不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

初訪問・開館記念展(中之島香雪美術館)

2018-04-02 23:19:15 | 行ったもの(美術館・見仏)
中之島香雪美術館 開館記念展『珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~ I. 美術を愛して』(2018年3月21日~4月22日)

 土曜日は河内長野の金剛寺を拝観したあと、速攻で大阪市内に戻り、同館を訪ねた。「香雪美術館」は、朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850-1933)のコレクションを所蔵する美術館で、神戸市東灘区御影にある。村山の邸宅を利用した美術館で、庭と建物は素晴らしいが、展示室自体はそんなに広くない。私は2回行ったことがあるはず(うち1回は休館だった)だが、ブログには記録を残しそびれてしまったみたい。すぐそばに、羽生結弦くんの名前に似た結弦羽神社を偶然、見つけたことも懐かしい。

 さて、公益財団法人香雪美術館は、このたび開館45周年を記念し、2館目の美術館「中之島香雪美術館」を大阪の中之島フェスティバルタワー・ウエストにオープンした。なかなか凄い作品が出ているという噂なので、さっそく見てきた。

 オフィスビルの中に設けられた美術館は、天井が高く、通路も広くて、圧迫感のない贅沢な空間。冒頭には桃山時代の志野茶碗「銘:朝日影」。くしゃくしゃした笑顔の『布袋図』は梁楷筆。すでにかなりテンションが上がり始めたところ、次に『病草紙』の「の幻覚を見る男」が来た。これは…ほとんど見た記憶がない作品。床に裸の男が仰向けに寝そべっていて、布団(掻巻)のまわりに乳飲み子を抱いた妻と年長の娘が付き添っている。男の枕元には、ネズミほどの「(こぼし)」が30人くらい、裾の短い白い着物を着て、身長ほどの長い棒を持ち、踊ったり跳ねたり、棒を振り回して騒いでいる。あれだ、武侠ドラマでいう丐幇(かいばん)の人々みたいだ。男は床に刀を横たえ、戸口には扇と数珠を掛けて魔除けにしてるが、あまり効き目はないようだ。現代でいう精神疾患、あるいは幻覚症状だろうが、これも「病」として意識されていたことが興味深い。

 隣りの『ニ河白道図』(鎌倉時代)もよかった。荒波渦巻く赤い河と青い(ほぼ黒い)河。赤い河にはまさに人殺しのため弓に矢をつがえる武士が描かれていて、怒りと憎しみの表象であることが分かる。青い河には反物や行李、米俵などに囲まれて微笑む男女の姿があり、幸せそうなのだが、贅沢と愛欲の煩悩に捉われた状態を表すのだそうだ。

 ほか、いろいろあるが、狩野元信の墨画『撃竹悟道図』がよかった。秋の野山の彩色が美しい、曽我蕭白の『鷹図』は「明大祖皇帝十四世玄孫蛇足軒 曽我左近次郎暉雄 入道蕭白画」という墨書があって、なんだろうこれは?と思ったら、この款記で有名な作品らしい(Wiki:曽我蕭白を参照)。明太祖(朱元璋)の末裔を名乗る大法螺である。

 『群鯉図』の黒田稲皐(とうこう)は江戸後期の画家で、鯉の絵にすぐれ「鯉の稲皐」と呼ばれた。かなり奇想派の画風である。鯉の正面顔が怖い。雪舟の『山水図』は、中央に高い山を描くのは周文ふうだが、近景、中景、遠景と重ねていくところが雪舟、という解説に納得した。全体に解説が詳しく、拡大写真など使った見どころ案内も分かりやすくてありがたかった。絵画以外に刀剣や茶道具もあり。陶器は、武骨で男っぽいものが多い印象だった。

 また、途中に「村山龍平記念室」があるのも面白かった。岡倉天心たちが主宰した美術雑誌『國華』の経営を引き継いだ人物でもあるのだな。なお、私が村山龍平と聞いて思い出すのは、第1回全国中等学校優勝野球大会で、着物に袴姿で始球式を行う写真である。最後に旧村山家住宅の茶室「玄庵」の原寸大再現もある。

 大阪・中之島に新しい楽しみが増えて、とても嬉しい。これからもちょくちょく寄らせてもらおうと思う。なお、豪華で内容のある図録を発売しているが、開館記念展の展示作品全ては収録されていないもよう。例えば、雪舟の『山水図』は未収録で、ちょっと残念
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天野山金剛寺落慶法要と「新国宝三尊」特別拝観

2018-04-02 00:26:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
天野山金剛寺(大阪府河内長野市) 金堂落慶記念「新国宝三尊」特別拝観(2018年3月27日~4月18日)

 平成21年(2009)に始まった平成大修理の完了、金堂の落慶を記念し、平成29年(2017)に国宝に指定された大日如来・不動明王・降三世明王の「新国宝三尊」の特別拝観があるというので行ってきた。



 金剛寺には、むかし一度だけ来たことがある。ずいぶん前のことで、もう曖昧な記憶しか残っていないが、検索したらブログに記事が出てきた。2005年4月のことだ。そうそう、ゆっくり見て歩いていたら閉門時間になっていまい、最も見るべき多宝塔と大日如来を見逃したのである。「また来る」なんて宣言しながら、13年も経ってしまった。

 その間、金剛寺では平成大修理が始まった。金剛寺の「平成大修理」記録サイトによれば、金堂三尊のうち、大日如来坐像と不動明王坐像が京都へ、降三世明王坐像が奈良へ搬出されたのは2010年春のことらしい。私が先に見たのは奈良国立博物館に安置された降三世明王坐像で、2011年秋の正倉院展に行ったときが初対面だった。日本の仏像の常識をくつがえすような大きさと迫力に圧倒された。京都国立博物館では、2014年秋に平成知新館がオープンして以来、彫刻室の中央を占める大日如来と不動明王のお姿を何度も拝見してきた。もはや京博の風景の一部のように思っていたのに、昨年秋、ふるさとにお帰りになってしまって、寂しくて仕方ないので、会いにきたのである。

 朝、東京を出発して、新幹線・地下鉄・南海線を乗り継ぎ、お昼前に河内長野駅についた。全く記憶はなかったが、想像していたよりも繁華だった。駅から30分ほどバスに乗る。山道ではあるが住宅は多く、山の中という感じはしない。「天野山」のバス停で下りると、門前には露店(落慶市)が並び、桜の下で大道芸を楽しむ人たちもいて、賑やかである。前日3/30(金)の夜には「みうらじゅん×いとうせいこう見仏記ライブ」も開催されたそうで、聴きたかったなあ。



 五色の幔幕のひるがえる金堂。ドキドキしながら中に入ると、見覚えのある三尊のお姿。しかし、一瞬、え?と思うくらい小さく見えた。距離があるせいか、あるいは建物お屋根が高いせいか、博物館で間近に見上げたときと比べると、半分くらいの印象だった。中尊の大日如来は、京博では台座なしだったが、ここではかなりボリュームのある蓮華座にお座りになっている。縦に燃え上がるような光背の先には、天蓋が吊るされている。天空を表すような青色の円の内側に金色の八葉蓮華、そしてたぶん金色の飛天が装飾されており、金の瓔珞が下がっている。堂内はほぼ自然光だが、大日如来のお顔のあたりに照明がかすかな当たっていて、濡れたような金の輝きがひときわ美しい。

 この特別拝観の案内に「金堂の落慶を記念して、特別に間近で拝観いただける機会を設けました」という一文があったので、実は、もう少し近づけるのかと期待していたが、内陣の縁の畳までしか許されなかった。まあ博物館みたいなわけにはいかないのだな…。視点がほぼ正面に限られると、胸の前の印相に自然と意識が集中するように思った。

 二躯の明王を見比べるのは初めてで、面白かった。火焔光背が、それぞれ外側に流れている。右の不動明王の火焔のほうが太く雄々しく、左の降三世明王の火焔のほうが細くて、チリチリ激しく燃え盛っている感じがする。不動明王は正面向きだが、降三世明王は首を傾げ、視線を右(中央)に向けている。カッコよくて痺れる。

 内陣の左右には、独立した障壁があって、内側には金剛界・胎蔵界の曼荼羅図、外側には四天王が二人ずつ描かれている。曼荼羅図の上には屋根?のように突き出た板があったり、内陣の中央を横切る太い梁に龍が描かれていたり、金堂内部の装飾はいろいろ興味深い。金剛寺の「平成大修理」記録サイトにたくさん写真が載っている。



 金堂の向かいの多宝塔。私は初めて見たので特に違和感はなかったが、修理前は全く彩色が落ちて、漆喰の白と木材の茶色だけの多宝塔だった。このたびの平成大修理で面目を一新し、創建当時の姿に復元されたようである。

いったん楼門を出ると、細い川(ほとんど涸れていた)に沿って塔頭らしい建物が並んでいる。前回、来たときも思ったが、韓国の寺院に似ている気がした。


 
 すぐ隣に「本日公開」の札を出している寺院(摩尼院書院)があって、桜がきれいなので入ってみた。ガランとして、特に見るべきものもなさそうな建物だったが、きれいにしつらえた一室があって、ボランティアのおじさんが「ここは南朝の行在所でした」と説明してくれた。金剛寺は一度も火事に遭っていないとか、あの多宝塔は日本最古級のものだが、慶長の大修理のとき、豊臣秀頼公ががんばりすぎて、新しい部材をたくさん入れてしまったので国宝になっていないとか、いろいろ面白い話を聞かせてくれた。多宝塔ではないが、金堂の裏の観月亭という建物を見ていたら、欄干の擬宝珠に「慶長」「秀頼」の文字が彫ってあった。何の説明もなく、露天にさらされていることに感心した。

 さっき自分のブログを読み直したら、前回、おばあちゃんから歴史講話を聞いたのは、この摩尼院書院だった。これほど荒れ寺然としてはいなかったと思うのだけど、月日が経ってしまったからなあ。それから北朝行在所だった奥殿がある本坊・庭園・小さな宝物庫も拝観した。お客さんはけっこういたけど、受付に若い女性がいた以外、お寺の方は見かけなかった。みんな落慶法要の手伝いで忙しかったのではないかと思う。

 こういう晴れのイベントに来合わせたのも嬉しいが、次回は何もないときに来てみたい。摩尼院のボランティアのおじさんは、ここは本来、学問のお寺だから、ああいう騒がしい催しは似合わない、と少し批判的だった。 

※参考:泉北ぐるりんウォーキング:天野山金剛寺コース(地図が詳しい)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする