見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

醍醐寺の桜・三宝院・霊宝館

2018-04-05 23:16:41 | 行ったもの(美術館・見仏)
醍醐寺三宝院 特別拝観(2018年3月24日~5月6日)

 週末関西旅行、2日目もどこか桜の名所にしようと思い、久しぶりに山科の醍醐寺に行ってみることにした。地下鉄醍醐駅からのコミュニティバスが、どんどんお客さんを運んでくれる。拝観は、三宝院・霊宝館・伽藍の3点セットで1500円。はじめに三宝院に入った。快慶作の弥勒菩薩坐像にお会いしたいと思ったのだ。昨年の『快慶』展、私は会期の早いうちに参観したので、こちらの弥勒菩薩にはお会いできなかったのである。

 門をくぐって玄関までのアプローチに、枝垂れ桜が何本も咲き誇っていて、目を奪われる。建物に上がると、美しい襖絵の座敷が続く。庭園はふかふかした苔に覆われ、緑が濃い。奥へ奥へと進んでいくと「ここから非公開」(追加料金500円)の関所に突き当たる。「この先、何があるの?」とためらうお客さんも多かったが、渡り廊下の先のお堂には、弥勒菩薩がいらっしゃると知っているので、私はここで引き返すわけにはいかない。いい商売だなあと思う一方、高い拝観料金のおかげで混雑が減るのはありがたい面もある、と思った。

 本堂の正面の濡れ縁から、座敷の奥にいらっしゃる弥勒菩薩を遠目に拝む。意外と小さく、なで肩が優しげだった。以前はもう少しよく見えたと思うのだが、外が明るすぎて、採光の加減がよくなかったかもしれない。

■醍醐寺霊宝館 春期特別展『醍醐の春~弘法大師空海と桜~』(2018年3月20日~5月15日)

 続いて霊宝館へ。映画『空海(妖猫伝)』を見たばかりで期待してしまったが、空海に関係する展示品はそんなに多くなかった。『弘法大師二十五箇条遺告』は、大師が入定の6日前に書き残したものだというが、黒々と四角い筆跡が若い頃の『聾瞽指帰』に似ていて不思議だった。調べたら原本は伝来していないみたい。空海の信奉者が、わざわざその筆跡も真似て書写したのかもしれない。

 本館には五大明王像が2組出ていた。大きいほうは上醍醐の五大堂のものだと思う。大威徳明王像だけが平安時代の作で、あとの4躯は江戸ものだが、大威徳明王がいちばんエキセントリックな顔をしている。背景に四天王や火天・風天(?)など諸尊を墨線だけで描いた3幅が掛かっていた。五大堂の壁画を模写したもののようだ。小さいほうは、不動明王踏み下げ像だけが鎌倉時代で、あとは江戸もの。また、別棟の仏像館にも五大明王像が1組あった。きわめて個性的な風貌で、全て平安時代って信じられない。特に大威徳が…まんまるい目の牛の背中に、いや正確には牛の背中にお盆のような平らな板を置いて、その上に跨っている。このとぼけた表情の牛、グッズ化したら絶対売れると思う。ぬいぐるみになったら欲しい。

 霊宝館は、武骨で巨大な薬師・日光・月光三尊と帝釈天騎象像・閻魔天騎牛像も印象的だった。それにしても不思議な組み合わせだ。仏像館の如意輪観音踏み下げ像(平安時代)は丸顔で手足が長く、躍動感がある。腕の木目がタトゥーみたいで色っぽい。千手観音像(平安時代)は全身黒く、腕が前に向かって揃っているのが特徴で、迫力がある。やっぱり密教仏はいい。



 そして霊宝館は、土塀に囲まれた有料エリアに入ったあと、展示館のまわりを一周すると、桜がすごい。前庭に大きな枝垂れ桜があるのは知っていたが、これほど多種多様な顔を見せる桜の木に囲まれているとは知らなかった。有料エリアなので、人が少なめなのもよい。たくさん撮った写真は、のちほどフォトチャンネルに上げるつもり。

 お寺の境内には珍しく、洋風カフェもある。café sous le cerisier(カフェ・スゥ・ル・スリジエ)といって、フランス語で「桜の下で」という店名なのものおしゃれ。※「京都・醍醐寺に、イケアの花見カフェ」(2017/4/1)。私は抹茶ソイラテでひとやすみ。



 最後に醍醐寺下伽藍を拝観した。仁王門をくぐると、しばらくは鬱蒼とした緑の木立(紅葉)で、やがて桜の点在する、開放的な境内に出るという空間演出がすごくよい。金堂では薬師三尊と四天王像を拝観。むかし、中に入ったことがあるが、ふだんは上がれないのだな。西国札所でもある観音堂には、御朱印を待つ人の列が長く伸びていた。久しぶりなのでいただいていくことにしたが、1時間近く並んでしまい、上醍醐に行く時間がなくなってしまった。

 おまけ:三宝院で見かけた「関係者以外立入禁止」の案内。お寺さん専用なのだろうか?



東寺(教王護国寺)宝物館 千手観音菩薩立像修理完成50周年記念『東寺の菩薩像-慈悲と祈りのかたち-』(2018年3月20日~5月25日)

 洛中に戻り、春季特別公開中の東寺の、宝物館だけでも寄っていくことにする。昭和5年(1930)「終い弘法」の日の出火で焼損大破してしまった千手観音菩薩立像と四天王像。千手観音は、昭和43年(1966)に修理を終え、宝物館に安置されたのだという。展示の見どころのひとつは、千手観音の右大脇手の内部から確認された檜扇。収まっていた状況の写真を見ると、ほぼ腕の太さ・長さに等しいくらいの檜扇である。墨書された文字や絵は、ほとんど読めなかったが「元慶元年(877)」の年紀があるそうだ。

 如意宝珠を手にした地蔵菩薩立像、痩せさらばえた聖僧文殊菩薩像は旧食堂の仏像である。妙に平たく縦長の地蔵菩薩立像(安富行長銘)は初めて見たが、近代彫刻みたいで面白かった。西院御影堂伝来。それから、旧食堂の千手観音と四天王の焼損前の貴重な写真も出ていた。
コメント (1)
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