見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

読解力は身を助ける/AI vs. 教科書が読めない子どもたち(新井紀子)

2018-08-15 20:12:22 | 読んだもの(書籍)
〇新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 東洋経済 2018.2

 国立情報学研究所の新井紀子教授によるAI本。はじめに、AIとAI技術は全く別物という重要な論点が提起される。AI(人工知能)と言うからには、人間の一般的な知能と同等レベルの能力がなければならない。そうした「真の意味でのAI」はまだ存在しておらず、近未来にも誕生しないだろう。しかし、AIを実現するための技術(=AI技術)(音声認識、自然言語処理、画像処理など)は格段に進歩し、すでに私たちの日常生活のパートナーとなっている。そのため、人々はAIへの過剰な期待と不安を抱いている。この説明は、とても明快で分かりやすく、納得できた。

 次にAI(正確にはAI技術)の進化の過程を、著者が主宰する「ロボットは東大に入れるか」(東ロボくん)プロジェクトの歩みを踏まえて具体的に解説する。YOLO(You Only Look One)と名付けられたリアルタイム物体検出システムや、クイズ王を打倒したワトソンというAIの登場。その達成は確かに素晴らしいけれど、動いている「仕組み」(からくり)を読むと、ちょっと拍子抜けする。ワトソンは、問題文からキーワードを選んで検索することで答え(らしきもの)を見つけているだけだという。

 一方、東ロボプロジェクトのセンター模試チャレンジは2013年から始まった。世界史、数学、英語など、科目によって攻略方法が異なるのが面白かった。数学は簡単に満点が取れそうだが、問題文を正しく理解することが意外なハードルになっていた。たとえば列車の「上り方向」と「下り方向」の意味を数学的に理解できるかどうか。英語では、人間なら普通に理解できる会話の「常識」がAIには理解できない。「今日は暑いね」と言えば、答えに「うん、寒いね」はないこと。「さっきは結んであった」と言えば「ほどけた」状態であること、など。あらためて、人間の頭の働き方の不思議さに感心した。

 コンピューターには意味が理解できない。この事実を私は少し忘れかけていた。何しろ最近のAIは「意味が分かっているかのように振舞う」ことが、かなり巧みだからである。AIが武器とするのは統計と確率である。質問応答ツールのSiriに「この近くの美味しいイタリア料理の店は?」と聞くと、あたかも質問の意味が分かったかのような答えを返してくれる。しかし「この近くのまずいイタリア料理の店は?」とか「この近くのイタリア料理以外の店は?」という問いに答えることはできない(ただし著者がこの問題を広めすぎたため、最近は改善されているらしい)。私はこれを、ジャーナリストの江川紹子さんが新井先生に対して行ったインタビュー記事で読んで、非常に面白く思った。

※Yahoo!ニュース:大事なのは「読む」力だ!~4万人の読解力テストで判明した問題を新井紀子・国立情報学研究所教授に聞く(2017/2/11)

 さらに興味深いのは、著者が最近の研究テーマとしているリーディングスキルテストの分析である。著者は、AIに読解力をつけさせるための研究蓄積を用いて、人間の基礎的読解力を判定するためのテストを開発し、累計2万5000人の小中高校生のデータを収集した。詳細は省くが、すでにAIの正答率も高い「係り受け」「照応」、まだAIには難しい「同義文判定」、AIには全く歯が立たない「推論」「イメージ同定」「具体的同定」の6つの分野からなる。単語も構文も扱われているテーマも、決して難しい問題ではないのだが、正答率は驚くほど低い。この結果から著者は、中高生の多くが「以外」や「のうち」を理解できないか読み飛ばしている、つまり「イタリア料理以外の店」を理解できないSiriと同じ読み方をしているのではないかと推定する。これは怖いけれど興味深い。読解力のある子どもは、好きなだけ部活に明け暮れても、教科書や問題集を「読めば分かる」のだから、短期間で成績を上げることができる。社会に出てからもマニュアルや仕様書を読んで、新しい分野で活躍することができる。しかし、読解力のない子どもにはその可能性がない。AIが人間の強力なライバルになる近未来を「AI並み」かそれ以下の読解力しかない彼らは生き抜いていけるのだろうか。

 我が身を振り返ると、私は読解力には自信がある。日本語の文章が読める能力なんて、外国語やITスキル、スポーツ・芸術方面の才能に比べたら、何の自慢にもならないと思ってきたが、さまざまな組織と仕事を渡り歩きつつも何とかやってこれたのは、読解力のおかげかもしれない。なお、私は小さい頃から読書好きだったが、著者によれば、どうすれば読解力が身につくかは分かっていない。読書習慣も学習習慣も、決定的な因子とは言えない。ただ、貧困が読解力にマイナスの影響を与えることだけは言えるそうである。

 私が、こうして何年も、本を読んでは文章を書く習慣を続けていることは、少なくとも読解力の維持に役立っているのではないかと思う。しかし、その一方、仕事で読む(読まされる)文章の質は年々下がり続けているので、筋を追い、意味を考えながら読むことを放棄し、「AI読み」で済ませることが増えている。この横着が悪影響を及ぼさなければいいのだけれど。
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グローバル・ヒストリーの隙間/辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦(高野秀行、清水克行)

2018-08-14 23:50:15 | 読んだもの(書籍)
〇高野秀行、清水克行『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』 集英社インターナショナル 2018.4

 世界の辺境を旅するノンフィクション作家・高野秀行氏と、日本中世を専門とする歴史家・清水克行氏の対談本第二弾。前作の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社インターナショナル、2015)がめちゃくちゃ面白かったので、今回も絶対面白いに違いないと分かっていて読んだ。本書は、三ヶ月に一度、共通の本を読んできて語り合うという形式の読書対談、いや読書合戦である。取り上げられた課題図書は、以下のとおり。

・ジェームズ・C・スコット『ゾミア:脱国家の世界史』みすず書房
・村井章介『世界史のなかの戦国日本』(ちくま学芸文庫)
・イブン・バットゥータ『大旅行記』全8巻(東洋文庫)平凡社
・『将門記』(新編日本古典文学全集)小学館
・町田康『ギケイキ:千年の流転』河出書房新社
・ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン:「言語本能」を超える文化と世界観』みすず書房
・松本武彦『列島創世記』(全集日本の歴史 第1巻)小学館
・野村剛史『日本語スタンダードの歴史:ミヤコ言葉から言文一致まで』岩波書店

 読んだことがあるのは『世界史のなかの戦国日本』だけだったが、日本史・日本文化に関する語りはすらすら頭に入った。『世界史のなかの戦国日本』について清水さんが、最近流行りのグローバル・ヒストリーは、出来が悪いと、結局、国家間のパワーゲームに終始してしまう。だけどこの本は、そういうのからこぼれ落ちる世界に目を向けている。年表風に政治的な出来事を並べていくと、それだけで世界史が分かる気になってしまうけれど、「実は国家が押さえているエリアって案外狭い。こぼれ落ちている世界のほうがよっぽど広いかもしれない」という記述があって、心の中で何重にも傍線を引いた。

 『将門記』については、平将門の事蹟はだいたい把握しているつもりだったが、やはり作品としてこれを読んでみたいと思った。将門が「新皇」を名乗るにあたっては、八幡大菩薩のお告げがあり、それを菅原道真の霊魂が取り次いだとか、弟に諫められると、中国大陸では契丹が渤海を滅ぼしたという国際情勢を言って聞かせるとか、新朝廷の役職を任命するのに暦博士だけは適任がいなかったとか、ディティールがいろいろ面白い。婦女暴行のシーンが多いとか、戦闘への恐れと拒絶が他の軍記物語に比べて深いという指摘も気になる。「将門が見た夢を頼朝が見なかったのはなぜか」もすごく知りたい。

 町田康の『ギケイキ』は『義経記』をベースにした小説で、これも面白そう。パンクなチンピラ(しかし頭脳明晰)に描かれているらしい義経もおもしろいが、それ以上に気になるのは頼朝の人物像で、高野さんが「人望だけがすごい。中国の古典に出てくる棟梁みたい」と的確に分析していた。なるほど、頼朝って劉邦や劉備なのか。余談で、『義経記』研究の第一人者である角川源義が、若手の国文学者や日本史研究者を支援したエピソードが語られていて、これも面白かった。

 14世紀のイスラム法学者、イブン・バットゥータの名前はどこかで聞いた覚えがあると思ったら、私は東洋文庫ミュージアムの『もっと知りたい!イスラーム展』で出会っているようだった。イスラム世界≒ほぼ国際世界を30年にわたって旅した記録『大旅行記』は東洋文庫で全8巻。うーん…読めるとしたら定年退職後かなあ。関連して、当時の日本がどこまでイスラム世界に接触していたか、若狭国の小浜に東南アジアのイスラム国の使者が象を連れてきたとか、足利義満に重用された貿易商人・楠葉西忍の父親はアラビア渡来人の可能性があるというのも面白かった。

 こんなふうに、私が関心を持ったのは、正史の間に「こぼれ落ちている」ような話ばかりだが、どれも微小な回路を通じて、大海のように広い世界に通じている気がするのである。
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明治150年に読む会津人の歴史/斗南藩(星亮一)

2018-08-11 00:26:59 | 読んだもの(書籍)
〇星亮一『斗南(となみ)藩:「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』(中公新書) 中央公論新社 2018.7

 斗南藩とは戊辰戦争後、朝敵の汚名をこうむった会津藩の人々が、現在の青森県の下北半島を中心とする旧南部藩の地に流罪として移住し、作り上げた藩の名前である。しかし廃藩置県で、すぐに弘前県(のちに青森県)に合併されたので、斗南藩はわずかに一年半しか存在せず、知名度は低かった。――これは本書冒頭の一段落である。

 私は、小学生の頃、明治維新を、ほとんど無血革命のように考えていたが、次第に上野戦争とか戊辰戦争とか西南戦争とか、大小さまざまな内戦の存在を意識するようになった。会津戦争(会津城籠城戦)の悲惨さを知ったのは、ずいぶん大人になってからで、星亮一氏の『会津戦争全史』(講談社、2005)によるところが大きい。しかし、敗者となった会津藩のその後、転封先の「斗南藩」で人々が舐めた辛酸は、まだぼんやりとしか理解できていなかった。

 本書は、明治元年(1868)9月22日の会津鶴ヶ城の落城から始まる。明治2年には、会津降伏人総数1万7千人のうち1万2千人を蝦夷地に移住させることが決まり、先発隊が船で小樽に運ばれ、余市、古平、忍路などに分散収容された。私は2年間だが札幌に住んだことがあって、当初は「北海道には歴史がない」と思っていたが、こういう記述を読むと土地の見方が変わる。明治3年、北海道開拓の所管が兵部省から開拓使に替わったことにより、会津人は斗南藩に引き渡されることになった。

 明治3年5月から10月にかけて、会津若松からの移住計画は船便と陸路で進められた。『ある明治人の記録』で知られる柴五朗(本書では柴五郎)一家は東京から船で移住している。冬は氷点下二十度にもなる厳しい寒さ、家も布団も満足になく、蕨の根や拾った昆布で飢えをしのぎ、空腹を満たすためには何でも食べた。しかし熱病や栄養失調で病人や死者が続出した。著者は(たぶん)さまざまな記録に当たり、斗南の壮絶な暮らしを具体的に描き出している。なお「斗南」というのは「北斗以南皆帝州」(中国の詩文より)から出たという解釈があるそうだ。きれいな言い回しだが、ほんとに中国の詩文かどうかはあやしんでいる。

 明治4年、廃藩置県が実施され(余談だが、島津久光は鹿児島湾に盛大に花火を打ち上げ、西郷を罵倒して怒り狂ったって面白すぎる)斗南藩は斗南県となった。斗南の行政を担ったのは、山川浩(1845-1898)、広沢安任(1830-1891)、永岡久茂(1840-1877)である。広沢は斗南ほか五県の合併を推進し、明治4年、青森県を成立させた。初代青森県知事の野田豁通は旧斗南藩士による開拓を中止し、移住の自由を認めた。

 こうして「斗南藩」は消滅し、旧会津藩の人々は、さらにバラバラの人生を歩み続ける。山川と永岡は東京へ。永岡は、明治9年、前原一誠の萩の乱に呼応して思案橋事件を起こすも、失敗して獄死する。山川は西南戦争に参加。戦後は「軍人として陽の目を見ることはなかった」で本書は結ばれているが、高等師範学校校長、貴族院議員になったのだから、栄達を遂げたと言ってよいのではないか。いちばん面白いのは広沢安任で、下北に残り、牛馬の牧畜に取り組み、明治9年の明治天皇東北御巡幸では、内務卿大久保利通にバターやチーズ、牛乳を供している。50歳を過ぎて若い妻を娶るなど、幸せな晩年だったらしい。この三人の人生はぜひドラマで見てみたい。

 本書は蝦夷地に渡った会津藩士についても語る。箱館戦争の際、榎本武揚の艦隊に乗り、蝦夷地に渡った会津遊撃隊の人々。廃藩置県後、下北半島の厳しい生活に耐えきれず、北海道に逃亡した人々(琴似の屯田兵に旧斗南藩士の記録が残されている)。また、斗南以前、最初に蝦夷地に送られたまま余市に住み着いた人々もいる。ここも斗南にまさるとも劣らない北辺の地で、エゾシカの通る獣道しかなく、余市川のサケや浜のニシンでなんとか食いつないだ。余市の開拓が軌道に乗るのはリンゴの栽培が盛んになった明治30年代以降であるという。NHKの朝ドラ『マッサン』(現在再放送中)の設定は、この歴史を踏まえたものだ。

 著者は会津藩の歴史を世に知らしめるため、多数の著書を執筆しているが、会津藩が全て正しく、薩摩・長州が全て悪いとの立場をとっているわけではない。印象的だったのは、「会津藩は農民と武士の間に軋轢があった」という率直な記述である。これは、戊辰戦争時に若松城下で傷病兵の治療にあたったイギリス人医師(へえー)の見聞によるものだが、会津藩の圧政と借款の強制に苦しんでいた農民たちは、会津藩が敗れたことで、これまでの不満を爆発させ、村役人の家に放火するなど「ヤアヤア一揆」を引き起こしたのだという。知らなかった。

 まあしかし、普通の人々に長い長い苦しみを強いるような戦争は起こしてはならない。明治150年を迎えて再確認するのは、そのことだけで十分ではないか。
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諸本の広がり/平家物語-妖しくも美しき―(国立公文書館)

2018-08-08 21:08:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立公文書館 平成30年度第2回企画展『平家物語-妖しくも美しき―』(2018年7月21日~9月1日)

 国立公文書館の展示が好きでよく見に行くが、所蔵資料の特性から言って、やはり近世と近代が中心で、ほかの時代を扱うのは難しいだろうと思っていた。それが、今回のテーマは『平家物語』だという。平清盛(1118-1181)生誕900年を迎える記念の夏とは言え、なんという曲せ球を投げ込んでくるのか、と思った。しかも、教科書どおりの「諸行無常の武士たちのドラマ」だけでなく「その背後に暗躍する怨霊・天狗・魑魅魍魎!」にフォーカスしてくれているのが嬉しい。展示資料はほとんどが撮影可で、SNSなど積極的に拡散することが喜ばれている。

冒頭には『大臣影』(文久3年写)から平清盛の肖像。



『平家物語』のあらすじは、主に江戸時代の挿絵入り版本によって紹介されている。刊年不明、全12冊の「元老院旧蔵」本だそうだ(なぜ元老院!?)。写真は、物語の冒頭、熊野参詣に出かけた清盛の船に鱸(すずき)が飛び込んできたところ。平家の栄華はここから始まった。大河ドラマ『平清盛』の鱸丸=平盛国の設定を思い出して、しみじみ胸が熱くなった。しかし絵を見ると、飛び込んできた鱸は、すぐ料理されてしまったんだな。



橋の上の禿(かむろ)たち。うわああ、これもドラマの名場面がよみがえる。禍々しい赤い衣の童子たち、まさに「妖しくも美しき」存在だった。



内務省旧蔵『刀劔図』から、平家一門の重宝である小烏丸(こがらすまる)太刀の図。古風な鋒両刃造である。小烏丸は、現在は皇室御物となっている。どこかで見たような気がして、自分のブログを調べたら、2015年に根津美術館『江戸のダンディズム-刀から印籠まで-』展で、小烏丸を明治時代に写した刀を見たのだった。



『平家物語』には多様な諸本があり、別の題名を持つ『源平盛衰記』や『源平闘諍録』も異本のひとつと見なされることは、かつて大学の講義で習った。私は標準的な『平家物語』しか読んでいないのだが、異本には異本だけの、いろいろ面白い伝承が紛れ込んでいることをこの展示で知った。

壇ノ浦で平家が滅んだあと、源義経は海女の母娘(老松・若松)を潜らせて宝剣を探させた。すると海底には豪華な宮殿(!)があり、平家一門が暮らしていた。剣は安徳天皇と共に大蛇に抱かれていた、というエピソードは『源平盛衰記』にある。また、写真は義経を主人公とした『十二段草紙(浄瑠璃物語)』で、御曹司(義経)と浄瑠璃御前を二人の天狗と「妖しき」ものたちが助けに来たところ。扇は白鳩(屋根の上)に、源氏の重宝・友切丸(髭切)は龍に変化している。この場面!岩佐又兵衛の『浄瑠璃物語絵巻』と基本は同じだ!と感激した。



そのほかにも、文学史で習う平家物語の諸本の書写が出ていて、おお、覚一本!延慶本!中院本!と、いちいち感激していた。「葉子七行本」と通称される、国立公文書館のみが所蔵するという珍しい本も展示されていた。古活字本が複数あって、見比べるのも面白かった。
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アイスショー"THE ICE 2018" 愛知公演2日目(千秋楽)

2018-08-06 22:23:38 | 行ったもの2(講演・公演)
THE ICE(ザ・アイス)2018 愛知公演(2018年8月5日 14:00~)

 思い立って、またアイスショーを見てきた。"THE ICE"は2007年から開催されている老舗のアイスショーだが、私は一度も行ったことがなく、チェックもしていなかった。それが、先週末、大阪公演の様子がSNSに流れてきたら、なんとボーヤン・ジン(金博洋)が出演しているのか! ネイサン・チェンも! 宇野昌磨くんとのスリーショット最高じゃないか!!と衝撃を受けた。慌てて翌週の愛知公演のチケットを探して、日曜公演(千秋楽)をゲットした。

 会場は、愛知県長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)アイススケート場である。ここはアイスショーのための仮設リンクではなく、ふだんは誰でも滑れるスケート場として営業されている。利用者のためのロッカーや貸し靴のカウンターが黒い布で雑に隠されていて、逆に微笑ましかった。最もリンクに近い2列が「氷上プラチナシート」で、私はその後方の「アリーナ席」の最前列だったが、パイプ椅子をつなぎあわせた席で、かなり窮屈だった。しかしリンクが近くて、スケーターの表情がよく見えるし、目の前を通り過ぎていくときのスピードが実感できるのはすごくいい。

 オープニングは、全ての出演スケーターが、それぞれ自分の衣裳で登場し、わちゃわちゃと滑った。宇野くんは黒をベースに上半身キラキラの、彼としては比較的落ち着いた雰囲気の衣裳。坂本花織ちゃんはスカートがふくらんだ緑色の衣裳。ボーヤンは素肌にベスト(?)のワイルド系だった。

 出演者を全て書いておくと、男子は、宇野昌磨、ネイサン・チェン、ドミトリー・アリエフ、ボーヤン・ジン、セルゲイ・ヴォロノフ、無良崇人、織田信成、友野一希。女子は、アリーナ・ザギトワ、宮原知子、ガブリエル・デールマン、坂本花織、三原舞依、長洲未来、マライア・ベル、本田真凜。アイスダンスのガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シズロン(パパシズ)、ペアのヴァネッサ・ジェイムス&モルガン・シプレ。そして「Next Generation」枠で日本のジュニア選手が日替わりで参加。千秋楽は横井ゆは菜ちゃんだった。

 ボーヤンのスパイダーマン・プロは初めて見た。ジャンプは盛大にコケてしまったが、終始楽しそうで何より。背が高くなり、腰まわりががっしりして、動きがシャープになった。そしてお客さんへのアピールも別人のように上手くなった。私の後ろの女性グループは「かわいい~かわいい~」と叫びっぱなしで、演技後は客席のあちこちで応援バナーや中国国旗が掲げられていた。なにこの人気! 友野一希くんのリバーダンスは、半端ない運動量と熱量で魅せる。前半の最後は、先月、暴漢に襲われて不慮の死を遂げたデニス・テン(カザフスタン)を追悼する特別なプログラム。男女10人ほどのスケーターが黒衣装に白いスカーフをつけて登場し、デニスの思い出の曲「Tu Sei」に載せて鎮魂の祈りを表現した。

 後半は、ご陽気な「ジャンプ大会」でスタート。進行役の織田信成くんと長洲未来ちゃんがリンク上に登場する。はじめに女子チャンピオンのザギトワがドアラの扮装で登場。頭にドアラの耳をつけ、小さな秋田犬(マサル)のぬいぐるみを三匹くらい抱いた姿は超キュート。リンクをまわって、お客さんにマサルをプレゼントしていた。続いて登場した宇野くんはなんと女装。黒Tシャツの上に縦じまの肩紐ワンピースを着て、短い髪はツインテールふうにピンクのリボンで結び、両頬にピンクのハートを描き入れて、可愛いのか不細工なのかよく分からない。しかし、この扮装でも、ジャンプはきっちり決め、お客さんの拍手でザギトワを上回って勝利した。

 勝利者インタビューで織田君が「今日はある方が見に来ていらっしゃるそうですね」と尋ねる。宇野君の「ええ、浅田真央さんが…」の答えに場内どよめき。どうやら北側アリーナの高いところに座っていたようだが、私の位置からは機材に隠れて見えなかった。"THE ICE"は浅田真央による真央ファンのためのアイスショーと言われてきたもので、今年は浅田真央の出場しいない「新生THE ICE」の公演だった。その結果、私のように新たなお客が引き付けられて来た一方、長年のファンはどこか寂しかったに違いない。素敵なサプライズを見せてもらった。

 三原舞依ちゃん、坂本花織ちゃんは、それぞれ持ち味を生かしたプロで、挑戦する姿が男前でカッコよかった。アリエフとヴォロノフは、ロシア男子らしい芸術性の高いプロ。ネイサン・チェンの「キャラバン」は、ずーっと滑って回って跳んで動きっぱなしなのに音楽から微塵もブレない。すごい。トリは宇野昌磨くんの「天国への階段」で、小さい体が圧倒的に大きく見えた。

 フィナーレは、ザギトワ、長洲未来、宮原知子が白いお姫様衣装で登場し、ザギトワがひとり残ったところに宇野昌磨くんが現れて、王子とお姫様スケーティング。ザギトワが退場すると、客席からネイサンとボーヤンが踊り込んできて、男子三人のコラボ! ネイサン→昌磨→ボーヤンの順にきれいなジャンプをきめて、会場大歓声だった。

 そしてグランドフィナーレは客席もマサルダンス(詳細略)で盛り上がる。スケーターたちの周回が終わって、いったん退場したあと、拍手に応えて、みんなもう一回出てきてくれた。そしてアンコール周回も終わったかと思ったら、なぜか宇野昌磨くんだけが、再登場。宇野くん、何かパフォーマンスをするわけでもなく、困ったような表情でリンクの中ほどまで出てきて、ぺこっと頭を下げて戻って行った。人のよさ全開で笑ってしまった。
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図録で徹底解読/「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ(出光美術館)

2018-08-05 22:23:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ』(2018年7月28日~9月9日)

 江戸を題材とした都市図の魅力を紹介する展覧会。名所図、祭礼図、風俗図など、屏風を中心に肉筆浮世絵や図巻を含め30余点。比較対象として、京都の景観を題材にした洛中洛外図や阿国歌舞伎図も出ている。細見美術館から『江戸名所遊楽図屏風』1点が出陳されているほかは、全て出光美術館の所蔵品で構成されている。

 最大の見ものは、平成27年(2015)に重要文化財に指定された『江戸名所図屏風』八曲一双だろう。ちょっとマンガっぽい(顔が大きい)個性的な人物がぎっしり書かれていて、陽気で華やかな作品だ。注文主や制作年代については、黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』(角川選書、2014)が興味深い推論を展開している。それを思い出して「向井将監邸」と下がり藤の家紋をつけた船、「浅草三十三間堂」には、忘れずチェックを入れた。あと、馬と牛の数(圧倒的に馬が目立つ)とか、歌舞伎(遊女歌舞伎か若衆歌舞伎か)なども、都市景観図を見るときのチェックポイントであることを思い出して、気を付けて見た。なお、作品から少し離れたところに黒田日出男先生の推理がパネルで紹介されていた。これは、たぶん同館では初めてのことで(2016年の展示のときはなかった)嬉しかった。

 今回、気になったことをメモしておく。左隻に人形浄瑠璃の小屋があるのだが、太夫と三味線は舞台の奥(客から見えないところ)で演奏しているようだ、人形遣いらしい男は上半身裸。また、右隻では刀を抜いた十数人の斬り合いが起きており、その中に朱鞘の若侍がいる。日本橋から神田へ続く通りには、中国服(朝鮮?琉球?)みたいな不思議な着物の二人連れがいる。浅草寺の境内には南蛮服姿も見られるが、これは祭りの仮装らしい。祭りの行列には、伎楽の獅子舞みたいなのもいる。

 かなり注意深く観察したつもりだったが、本展の図録には、この屏風の右隻・左隻を各48分割(一扇を6分割)して図録の1頁に収めるという、高精細カラー図版が掲載されている。図録の三分の二くらいのページがこの作品の写真で埋まっているわけだが、大英断! 今後、この作品の入門研究に必携の図録になると思う。図録のおかけで、私は展示会場では気づかなかったものをいくつか見つけた。ひとつは右隻、浜町のあたりの家の中に灰色の猫がいる。犬は何匹か描かれているけど、猫はいないなあと思っていたのだ。気づかなかった。それから左隻の中橋のたもとで莚に座って何かを売っている男は、どうも銭売りらしい。ほかにもちょっとした持ち物や売り物、芝居の小道具、頭巾や笠のかぶりかた、着物の柄などが細かく描き分けられていること、遠景のお城や船、橋など構造物の描き方が手堅いこと、植物も何種類かを意識的に描き分けていること、などが分かった。

 遠景の極端に小さい人物は、前景の丸っこくて親しみやすい人物を描いたのと別の筆ではないかと思う。前景の人物は、全部同じ人が描いているように思うが、よく分からない。しかし、これだけの多種多様な人間の姿を、生き生きと描くためには、さまざまな場所に出かけていって、人間観察とスケッチを積み重ねたのではないだろうか。絵手本にたよるだけは、このような作品は書けないと思う。

 その他の作品を駆け足で。『江戸風俗図屏風』六曲一双は、右隻にさまざまなスポーツ(?)が描かれている。相撲、競馬、四角いケージの中で行われている蹴鞠など。ぼんやり見た記憶のある作品だったが、図録解説に「静嘉堂文庫美術館にほとんど同じ構成を取る屏風が収蔵されている」とある。もしかして、先日『酒器の美に酔う』展で左隻だけ見たものだろうか。『祇園祭礼図』は、長刀鉾、月鉾、船鉾、蟷螂山、浄妙山など、今と同じ山鉾が描かれている。

 『阿国歌舞伎図屏風』は2点出ていて、私は江戸時代のもの(金地の背景、阿国は露面で刀を背中にかつぐ)は何度か見ているが、桃山時代のもの(桜の下の舞台、阿国は頭巾を被り口元を布で隠して腕組み。切れ長の目元が妖しく色っぽい)は初見かもしれない。図版は何度か見ているが。どちらも囃方が鼓と太鼓だけで三味線が見えない点で古い形態を伝えているという。『歌舞伎・花鳥図屏風』(裏面が花鳥図)には、三味線が見える。

 もう少し時代の下った歌舞伎興行を描いた屏風も複数出ていて、『中村座歌舞伎図屏風』は18世紀後半の作と推定されている。芝居小屋前の賑わいを描いていて、絵看板や役者替表、華やかな飾りつけが楽しい。美人画の背景に描かれた江戸の名所を読み解くのも面白いと思った。
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2018年7月関西旅行写真帖

2018-08-02 21:31:31 | なごみ写真帖
先月の関西旅行の写真から。



神戸市東灘区御影の香雪美術館に行ったついでに、隣りの弓弦羽神社に参拝してきた。その名前から、羽生弓弦選手のファンの「聖地」とされている神社である。私は、たぶん2010年頃(バンクーバー五輪より後)初めて香雪美術館に来てみたら、休館日でがっかりした記憶がある。そのとき、頼りにしていた携帯(まだスマホじゃなかった)の地図に「弓弦羽神社」という地名を見つけて、なんだこのステキな名前の神社は、と思って、興味津々、境内に足を踏み入れてみた。深い森に囲まれた神社だった。その後も一度、このあたりの観光に来て、阪急線の御影駅を目指して歩いていて、この神社に迷い込んだことがあった。



今回は、ようやくちゃんと参拝して、御朱印もいただくことができた。絵馬の奉納所には、羽生くんファンの「作品」と思われる、イラストや写真入りの手の込んだ絵馬が多数あって、楽しかった。



御祭神は、伊弉册神(イザナミノミコト)、事解男神(コトサカノオノミコト)、速玉男神(ハヤタマオノミコト)で根本熊野三所大神という、熊野三所権現とは違うのかな?熊野本宮大社と同じ、三本足のカラスをシンボルにしているようだ。

さて、大阪では文楽公演を見てきたのだが、幕間に技芸員さんたちがロビーに出て、西日本豪雨災害の義援金募金を呼びかけていた。



募金をして、吉田和生さんの遣うお姫さまと握手させてもらった。嬉しい。
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知られざる琉球絵画と染織・漆器/琉球(サントリー美術館)

2018-08-01 22:35:26 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『琉球 美の宝庫』(2018年7月18日~9月2日)

 多くの島々からなる沖縄は、かつて琉球と呼ばれる海上王国だった。本展は、鮮やかな紅型に代表される染織や、中国・日本から刺激を受けて描かれた琉球絵画、螺鈿・沈金・箔絵などの技法を使ったきらびやかな漆芸作品を中心に琉球王国の美を紹介する。

 はじめに琉球の染織。沖縄らしい、色鮮やかな紅型(びんがた)の着物が多数並ぶ。そうだ、以前もこのサントリー美術館で紅型の展覧会を見たことがあった、と思い出す。2012年の『紅型 BINGATA』展のことだ。それ以外にも、私は主に日本民藝館の展示で、定期的に紅型の着物を見ていると思うのだが、「民藝」テイストのコレクション(これはこれで好き)と違って、本展には、洗練された「モード」を感じる紅型が集められているように思った。『黄色地垣根に牡丹鳳凰模様衣裳』(大和文華館)は、裾と腰の位置に水平に入る白黒の竹垣模様がおしゃれ。『白地流水蛇籠に桜葵菖蒲小鳥模様衣裳』(沖縄県立博物館・美術館)の色絵の繊細なこと。図録を見ると、後期にすごく大胆な染め分け模様の着物が出るようで、これも見たい。かわいい絣やシックな縞も好きだ。

 次に琉球の絵画。開催趣旨に「近年の東京でまとまって公開されることがなかった琉球絵画は見所のひとつ」とうたわれているが、確かにこんなに多数の琉球絵画を見るのは初めてのことだ。琉球絵画(近世琉球期)は和漢の諸作品から刺激を受けながら独自の発展を遂げており、特に中国・福州画壇と強いつながりがあるという。伝・城間清豊の『李白観瀑図』は、よくある題材を描いて違和感のない水墨画だった。座間味庸昌の『雪中雉子之図』は呂紀ふうの花鳥画を模写したもの。そうした、絵画史に位置づけやすい作品とは別に、朗世寧を思わせる馬の図、顔だけが妙に緻密で写実的な正面向きの肖像画(同時代の中国絵画にたまにある)、浮世絵の一種ともいうべき琉球美人図や仲睦まじい男女の図、さらに那覇の港と首里の風景をパノラマ的に描いた屏風が複数あり、比較するのも楽しかった。

 階段下のホールでは琉球国王尚家ゆかりの美術品を特集。おや、『玉冠(付簪)』がある! 本物は8/22以降の最終節のみ展示だが、他の期間は復元品が展示されているのだ。本物も18-19世紀の品で、写真で見るとあまり古色がついていないので、復元品とそんなに差がないように思う。冠の頭部には、12筋の金の帯(金の小板を張り付けたようだが、よく見ると金糸を縫い付けたもの)が通っていることを数えて確認。金の筋に沿って、金、銀、珊瑚、瑪瑙、水晶などの珠が並んでいる。法則性があるような、ないような、美しい散らばり方。

 ほかにも尚家伝来の衣裳や漆器など。『漆巴紋牡丹沈金馬上盃』は、蓋つきのどんぶりみたいな大盃で。え、馬上盃?と思ってよく見たら、盃の脚(持ち手)が、四足の台の穴に納まっていた。野球のボールを串に突き刺したような、巨大な『聞得大君御殿雲龍黄金簪(きこえおおぎみウドゥンうんりゅうおうごんかんざし)』! 見た目と異なり、頭(カブ)より柄(ソー)のほうが重いそうだ。聞得大君といえば、2011年のNHKドラマ『テンペスト』にハマったことを思い出す。なつかしい~。ノロの祭祀に用いる『神扇』も、色の剥がれ具合と汚れ具合が、実際に使われた記憶を感じさせた。

 続いて琉球の漆芸。朱漆の沈金や密陀絵は、南国風というか異国風で目を引くが、やっぱり黒漆の螺鈿がよい。照明を絞っているので、適当に姿勢を変えて、視点を動かして見ると、思わぬところがキラリと光る。青やピンクの貝殻が贅沢に使われていて、華やか。漆器は「浦添市美術館所蔵」のものが多かった。興味を持って、ホームページを覗いてみたら「日本初の漆芸専門美術館・沖縄初の公立美術館」なのだそうだ。行ってみたい!

 最後に、染織家であり沖縄文化研究者である鎌倉芳太郎(1898-1983)が残した調査のーとや沖縄の古写真が展示されていた。戦前の首里城正殿! 私は現在の復元首里城しか知らないが、壁は質素な板木(何も塗られていない)のように見える。正面の唐破風の上には龍の首。円覚寺の釈迦三尊像と須弥壇後壁の金剛会図(青海波?の上に諸仏と諸天が集う)も興味深く眺めた。沖縄、また行ってみたいなあ。今年の冬あたり考えよう。
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