見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

私たちの働き方/日本社会のしくみ(小熊英二)

2019-08-16 23:05:52 | 読んだもの(書籍)

○小熊英二『日本社会のしくみ:雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書) 講談社 2019.7

 「日本社会のしくみ」の重要な構成要素として「学歴重視」と「勤続年数重視」がある。そもそもどんな経緯でこういうしくみが出来上がったのか。本書は、日本社会を規定している「しくみ」(=慣習の束)を歴史的に解き明かしていく。

 第1章は、日本社会での生き方に「大企業型」「地元型」「残余型」の3類型があることを確認する。日本型雇用のコア部分である「大企業型」(正社員として定年まで勤める)は有業者の3割弱で、この数字は昭和の時代からほとんど変わっていない。非正規雇用は増えているが正社員はさほど減少しておらず、非正規雇用の増加分は「地元型」に多い自営業の減少によるところが大きいという。

 第2章・第3章では、英米仏独など他国の働き方がどのような歴史的経緯で出来上がってきたかを概観する。欧米企業には、上級職員・下級職員・現場労働者の三層構造があり、企業横断的に採用や昇進が行われる。同じ職務なのに大きな賃金格差があれば労働者は他企業に移動してしまうから、あまり差はつけられない。だから職務による賃金差はあっても、企業規模による格差は意識されない。こうした慣行は中世の職種別組合に始まるという解釈もあるが、むしろ近代の労働運動、公民権運動、専門職団体の存在などの中で育ったという分析は新鮮だった。

 第4章以降は、いよいよ日本に焦点を絞る。明治期の官庁には「高等官」「判任官」「等外」の三層構造があり、高等教育を受けた者が任用される高等官(特に奏任官)の制度が日本型雇用の起源となった。当時の考え方として、官吏は国家に対して終生のコミットメントを誓うことで終身保障を約束されたこと、官吏の俸給は職務の対価ではなく身分給(威厳ある生活を保つためのもの)だったこと、「無定量勤務」が原則で勤務時間がなかったこと(勤務時間は極めて短かった)など非常に面白かった。

 明治期の日本では、欧米に比べて高等教育を受けた人材が不足していたことから、新卒一括採用、定期人事異動、年功昇進、「課」や「室」を単位とした大部屋主義など、日本独特の慣例が生まれた。一番面白かったのは、企業が大学に期待していたのが、一般的な知的能力や「人物」をスクリーニングする役割だったこと。確かに試験と面接だけで選抜するのはコストがかかるので、賢明な選択と言えなくもない。

 さて戦後である。戦争による一体感の高まりと戦後の生活苦による平準化から、戦後は「社員の平等」化が進み、年齢と家族数に応じた生活給のルールが確立された。戦後すぐの生活給は勤続年数とは連動していなかったが、さまざまな理由で、勤続年数(経験年数)を能力評価に含めた年功賃金ができあがっていく。経営側にとって長期雇用と年功賃金の広がりは重荷だったので、「同一労働同一賃金」の職務給が提唱されたこともあったという。しかし労働者はこれを支持しなかった。また経営者も、企業横断的な賃金基準ができることで、経営権が制約されることを嫌った。

 高度成長期に入ると、高等教育の大衆化が進み、大卒者が急増して、企業は上級職員・下級職員・現場労働者の三層構造を維持できなくなった。代わりに導入されたのが「職能資格制度」で、職務ではなく「どんな職務に配置されても適応できる潜在能力」によって社内の等級を与える制度だった。現場労働者までを含む、すべての従業員が一元的な資格等級で序列化される(ただし企業間の互換性はない)制度が完成したわけである。なるほどね。私の働き方を決めてきた制度は、こうしてできたものだったかと初めて納得した。しかし、この制度を裏で支えたのが、女性従業員の早期退職制だったということは忘れないでおきたい。わずか数十年前のことなのだ。

 その後も企業は「日本型雇用」の重荷に苦しみ、出向・非正規・女性など「社員の平等」の外部を作り出していく。外国人労働者もその延長上にあるのだろう。年功で右肩上がりに賃金が上がる者を正社員と呼ぶなら、竹中平蔵の「正社員をなくせば非正規社員の待遇は上がる」という発言には一面の理があるのかもしれないとも思った。正しい(あるいは、少なくともよりよい)社会のしくみはどうあるべきか。雇用問題を雇用だけで考えるのではなく、社会保障との政策パッケージで考えるべき、という著者の提言はひとつの方向性を示している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019夏休み旅行:室町将軍(九州国立博物館)

2019-08-14 23:47:14 | 行ったもの(美術館・見仏)

九州国立博物館 特別展『室町将軍-戦乱と美の足利十五代』(2019年7月13日~9月1日)

 3連休に職場の一斉休業が2日ついて、5連休になった。土曜の日中は所用があったので、土曜の夜に福岡へ飛び、九博と大宰府。日曜の夜に大阪(伊丹)に飛んで2日間遊び、火曜帰京。今日(水曜日)は東京で休息、という予定を立てた。まず九州に飛んだのは、この展覧会がどうしても見たかったから。いま何かと話題の室町時代に注目し、室町幕府の栄枯盛衰と個性あふれる将軍たちの魅力に迫り、多彩な芸術文化を紹介する。こんな面白い特別展を九博だけでやる(巡回なし)のはほんとにズルい。

 私は、この展覧会を九州でやる意味がよく分からなかったのだが、冒頭に大宰府に滞在中の尊氏が軍勢を立て直し、政権奪取のため進発することを記した『足利尊氏御教書』(建武三年/1336)があって、「室町幕府の始まりは大宰府から」ということが分かった。その尊氏の肖像画が2種。長らく尊氏像とされてきた『騎馬武者像』(京博)は高師直あるいはその子師詮という説が有力になっているという。しかし大太刀を肩にかつぎ、顔の見えないほどたてがみの乱れた黒馬にまたがる姿は勇壮でカッコいい。髭が濃く、少し月代を剃ったざんばら髪なのが、蒙古武者を思わせる。一方、広島・浄土寺に伝わる、束帯姿の『足利尊氏像』は初めて(?)見た。耳と鼻が大きく、ふっくら丸みのある顔立ちで、温厚篤実な人柄を感じさせる。手紙などから覗える尊氏のイメージにはこちらのほうが近いかも。広島・浄土寺って、尾道の浄土寺か!

 京都・宝筐院の『足利義詮像』も同じようにふっくらした顔立ちで、浄土寺の尊氏像によく似ている(なぜ上目遣い)。実は尊氏像ではないかという指摘もあるそうだ。京都・鹿苑寺の僧形の『足利義満像』も出ていた。衣や袈裟は華やかだが、なぜこんなに困り顔なのか。

 本展は、このほかにも歴代将軍の肖像画が集められていて興味深かった。4代・義持は父親譲りの困り顔。12代・義晴は、死の前日に描かれたスケッチ、あるいはそれをもとに描かれた肖像(土佐派絵画資料)が残っていて、まるでイメージのなかった将軍だが、忘れられなくなってしまった。あばたの残る13代・義輝のスケッチは人間味がある。

 義満・義持の日明貿易に関連して、勘合貿易の「勘合」の複製(内容は橋本雄先生の創作)と体験式の詳しい説明があったのも面白かった。なるほどこういうシステムなのか。そして文書がデカい(新聞紙くらい)。永楽帝が義満に与えた金印の「日本国王之印」は失われてしまい、実際に使用された模造の木印が山口・毛利博物館に伝わっている。

 美術品もいろいろ来ていたが、展示ケース内に違い棚を拵え、唐物の名品を組み合わせた展示が目を引いた。徳川美術館の『古銅鴨形香炉』に福岡市美術館の『唐物肩衝茶入(松永)』に東博の『目天目』。選ぶ仕事も楽しいだろう。東博の『出山釈迦・雪景山水図』も3幅揃いで久しぶりに見た。その前に青磁の花入一対と銅製の三具足があって、宋~明のものだろうと思ったら、三具足が江戸時代の国産品(池坊総務所所蔵)だったのにはびっくりした。しかしよくできていた。能阿弥の『蓮図』、青磁輪花茶碗の『馬蝗絆』が出ていたのも嬉しかった。大和文華館の『雪中帰牧図』や山梨・久遠寺の『夏景山水図』もあって驚く。伝・牧谿筆『双鳩図』(個人蔵)は初見のような気がする。よくふくれていて可愛かった。

 最後に京都・等持院の歴代将軍像が並んでいて、写真撮影可(ただしあまり彫像に近づけない)になっていた。本展のポスターにも使われている義満像。

 

  展示室入口に15代将軍の劇画調イラストが掲げてあって、これも撮影可だった。初代・尊氏、2代・義詮、3代・義満はこんな感じ。足利将軍家への理解と愛情が感じられて好きだ。

※九博ホームページに、担当学芸員が展示会場内を紹介する動画あり。ほんと、東京に来てほしい展示だったなあ…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうすぐ深川八幡祭り2019

2019-08-09 21:44:17 | なごみ写真帖

門前仲町に住んで3年目の夏。今年も深川八幡祭りが近づいてきた。

今年は「蔭祭り」だが、神輿の飾られている街角もあり、今年ならではの「令和 奉祝御大典」の幟も並んでいる。

私の職場は週明けの2日間が夏季休業なので、明日の夕方から少し遠出の予定。お祭り(と縁日)が気になるが、いたしかたない。

来年は「本祭り」なので、仕事を休んでもガッツリ見たい! オリンピックと重なるけど大丈夫かな…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素朴絵 meets へそまがり/雑誌・芸術新潮「ゆるかわアート万博」

2019-08-07 22:01:26 | 読んだもの(書籍)

〇雑誌『芸術新潮』2019年8月号「特集・ゆるかわアート万博」 新潮社 2019.8

 「ゆるかわアート誌上万博」と称して、日本・東洋・西洋の3つのパビリオンにふさわしい作品をそれぞれの分野の識者が選ぶ企画。その前に、近年、出雲・日御崎神社の宮司家邸内社から発見された木造神像7体(出雲文化伝承館)の写真を添えた「世界ゆるかわアート宣言」7ヵ条。「われわれは具象表現である」「われわれは本物そっくりではない」「われわれは偉そうではない」「われわれはゴージャスでもない」「テクニックのうまいへたは問わない」「『ゆるかわ』を狙っている、いないも問わない」「なにより、見る者をほっこりさせるものである」は、いちいち頷かせるなと思った。

 日本パビリオンの選考委員は、『日本の素朴絵』展の矢島新さんと『へそまがり日本美術』展の金子信久さん。そうだよね!今、このお二人の対談が読めることに心から感謝したい。2つの展覧会に出品された作品の図版がたくさん掲載されている。『かるかや』に『つきしま』、日本民藝館の『十王図屏風』、徳川家光の『鳳凰図』(ピヨピヨ鳳凰)や遠藤曰人『杉苗や』(ツル3兄弟)、風外本高『涅槃図』などが大きな図版で嬉しい。矢島先生がゼミ生に、どれが一番面白かったかと聞くと、『杉苗や』が圧勝だったそうだ。風外本高『涅槃図』も人気だった由。分かるな~。

 おふたりの「ゆるかわ」好みには少し異なるところがあって、金子先生は芦雪の子犬を推すけど、矢島先生は応挙の子犬のほうが好きだという。この例に限らず、私は金子先生に共感することが多いように思う。日本美術史の中で「素朴/ゆるかわ」をどのように着地させるかについては、示唆的な発言がいろいろされている。矢島先生の、日本絵画の歴史はいかにリアリズムから離れるかにあり、そのベクトルが素朴に向かう場合もあれば、琳派みたいなデザイン性に向かうこともある、という発言。江戸時代に花開いた「ゆるかわ」の価値に気づかず、明治はファイン・アートに突っ走ってしまったが、またゆるんでくるのが大正時代、とか。金子先生の、江戸時代は仏教がいろいろな創作を生み出す一つの母体だった、という指摘も聞き逃せない。

 あと立体作品について、『日本の素朴絵』展に出ていた埴輪『猪を抱える漁師』が「古墳時代のビートたけし」だという指摘には笑ってしまった。気づかなかった自分が信じられない。

 東洋パビリオンは板倉聖哲先生が選考。『安晩帖』には異議なし。明・沈周の『写生冊』(故宮博物院)はよいなあ。丸まったネコがかわいい。ちゃんと「太上皇帝」(乾隆帝?)の朱印があるのが微笑ましい。日本民藝館所蔵の『瀟湘八景図』「洞庭秋月」は以前から好きな作品なのだが、画面右端に足から上がすぐ首のような、ヘンな人物がいるのが全然気づいていなかった。今度、よく見てこよう。全体として中国・朝鮮の民画には、素朴な表現はあっても、「ゆるかわ」あらため、日本的な「ふにゃかわ」は少ない気がする。

 西洋パビリオンは加藤磨珠枝さんと沼田英子さんが選考。まあ古代の造型や中世写本の挿絵は置いておいて、近代以降はアンリ・ルソーやパウル・クレーやマティス。やっぱり西洋美術と「ふにゃかわ」は、あまり相性がよくないようだ。

 第二特集は「李公麟《五馬図巻》が日中の絵画史を書き換える」で、橋本麻里さんが板倉聖哲先生に聞く。ページをめくったら、私の大好きな『随身庭騎絵巻』(大倉集古館)の写真があって、《五馬図巻》のエッセンスを受け継ぐ作品が日本にもたらされていたのではないか、との指摘にちょっとわくわくした。そして、昨年の『顔真卿展』に展示された《五馬図巻》であるが、なんと東京国立博物館に寄贈されていたという消息を初めて知った。え!マジか! 宣統帝溥儀の教育係だった陳宝琛が持ち出し、日本に渡り、1928年の昭和天皇御大典祝賀記念の展覧会に展示され、その後、行方が分からなくなっていたという来歴も小説のようだ。図巻はこれから修復作業に入り、数年後にあらためて我々の前に姿を現すだろうという。その日を静かに待っていよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥、魚、動物再襲来/動物のかたち(五島美術館)

2019-08-05 22:37:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 『館蔵 夏の優品展-動物のかたち-』(2019年6月22日~8月4日)

 これも昨日、炎暑の中を最終日に駆け込みで見てきた展覧会。館蔵品の中から、愛らしい鳥たちや小動物、ほのぼのとした牛・馬、水辺の生き物など動物の姿を表した絵画や工芸、約50点を展示する。何か珍しい作品が見られるかな?と期待して行ったら、なんとなく見覚えのある作品が多かった。あとで調べるまで忘れていたが、同館は2016年にも『館蔵 夏の優品展-動物襲来-』という展覧会を開催している。

 以前の自分のブログを読むと、展示品の一部は異なるようだが、やっぱり気になる作品は同じだった。白隠慧鶴の『猿図』とか橋本雅邦の『秋山秋水図』とか小林古径の『柳桜』とか。橋本雅邦の『秋山秋水図』を見てサルを2匹しか見つけられなかったり、小茂田青樹の『緑雨』をしばらく眺めて2匹目のカエルを見つけたところまで同じ。何をやっているんだか。

 2016年に出ていた、伝・徽宗皇帝筆『鴨図』や伝・馬麟筆『梅花小禽図』は見られなかったが(馬麟は前期のみ)、そのかわり、近代日本の多様な画家たちの作品を見ることができた。今尾景年の『真鶴図』は、芦雪を思わせる人間くさい表情で好き。西山翠嶂(すいしょう)の『新竹』は竹の枝で元気よくさえずるスズメたち。初めて見た名前Ⅾあったので、ネットで調べたら、いい感じの作品がたくさん出てきて気に入ってしまった。跡見花蹊、渡辺省亭なども有り。斉白石の『蝦図』にもまた出会った。

 絵画以外では冒頭に『玻璃握豚』(前漢~後漢時代)(死者に握らせる白玉の豚)や『犠首形彫玉』(商時代)など、貴重な考古文物があって苦笑してしまった。確かに動物だけど…。文具の中に魚形をした朝鮮と日本の水滴があった。朝鮮の『白磁辰砂魚形水滴』は、タイヤキみたいに魚が腹を上に向けたかたち。日本の『灰釉魚形水滴』2件は、サカナがヒレで立っているように見えて、怖いが面白かった。

 赤本(草双紙)や画稿も有り。橋本雅邦の『花鳥画稿』は、さまざまな姿態のカモを描いた箇所が開いていた。もちろんプロらしく巧いのだが、隣りの『蟹譜七十五品図』が美しくもあり毒々しくもあり、圧倒される。誰が描いたのか分からないのだそうだ。

 展示室2は、春から行われているシリーズ展示「大東急記念文庫創立七十周年記念特別展示」。こういう展示のしかたもありかなあ、私は期間を区切って全館「文庫」特集にして欲しかったのだが。現在は第3部「書誌学展I:経籍訪古志の名品を中心に」が行われている。『経籍訪古志』は、江戸時代末期に狩谷棭斎、渋江抽斎、森立之らが日本にある漢籍の古写本・刊本について調査し記録したもの。『経籍訪古志』第三稿本のほか、関連する漢籍などが展示されている。『古文真宝』(確か)に渋江抽斎の蔵書印を見つけて、懐かしかった。また『清客筆話』は森枳園(立之)が楊守敬と筆談を交わしたときのノート。清朝の学者と明治の文人はこんなことができたのだなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

驚きは本の中から/書物にみる、海外交流の歴史(静嘉堂文庫)

2019-08-04 23:40:09 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『書物にみる、海外交流の歴史~本が開いた異国の扉~』(2019年6月22日~8月4日)

 日本の歴史と文化の基層を成す海外との多彩な交流の姿を、さまざまな書物の中で辿る展覧会。同館は、これまでも何度か出版文化に関係する展覧会をやっているが、今回は私の関心にもマッチして面白かった。

 「書物にみる、海外交流」というのは、かなり広い(どうにでも解釈できる)テーマなので、冒頭は陳寿の『三国志』(南宋前期刊)から「魏志倭人伝」の箇所。隣に藤原佐世の『日本国見在書目録』(室町時代)。最古写本の「室生寺本」と言われるもので、Wikiでは「宮内庁書陵部蔵」となっているが、これは端本なのかな?

 前半は主に漢籍で、仏典や絵画の技法書も。宋版の濃い墨色、文字の大きい版面が美しいと思う。次に江戸時代に海外の文化や情報、科学知識などを紹介した書物。新井白石の『采覧異言』『西洋紀聞』など、刊本ではなく写本で伝わるものが多い。『采覧異言』は大槻玄沢旧蔵。玄沢の写本だったかな?文字が1字1字独立していて読みやすいので、ああ、理系の字だなあと思った。

 司馬江漢『天球全図』(銅版著色、一部木版)12枚が全て出ていたのには感激した。全部見るのは初めてじゃないかな。そして本展のポスターになっている、火鉢みたいな台盤の上に半球形をかぶせたような天球儀?(ヲルレレイ図)も『天球全図』の1枚であることを会場で知った。台盤の中心には、マチ針みたいな太陽が差してあり、水星、金星の次に斜めに差してあるのが地球で、その周りを月がまわっている。木星には4つ、土星には5つの衛星が付随するなど、いろいろ芸が細かい。よく見ると台盤は十二角形で、側面に十二星座の絵があった。

 出版のいろいろということでは、古活字・慶長勅版の『日本書記』。これも字が大きくて墨が濃くて、端正な版面である。キラキラした唐紙に摺られた嵯峨本『方丈記』も。これは古活字だということをつい忘れてしまう。静嘉堂文庫のお宝『方丈記』は複製本が展示ケースの外に出ていて、自由に触って、ページをめくれるかたちで展示されていた。すごい!素手で触っていいのか、たじろぐくらいよくできた複製だった。

 辞書類も多数。特に大槻玄沢や志筑忠雄の周辺で作られ使われた蘭学辞書が豊富。ロシア人ゴロヴニーンからの聞き取りに基づくという馬場佐十郎『魯語』も面白かった。

 帰りにミュージアムショップで『書物学』という雑誌の16号「特集・特殊文庫をひらく」を見つけて購入した。そうか、この夏、五文庫連携展示『特殊文庫の古典籍』という企画をやっているのだな。嗚呼、6月は忙しくて斯道文庫の展覧会は見逃してしまったが、あとは行けるだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスショー"THE ICE 2019" 大阪公演2日目

2019-08-01 23:12:13 | 行ったもの2(講演・公演)

THE ICE(ザ・アイス)2019 大阪公演(2019年7月28日 12:00~)

 昨年初めて見に行った"THE ICE"愛知公演は、ボーヤン・ジン(金博洋)、ネイサン・チェン、宇野昌磨の現役男子三人組が素晴らしかったので、今年も期待していた。その期待を見透かされたように、公式サイトには早くから「三銃士」の写真があがっていて、これは今年も行かなければ!と心に決めた。しかし、名古屋公演の週末は出勤予定が入っていて、いろいろ調整に手間取った。結局、大阪公演に決めて、土曜に文楽公演を見たあと、日曜にアイスショーを見に行くという、遊び人の週末を過ごすことになった。

 会場は初めての丸善インテックアリーナ大阪(大阪市中央体育館)。箱が大きいので、チケットを探したのが直前だったにもかかわらず、まだアリーナ席が残っていた。最後列だったけど、やっぱりアリーナだと選手の目線に近いところで演技を見ることができていいなあ。

 今回は、ボーヤン、ネイサン、宇野くんにヴィンセント・ジョウとミハイル・コリヤダが加わり、「五銃士」と紹介されていた。ちょっと世代が上で大人の男性の色気を振りまいていたのはロマン・ポンサール。逆に若手は、2019年の世界ジュニア選手権金メダルを取ったばかりの米国籍の樋渡知樹(ひわたし ともき)くん。青いシャツにネクタイ、赤い背広でルパン三世みたいな衣装だなあと思ったら、ほんとにルパン三世のテーマで激しく跳びまわり動きまわるプロ。ちょっと織田信成くんを思わせるサービス精神で楽しかった。

 ボーヤンは新SP「First Light」。ゆったりと溜めの多い演技で、大きなジャンプが引き立つ。こんな大人っぽい演技ができるようになったんだなと感慨深かった。目標は北京オリンピックだろうなあ。本気で見に行きたい。ネイサンの「ラ・ボエーム」(シャンソン)もやや意外で、でも素敵だった。新しいことに挑戦する姿勢が好き。ネイサンは第1部の最後に、マライア・ベル、ロマン・ポンサールと自分の短いグループナンバーの振付も担当。これはまた、彼らしいアメリカらしい選曲。そういえば、昨年の"THE ICE”の第1部最後は、デニス・テンくんを追悼する群舞だったなあと切なく思い出す。

 女子は、紀平梨花はジャンプの調子がいまいち。逆にザギトワはファンタジーオンアイスのときよりずっとよかった。新SPは黒いドレスで妖艶なフラメンコ風。坂本花織はシンプルな黒衣装でクールな「マトリックス」。動きが細かく複雑でハラハラさせる。大トリの宇野くんは 「Great Spirit」。昨年のEXナンバーだが、私は初見で堪能した。宇野くんは古典音楽よりこういうカジュアルなダンスナンバーやロックで滑っているほうが好き。

 昨年同様、仮装でダンス選手権があったり、最後は観客も一緒にマサルダンスを踊ったり、楽しいアイスショーである。関東にも来てほしいけれど、来年は東京オリンピックだから難しいかなあ。それなら大阪でも名古屋でもまた行く。会場のロビーに貼られていた「三銃士」ポスターの写真を記念に。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする