月26日)

 「武士の世を、終わらせるかえ?」は大河ドラマ『龍馬伝』終盤の決めゼリフだが、本展の趣旨にいう、10世紀から19世紀(中世と近世)には、わたしたち現代人が武士、サムライなどと呼びならわし、その風体や生活様式などに一定のイメージを有する、武人たちとその家々が階層的に存在した。しかし、武士そのものを他と峻別し特徴づけるメルクマール(指標、目印)は、意外なことに明確ではない。そこで本展は、資料に基づき、あらためて「武士とは何か」の再考を迫る。

 プロローグに続くのは「戦いのかたち」。馬具だの鎧だの鏃(やじり)だのを、所狭しと並べた大きな展示ケースの底のほうに、色のかすれた地味な絵巻がちょろりと広げられている。おお、いきなり『前九年合戦詞』(重文)じゃないか! 私はこの絵巻を見に来たのに…。

 以下、しばらくは、刀剣、甲冑、鉄砲など武具の展示が続く。日本刀は、慶長年間を境に古刀と新刀を区別し、新刀は生産が減少すること。逆に甲冑は、江戸時代に入ると、装飾過多な復古鎧の製作が盛んになったことなど、面白いと思った。びっくりした展示品は、武田勝頼の家臣であった屋代正長が、長篠の合戦で戦死したときの死装束だという経帷子。袖も身頃も余すところなく経文で埋められており、擦り切れた大きな穴が、激しい戦闘と武人の面影を今日に伝える。

 武具に続くのは、さまざまな文書。武家が武家であるためには、鎧・旗とともに、身分や所領を証明する文書(譲状、下知状、軍忠状など)を保存する必要があった。ここに日本中世の武士とその家の特色があるという。『香宗我部氏之系図』を典拠に、戦国~安土桃山時代の武将、香宗我部貞親(1591-1660)の生涯を概観したパネルも面白かった。土佐に生まれ、初めは仕官先を求めて、高野山、堺、肥前を転々とし、のちは仕官先の都合で、江戸、信濃、川越…と移り住んでいる。当時の武士って、けっこう「移動」する人々だったんだなあと思った。

 江戸時代には「武士のイメージ」が重視されるようになる。和歌山県立博物館所蔵の『川中島合戦図屏風』は、武田方の高坂、馬場、真田、相木など、懐かしい名前を見つけて、胸が躍る。子ども連れの若いお父さんが「おっ真田幸隆入道だ。小山田様もいる!」とつぶやいていたのが、『風林火山』ファンらしくて、ひそかに嬉しかった。しかし、なぜ和歌山に川中島合戦図?と思ったら、紀州徳川家の祖・頼宣公が、家康の甲州(武田)流軍学びいきに対抗し、越後流軍学者の宇佐美定祐を監修者として描かせたものだという。そんな政治的背景があるとは。美術品としては、長野県立歴史館所蔵の『川中島合戦図屏風』(江戸後期)が斬新なデザインで眼を引いた。軍記→錦絵→屏風絵といった、メディア横断的なイメージの影響関係が見られるというのも面白い。

 武士の系譜の最後に、徳川将軍家に殉じた川路聖謨を取り上げていたのは烱眼。というか、当たり前なのかな。私は、この時代に詳しくないので、初めてこの人物の存在を意識して、感銘を受けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反日俳優という前に/中国魅録(香川照之)

2010-12-08 23:54:14 | 読んだもの(書籍)
○香川照之『中国魅録:「鬼が来た!」撮影日記』 キネマ旬報 2002.4

 『龍馬伝』の岩崎弥太郎、『坂の上の雲』の正岡子規と大活躍の香川氏であるが、ネットの評判を読んでいると、時々唐突に「でもこの人、反日映画に出てるんだよね」という書き込みがある。えーなんだかなあ。中国人のつくる戦争映画は全て反日映画だと信じているんだろうか…と暗澹としていたら、「『中国魅録』という本を読んでみるといいよ」というレス(返答)に出会った。映画『鬼が来た!』(原題:鬼子来了、2002年日本公開)の撮影日記だという。私はかつて、この映画に、ものすごい衝撃を受けた。香川照之という日本人俳優の名前を覚えたのも、この映画であったような気がする。

 日曜日、さっそく神田の書店に買いに行って、のめり込むように一気に読んでしまった。本書は、1998年8月から翌年1月まで、中国映画『鬼子来了』の撮影に「参戦」(としか言いようがない)した著者が、当時の日記をもとに、半年にわたる、過酷で、クレイジーな「異文化体験」を忠実に書き起こした記録である。

 この映画にキャスティングされた日本人俳優はわずか5人。ほかに、現地(中国)で集められた日本人留学生が10数人。「いままでの中国映画は日本兵士を正確に描いていない」と考える姜文(ジャン・ウェン)監督は、徹底した戦記・戦争映画の研究と肉体改造を彼らに課す。中国に到着してまもなく始まったのは、北京郊外の軍事施設に泊まり込んでの軍事訓練。役用の衣装でもある軍服を身につけ、ランニング、匍匐前進、「担え銃」「捧げ銃」を繰り返し、30分の「気をつけ」。「だいたい私はどっちかといえば左翼なのだ」という著者が、炎天下で微動だに許されない「気をつけ」姿勢の間に、なぜか「生まれて初めて、見慣れた昭和天皇の神々しいお顔が心に鮮明に浮かんできた」と告白する。クランクイン前のパーティでは、100人を超える中国人スタッフ・俳優が大合唱した中国国歌に対抗して、15人ほどの日本人が君が代を歌う。火花散る愛国心に感動と昂揚をおぼえる著者。

 これだけでも十分に面白いのだが、撮影が始まると、いよいよ「中国」という異文化は牙を剥き、野蛮な本質を露わにする。台本を読まない撮影クルー、撮影中に寝てしまう俳優、道路の真ん中にトラックを放置する運転手、宿泊客の持ちものを平然と持ち去るシャオジエ(女性服務員)。本書を一読したら、たいがいの日本人は、絶対に中国人とつきあいたくない、日本に一歩も入ってこないでほしい、と悲鳴を上げるだろう。それでも著者は、狂気と混乱のるつぼの中で、身の安全と精神の平衡を必死で守りながら、「とにかく前進しよう」と自分に言い続ける。立派だ。寝床の安逸をむさぼりながら「あいつは反日俳優」などと指差しているだけの寝ぼけ愛国者とは大違いじゃないか。

 ついに腹痛(潰瘍)を発症した著者が、病院にかつぎこまれる下りは、戦慄のホラー映画そのものである。さらに、台本に従って、麻袋に放り込まれたまま、忘れられかけるに至っては、笑うしかない。香川さん、よく生きて帰ってきたなあ…。

 そして、悪夢のあとのエピローグは、2000年5月、カンヌ国際映画祭グランプリというまばゆい栄光。後日、姜文が俳優・中井貴一に語ったという小さなエピソードが最後に仕掛けられている。けれども、この姜文の言葉を、本音と読むか単なるジョークと読むか、あるいは、ジョークと知りながら著者がわれわれ読者に仕掛けた罠(虚構)と見るか、解釈は分かれるのではないか。

 映画『鬼が来た!』を知らなくても読める本だが、これから映画を見ようという人にはおすすめしない。やっぱり、先入観なく映画を先に見るほうがいいと思う。

※映画はこちら(DVD)。→概要紹介(個人サイト:戦争映画中央評議会)

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする