見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2021年10月@九州:范道生+文化交流展示(九州国立博物館)

2021-10-14 22:09:49 | 行ったもの(美術館・見仏)

九州国立博物館 特集展示・没後350年記念『明国からやって来た奇才仏師 范道生』(2021年7月17日~10月10日) 

 文化交流展示室に入ると、左横の第11室の入口を囲むように巨大な羅漢像の写真が飾り付けられていた。京都・萬福寺(万福寺)の羅怙羅(らごら)尊者像で、両手で自分の胸を左右に押し開き、中には仏の顔が見えている。その下をくぐり、あたかも羅怙羅尊者のお腹の中に入っていくような気持ちで展示室に入る。

 范道生(1635-1670)は福建省泉州市安平生まれ。万治3年(1660)長崎に渡来し、福済寺と興福寺で仏像や道教神像を造った。その後、寛文3年(1663)、日本黄檗宗の開祖である隠元禅師に招かれて、萬福寺の仏像を造った。私は、長崎の唐寺も宇治の萬福寺も大好きなので、范道生の仏像は何度も見ている。しかし、こんなにたくさん、展示会場でじっくり見るのは初めてのことで、とても嬉しかった。しかも写真が撮り放題!

 長崎・興福寺の三官大帝倚像。左から、水官、天官、地官である。長崎は、2009年、2010年、2018年のランタンフェスティバルに行って、唐寺巡りをしているのだが、あまり記憶に残っていない。図録の写真を見たら、媽祖堂(中央に媽祖・二侍女像、その前に順風耳・千里眼立像)の奥のほうに控えめに祀られているようだ。

 同じく興福寺媽祖堂に安置されている関帝倚像。着衣(龍袍)の肩から腰まで、立体的な細い線で龍文や唐草文を施しており、照明が当たると、キラキラ輝く。泉州や厦門に伝わる漆線彫(チーセンティオ)という技法だと説明されていた。

 興福寺本堂の韋駄天立像は、胸の前で剣を横たえるスタイル。図録の写真だと、輪になった細い天衣が翻って、頭部を囲んでいるが、保安上の理由か、展示会場ではそのパーツがなかった。金をベースに、赤や緑の彩色がよく残っている。下の写真で韋駄天像の左側に映っている白黒のパネルは、原爆で焼失した長崎・福済寺の護法堂の韋駄天像の写真(当時の絵葉書を拡大)で、興福寺のものより小柄な印象だが、スタイルはよく似ていた。

 京都・萬福寺の十八羅漢のうち、羅怙羅尊者像。奇抜な造形に目を奪われるが、中心に視線を集めるような着衣の襞、繊細な唐草文も見どころである。この装飾文は、范道生が去った後、委託された京都仏師が担当したのだろうとのこと。

 右側は、萬福寺祖師堂の達磨大師坐像。脱乾漆造である。衣も肌も真っ赤だが、もとはこの上に金箔が貼られており、全身が黄金色だったのではないかと思う。頭髪と髭は、白土と見られる別素材を型抜きして貼り付け、青色が塗られていたという。左側は、十八羅漢のひとり、半托迦尊者。鉢の中から出現する龍を𠮟りつけて(?)いるようで、迫力もあり、ユーモアも感じる。

 展示には、范道生の仏画や書もあって面白かった。写真は黄檗山第二代住持となった木庵性瑫(もくあんしょうとう)の詩偈集『東来集』の刊本で、刻者(版木を彫った者)として范道生の名前がある。いろんな仕事をしていたんだな。

 さて范道生は、広南国(現在のベトナム)にいる父親の古希を祝うため、いったん日本を離れたが、寛文10年(1670)6~8月頃、広南船の客人として再び長崎に来航した。萬福寺の梵像(本象)を彫造する約束があったようだ。しかし、新来唐人扱いとされ、滞留許可が下りなかった。へえ、当時、こういう制度があったことを初めて知った。萬福寺の木庵が道生を留め置くよう願い出たり、道生自身が以前日本に滞在したことがある旨を申し出たり、いろいろ交渉するのだが、長崎奉行は頑なで、幕府の回答は「道生が帰化するなら滞留差し支えなし」だった。なんだか、むかしから外国人労働者に冷たい国だったのだなあ、と思って悲しくなる。

 道生は9月から吐血を患っており、11月2日に死去し、長崎の崇福寺の裏山に葬られた。36年の短い生涯だったというが、残された仕事の素晴らしさに感嘆する。日本に来てくれてありがとうございます。次回、長崎に行ったら、必ず范道生のお墓にお参りしてこよう。そして、中国の泉州にはいつか行きたい。

 このほかの文化交流展示もゆっくり楽しんだ。東京や京都の国立博物館に比べて、先史時代の比重が大きいのが特色だと思う。装飾古墳や石人、興味深い。それから「丸くなった地球」のエリアでは、九州を基盤とした西洋・中国・朝鮮との交流だけでなく、蝦夷地・アイヌ関係の資料もあって面白かった。九博でエトピリカの絵を見るとは思わなかった。あと、『鉄砲玉鋳型蒔絵棚』(江戸時代、17世紀)の奇抜さにも驚いた。

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2021年10月@九州:太宰府天満宮+海幸山幸(九州国立博物館)

2021-10-13 21:25:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

 この夏、九州国立博物館で、仏師・范道生の特集をやっていると知って、見に行きたいと強く思った。しかし緊急事態宣言下で、なかなか遠出に踏み切れない…。と思っていたら、昨年、コロナ禍で延期になった特別展『海幸山幸』が始まるという。そして、なんと10/9-10の週末に行けば、この2つの展示がどちらも見られる!と分かって、とり急ぎ、航空券とホテルを予約してしまった。あとは緊急事態宣言の解除をひたすら天に祈っていた。

太宰府天満宮(福岡県太宰府市)

 九博に来たときは必ず参拝する大宰府天満宮。楼門が、見たこともないド派手な飾りつけをされていて慌てた。太宰府天満宮では、菅原道真が文章博士に任じられた10月18日を特別受験合格祈願大祭と定め、10月1日~31日の間、登龍門の故事になぞらえた「飛龍天神ねぶた」を掲げているのだそうだ。

九州国立博物館 特別展『海幸山幸-祈りと恵みの風景-』(2021年10月9日~12月5日)

 本展は、海と山をめぐるさまざまな事象から、日本人が自然との共生のなかで育んできた思想や美術を新たな視点で紹介し、日本人の原点を見つめなおそうとするもの。展覧会のタイトルは『古事記』『日本書紀』に登場する兄弟神の物語から。この神話、私は幼い頃に児童書で繰り返し読んだ記憶がある。

 会場の冒頭では、この神話を短編ドラマ仕立てのビデオで紹介。次に弥生時代(2~3世紀)の大きな鉄製の釣針がある。福岡県徳永川ノ上遺跡で出土したもので、軸部先端に釣糸をかけるための加工がないことから、儀礼用に製作されたと推定されている。続いて、福井県・明通寺所蔵の『彦火々出見尊絵巻』。平安時代の原本は失われたが、模本が5種類現存しているのだそうだ。明快な色彩に加え、登場人物の顔つきや動きが表情豊かで、とても好き。東博から探幽の『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)降誕図』も来ていた。

 以上をプロローグとして「海幸」と「山幸」のパートがそれぞれ展開する。考古資料と芸術作品が同居しているのが九博らしくていいなあと思った。それから、文物・芸術作品のどこに「海」「山」を見出すか、意外な作品を発掘してくる選択眼も興味深かった。

 「海幸」の部は、巻貝形の片口土器、貝製品、鹿角製の釣針などで始まる。弥生時代のマダコ壺、イイダコ壺には驚いた。大阪湾東南部沿岸や播磨灘沿岸で、多数のタコ壺が出土しているそうだ。江戸時代の博物図譜『衆鱗図』(香川・高松松平家歴史資料)や、地引網の鯛漁を描いた『肥前国産物図考』(佐賀県博)は、とても珍しいものを見せてもらった。大阪・今宮戎神社の男神像(鎌倉時代)は片足踏み下げの姿勢で、烏帽子をかぶり、両袖を襷でくくった、写実的な男性像である。顔は若々しく、にこやかな笑みを浮かべる。もと吉野の世尊寺(山の中じゃないか!)に伝来したというのが気になる。

 海の信仰について。伝・黒田剛政筆『沖ノ島図』は沖ノ島の地形的特徴をシンボリックに描いたもの。尖った3つの頂が富士山みたいだと思った。広島県・厳島神社に奉納された平家納経の「妙音菩薩品第二十四」の見返しには、雲に乗った小さな如来がたくさん描かれている。マンガみたいで無茶苦茶かわいい。芦雪の『宮島八景図』(文化庁所蔵)は、あまり見たことのない作品で面白かった。厳島神社の全景図、どうしてこんなドローン撮影図みたいに高い位置に視点を持ってくるかなあ。芦雪の『蓬莱山図』は好きな作品で、これも嬉しかった。なかなか見ることの難しい『五天竺図』甲本(法隆寺)もあり。からくり儀右衛門こと田中久重製作の『須弥山儀』にも再会した(前回は龍谷ミュージアムで見たもの)。

 「山幸」の部は、縄文時代のクマ形土製品とイノシシ形土製品から。どちらも青森県出土である。クマは胸元のV字状の模様からツキノワグマと分かると解説にあったので、覗き込んで確かめた。弓や石鏃(せきぞく、やじり)のほか、編み籠(佐賀県)も出土しているのだな。山の恵みは動植物だけではない。鉱物に着目し、大判(金)、古丁銀、丸銅・棹銅が並んでいたのも面白かった。銅の美しいローズレッド(表面の酸化銅の色)に驚く。

 描かれた山では、久保惣記念美術館の『伊勢物語絵巻』(鎌倉時代)の富士山や、谷文晁の怪奇な『彦山真景図』に惹かれた。実は、大阪・金剛寺の『日月山水図屏風』(11/16-12/5)が来ることになっており、図録を見ると『立山曼荼羅』『吉野曼荼羅』など、後期(11/9-)にも気になる作品が数多くあるのだが、贅沢は言えないと思って諦める。

 これでだいたい午前中が終わり、午後から常設展(文化交流展示)を見ることにする。館内のカフェか外のレストランで食事の予定だったが、どちらもなくなっていた。案内の方に聞くと「参道に下りていただかないと…」と申し訳なさそうな口ぶり。あらら残念。

 この日は時間があったので、参道(菖蒲池沿い)の「うぐいす茶屋」で、とりてん+ゆずおろしのうどんでお昼にした。気温が30度を超す真夏日だったので、冷たいうどんが美味しかった。

 食後は戻って常設展へ!(続く)

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2021年10月@九州:白馬、翔びたつ(佐賀県美)

2021-10-12 22:17:19 | 行ったもの(美術館・見仏)

佐賀県立美術館 特別展『白馬、翔びたつ-黒田清輝と岡田三郎助-』(2021年9月 7日~10月17日)

 先週末は九州へ遊びに行ってきた。九博で、どうしても見たい展示があって、ピンポイントでこの週末に決めた。そうしたら、この展覧会にも行きたくなって、金曜に有休をとって2泊3日の旅行にした。思えば、旅行のために有休をとるのも、飛行機に乗るのも、ほぼ2年ぶりである。

 金曜は、東京・羽田空港から福岡空港へ。空港から高速バスで佐賀駅バスセンターに直行した。路線バスに乗り換えて、お堀に囲まれた佐賀城公園へ。広々した敷地に、巨大で斬新なデザインの博物館と美術館が並んでいる。

 本展は「日本近代洋画の父」と称えられる鹿児島県出身の黒田清輝と、繊細優美な女性像を描いた佐賀生まれの岡田三郎助について、彼らの代表作を展示し、それぞれが求めた美を紹介する。展覧会タイトルは、もちろん、彼らが結成した洋画グループ「白馬会」から取られている。

 黒田清輝の展覧会は、これまで東京で何度か見たことがあるが、岡田三郎助を取り上げるのは珍しくて、見たいと思ったのである。今年、『コレクター福富太郎の眼』展で見た『あやめの衣』に見惚れてしまったせいもある。展示作品は、文書やスケッチ等を含め110件。ざっと数えたところ、黒田の資料が35件、岡田が30件くらい。それ以外に、やはり白馬会の洋画家である、久米桂一郎、小代為重、藤島武二、青木繁の作品もあり、この二人の師匠であるラファエル・コラン、さらに山本芳翠、百武兼行、曽山幸彦、浅井忠など、明治大正の洋画好きにはたまらない、充実したラインナップだった。そして、かなりの数の展示作品が、同館コレクションであることにも感心した。地方美術館、あなどれない。

 山本芳翠の3件『若い娘の肖像』『花化粧』『帆船』はどれも初めて見た。和服の少女が大きな薔薇の花簪を額にあてて鏡を見る図の『花化粧』は東博所蔵だというが、一度も見たことがない。曽山幸彦の『弓術之図』(東大工・建築学専攻)は、泉屋博古館分館の住友財団修復助成30年記念展で見たもので、思わぬ再会。コランの『若い娘』(福岡市美術館)は、品のいいピンナップガールみたいな大衆性のある美女だけど、嫌いじゃない。黒田の日記からは、コラン先生の愛情深い人柄が感じとれた。

 黒田清輝は、代表作の『婦人像(厨房)』や『昔語り』画稿は何度も見ているので、記憶にない小品のほうが新鮮で印象に残った。『画室内』(佐賀県美)や『アトリエ』(鹿児島市美)、花瓶に山盛りの小菊を描いた『菊』(ポーラ美術館)など。『山かげの雪』(黎明館)に黒田は雪景色を描くことを好んだという解説があり、初めて認識した。

 岡田三郎助の作品は、こんなにまとめて見たのは初めてだと思う。人物画がどれも好き。自画像、西洋婦人、老人、農家の娘など、いろいろあるけど、面長で目の大きい、着物姿の女性像(いくつかバリエーションがある)が一番好き。『萩』(兵庫県美)とか『薊』(佐賀県美)とか。晩年の『来信』『裸婦』のこってりした感じも好き。代表作『あやめの衣』は、絵画の背景と同じような、明るいクリームイエロー(かな?)の壁に掛けた演出が素敵だった。あと、黒田が描いた『大隈重信肖像』と岡田が描いた『大隈綾子肖像』という取り合わせも面白かったので記録しておく。夫婦とも好人物だか胆力のありそうな風貌に描かれている。

 なお、同館敷地内には、東京都渋谷区恵比寿にあった岡田のアトリエが移築され、公開されている。自宅に隣接して建てられた木造の洋風建築で、岡田が主宰した画塾「女子洋画研究所」の教室として使用された部屋もある。ちょっと調べたら、三岸節子やいわさきちひろも岡田の画塾で学んだらしい。へええ。→ドキュメンタリー映画『あるアトリエの100年

 そして、また佐賀駅に戻り、福岡天神行きのバスに乗った。正味3時間足らずの滞在だった。実は佐賀県は、唐津や伊万里に行ったことはあるのだが、佐賀市に足を踏み入れたのは人生初だと思う(鉄道で通過の経験はあり)。むかし、佐賀出身の年下の友人が「ほんとに何もないところなの!」と怒ったように言っていたのを思い出す。また来ることはあるだろうか。意外と一度縁ができると、ありそうな気がする。

10/14追記:上記のように書いたあと、なんとなく気になって調べたら、私は2009年に特別展『運慶流』を見るために佐賀県立美術館に行っていたことが判明した。うーむ、完全に忘れていた。このときも、長崎に泊まって佐賀へ日帰りで出かけるという強行軍だったので、美術館以外を全く見ていないのだ。次の機会こそ市内観光を。

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秋の動物絵画まつり/動物の絵(府中市美術館)

2021-10-11 20:02:40 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 開館20周年記念『動物の絵 日本とヨーロッパ ふしぎ・かわいい・へそまがり』(2021年9月18日~11月28日)

 2000年10月に開館した府中市美術館の開館20周年を記念する特別展。本来、2020年秋に予定されていたが、コロナ禍で1年遅れの開催となった。私が初めて同館を訪ねたのは、2006年3月の企画展『亜欧堂田善の時代』である。同館のホームページ「これまでの企画展」でも、これが最初に挙がっている。その後、同館は、毎年春に江戸絵画の企画展を行うことが恒例化し、私はほぼ皆勤で通っているが、実は「江戸絵画まつり」しか行ったことがないので、今回、秋の気配の感じられる府中の森公園の風景を見て、ちょっと不思議な感じがした。

 本展は、東西の多彩な動物絵画の世界を紹介する。展示作品は183点(展示替え有)。日本絵画が圧倒的に多いかと思っていたが、けっこう頑張って動物の描かれたヨーロッパ絵画を集めてきており、数では日本絵画がやや多いくらいの比率である。日本絵画は鎌倉時代(13世紀)の涅槃図、ヨーロッパ絵画は14世紀の彩色写本から、近現代作家の作品まで、時代的にも幅が広い。

 曲がりくねった迷路のような会場に入ると、最初に待っていたのは伊藤若冲の『象と鯨図屏風』。天井の高い、比較的明るい展示室で、品のいい薄紫色の壁が、屏風の濃い青色の枠(縁)とも合っていて、とてもよかった。と書いて気づいたのだが、屏風の縁、以前(黄茶色)と変わったのではないかと思う。画像検索すると分かる。

 解説によれば、鼻を上げるポーズは涅槃図に描かれてきた象のパターン。涅槃図には鯨を描いたものもある。実例として、名古屋市・西来寺の『八相涅槃図』(江戸時代)が次に展示されていた(サンゴを加えたヘンな鯨)。最近、若冲の『象と鯨図屏風』は、母の十七回忌のために作られたのではないかという説が出されたそうだ。象と鯨の間に仏壇が設けられたのかな、などと想像してみる。

 好きな作品を挙げておくと、上田公長『雪中熊図』、文句なくかわいい。上田耕冲『鳥獣戯画』は、原本の丙巻の後半を模写して色をつけたもの。動物たちが烏帽子代わりにかぶっている木の葉の緑が鮮やかでクール。曾我蕭白『遊鯉図』は、縁起物なのかな。黒・白・金など、最小限の色彩で迫力ある画面を構成している。

 おなじみ若冲は、オンドリの後ろ姿と天を仰ぐメンドリの何気ない姿を描いた『鶏図』が出ていた。写実とデザインのバランスがとれた佳品で、企画者の選択眼に感じ入る。ポール・ジューヴの『木の上で横たわる黒豹』『座る白熊』もそうだが、動物の「かたち」って、つくづく面白いなあ。これを突きつめると、鍬形蕙斎『鳥獣戯画略画式』になるのだろう。そのままお菓子のデザインになりそう。こういうの、中国にも西洋にもない気がするが、どうだろうか。

 長谷川潾二郎の『猫と毛糸』や『猫』は、かたちの面白さもあるけど、身近な猫を愛おしむ気持ちがまさっているように感ずる。ヨーロッパにも家族の一員としての犬猫を描いた絵画はあるけれど、動物の「かわいい描き方」を身につけた画家は少ないという(図録の解説より)。その稀少な例外がピカソの『子羊を連れたポール、画家の息子、二歳』(ひろしま美術館所蔵)とのこと。日本人が、この絵を欲しくなる気持ちは納得である。近現代の日本画では、小倉遊亀『径(こみち)』や橋本関雪『唐犬』、西郷孤月『春暖』が出ていたのも嬉しかった。

 本展には、なんと徳川家光の絵画が10件も登場! 展示替えがあるので、前期に見ることができたのは6件だが、ミミズクが4件もあって、少しずつ顔つきが違っていた。最後は子犬の絵画を特集。応挙と芦雪だけでなく、宗達(たらしこみの黒犬)や仙厓(きゃふんきゃふん)も。小林一茶の『子犬図』は初めて見たが、かわいすぎて参った。しかし後期に出る若冲の『子犬図』(箕の中!)と上田公長『犬の子図』もよいなあ。もう一回、行かねば…。

 そしてお買いもの。これも後期展示予定、ピヨピヨ鳳凰こと、家光の『鳳凰図』のトートバッグ。B5サイズのノートPCを入れるのにちょうどよい。

 売店のレジのお姉さんが、帳簿を付けている同僚に「図録と鳳凰…ピヨピヨ1点」と報告していたのにちょっと笑った。

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事件と記憶を運ぶ/歴史のダイヤグラム(原武史)

2021-10-06 19:48:37 | 読んだもの(書籍)

〇原武史『歴史のダイヤグラム:鉄道に見る日本近現代史』(朝日選書) 朝日新聞出版 2021.9

 朝日新聞土曜別刷り「be」に2019年10月から2021年5月まで連載されていたコラムに加筆修正し、新たに構成してまとめたものだという。本書の章立ては「移動する天皇」「郊外の発見」「文学者の時刻表」「事件は沿線で起こる」「記憶の車窓か」となっているが、巻末のリストを見ると、掲載時はもっとランダムに話題が選ばれていたようだ。

 テーマ別にまとめたのがよかったかどうか、個人的には最初の「移動する天皇」は、帝国日本の天皇の権威と鉄道の結びつきを繰り返し意識させられるため、やや重たく感じられた。もっとも、紹介されている逸話は、些細な、つまらないものも多い(だから大事とも言える)。昭和大礼の御召列車の運行にあたって、すれ違う列車の便所は使用禁止になり、停車駅構内の便所は幕で覆われたとか。東海道本線と立体交差する鉄道では、送電そのものをとりやめた私鉄もあったとか。

 「郊外の発見」は、京都市営地下鉄や阪急の話題もあるが、小田急線、京王線、横須賀線など、東京西部と神奈川東部の話題が圧倒的に多い。著者の生活圏の関係かもしれないが、私も同じエリアに住んできたので親しみを感じた。京王線の聖蹟桜ヶ丘は明治天皇に由来するのか。大岡昇平の妻・春枝が夫の出征を見送るために上京した際、夕暮れの大船観音が怖かったというのは分かる気がする。

  「文学者の時刻表」では、文学作品や文学者の日記・エッセイなどから拾った話題を紹介する。著者が、当時の時刻表や路線図を丁寧に検証しているのが面白い。三島由紀夫の『春の雪』に、導入されたばかりの中央の婦人専用車が描かれているなんてすっかり忘れていた。谷崎潤一郎の「旅のいろいろ」には、東京から大阪へ帰る際、夜行の普通列車を好んだことが記されている。名古屋までは家の建て方や自然の風物に東京の匂いがするけれど、名古屋を越すとはっきり関西の勢力圏に入る。だから名古屋あたりで目を覚ますと、窓の外がすっかり関西の景色になっているのが気持ちいいというのだ。この感性、さすがだと思う。また、靖国神社の臨時大祭へ列席する遺族を乗せた専用臨時列車で、山口誓子が見た女性の姿は、短編小説のようだった。

 「事件は沿線で起こる」には、著名人が書き留めた車中の会話の数々が紹介されている。「あとがき」にも言うとおり、鉄道は、全く予期せぬ人々とのコミュニケーションを引き起こす、「誤配」の可能性に満ちた公共空間なのだ。分かる。

 初代鉄道院総裁をつとめた後藤新平が米原付近で脳溢血に襲われ、入院先の京都府立医科大医院で死去したことは知らなかった。東村山の全生病院のハンセン病患者が、中央線・東海道本線を使って、極秘で岡山の長島愛生園へ輸送されたことも。実は1968年の「新宿騒乱」も、当時小学生だったが覚えていない。1974年の三菱重工ビル爆破事件は思えているが、その爆弾が、昭和天皇が乗った列車を爆破しようとした虹作戦で使われるはずだったものだというのも知らなかった。鉄道は、本当にさまざまな近現代史の舞台となっている。

 「記憶の車窓から」は、著者の個人的な記憶・体験が色濃く反映された文章を集めている。高校一年生の北海道旅行で、倶知安駅前の天ぷらそばの自動販売機に空腹を救われた話は、本書の白眉だと思う。2010年に再び倶知安を訪れたとき、胆振線は廃止されて久しいのに、自動販売機がまだ存在していたという後日談を含めてとても好き。高校時代の友人と福島県の熱塩に行った話もよい。鉄道旅行の大先輩である内田百閒が、少年時代の旅の思い出を書いた随筆の趣きがある。

 最後を締めくくるのは食堂車の思い出。そうそう、むかしの食堂車のメニューって割高だったなあ。いまのJRのクルーズトレインは、最低でも数十万円らしい。一生縁がなさそうだ。近鉄の観光特急「しまかぜ」だったら、多少現実味があるだろうか。

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「改革の政治」を振り返る/現代日本政治史(大井赤亥)

2021-10-05 22:25:04 | 読んだもの(書籍)

〇大井赤亥『現代日本政治史:「改革の政治」とオルタナティヴ』(ちくま新書) 筑摩書房 2021.9

 本書は、1990年代以降の日本政治を「改革」をめぐる対立軸で捉えるとともに「改革の政治」を超える新たなオルタナティヴの提示を目指したものである。

 55年体制下の日本政治の対立軸は「保守vs革新」だった。保守とは、資本主義体制と日米安保条約を堅持する立場をいう。しかし「革新」の衰退によって、日本政治の対立軸は「保守」の内部抗争、すなわち、行政機構の縮小再編成を掲げる「改革保守」と、利益誘導政治の維持を目指す「守旧保守」の対立へと移行する。この起点を80年代の中曽根行革に求める立場(吉見俊哉氏など)もあるが、著者は、中曽根行革はまだ「保革対立」の枠内のできごとと位置づける。

 1993年、小沢一郎が『日本改造論』を刊行し、同年の衆院選で、日本新党、さきがけ、新生党という、誕生したばかりの「非自民保守系改革派」政党が躍進した。自民党は現状を維持したが、社会党の一人負けによって「革新」の退潮が明らかになった。

 細川政権は、政治改革(選挙制度改革)と規制緩和に乗り出していく。政治改革は、地元への利益還元から脱却しようとする「改革保守」と、自民党の金権腐敗を批判するリベラル派の支持を得、規制緩和は、財界、アメリカ、そして国内の消費者から支持された。「生産者」「労働者」であるより「消費者」であることにアイデンティティを感じる都市部有権者が増えていたのである。

 以後の日本政治は「改革」と揺り戻しの反復として整理できる。村山政権は改革の揺り戻しで、自民党もコンセンサス型意思決定につとめた。次いで橋本政権は、小沢一郎の「お株を奪う」かたちで行政改革を進め、内閣を強化し、政治主導を強めた。しかし財政構造改革の失敗によって、自民党は1998年の参院選で大敗する。小渕・森政権は、新自由主義のスピードを鈍化させ、伝統的派閥政治への回帰を目指した。

 2001年、小泉政権が発足。小泉構造改革は、自民党が「守旧保守」から「改革保守」へと変容する自己脱却の契機となった。小泉政治を通じて「改革の政治」は、ポピュリズムと結びつく。90年代以降、組織化されない個人が有権者の大部分を占めるようになると、目くらまし的なポピュリズムの手法が効果を発揮するようになった。また「改革の政治」が右派イデオロギーと結びつく契機となったのも小泉政治だが、小泉にとっては明確に構造改革が主で、右派イデオロギーは従だった。

 続く第一次安倍政権・福田政権・麻生政権は、総じて旧来型の自民党政治への回帰の時代だった(この評価はちょっと意外に感じた)。そして竹中平蔵は、自身が敷いた「改革」路線の減速に焦燥感をにじませ、与野党を横断する改革派の結集による「保守系第三局」の創出を目指す(これは納得)。

 2009年、民主党政権誕生。鳩山政権は、社会福祉分野において「改革の政治」とは大きく異なる政策を実行した。しかし、官僚との相互不信、沖縄基地問題という桎梏を超克することができず、2012年衆院選で大敗する。著者は、民主党政権の未熟さ・脆弱さを首肯しつつ、「改革の政治」に対するオルタナティヴの模索として一定の評価を与えている。

 この時期、「改革の政治」はいびつなかたちで関西に移り、橋下徹による大阪維新を生む。非常に興味深く感じたのは、2012年の早稲田大学で行われた調査で、既存政党を「保守-革新」の順番に配置させたところ、最も「保守」的な政党として自民党、最も「革新」的な政党として維新の会を選ぶ学生が多かったという。若年層にとっては、左右の既得権に挑み、どちらからも批判される維新こそ、最も「革新」的に見えるのだ。

 2012年に誕生した第二次安倍政権は、政治の優先順位を「改革」から「右傾化」に移し替えた点が特徴的である(この評価には笑った)。経済政策に関する限り、安倍政権は市場に対する国家介入を強める方向にあり、公共投資による土建国家への回帰を示している。口では「改革」を言いながら、ほとんど改革をやっていないのが実態だった(なるほど)。2017年の衆院選では、「改革」は依然として有力なスローガンだったが、希望と維新が票を伸ばせず、「改革保守」の衰退を示す結果となった。個人的に、これは喜ばしい傾向である。

 最後に著者は、新たなオルタナティヴとして、市民社会の活性化、国家の復権(政府しか担い手がいない公共サービスは大胆にその復権を要求する)、公正なグローバリズム(新自由主義グローバリズムでない)という三本の柱を示す。私はこのビジョンに共感する。では、実際にこのビジョンに近い政策を実行してくれる政党はどこなのか、今月末の衆院選に向けて、よく考えたい。

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2021年8-9月@東京:展覧会拾遺

2021-10-04 20:40:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

 10月1日、東京都の緊急事態宣言が解除された。蔓延防止等重点措置の適用も見送られ、完全解除は半年ぶりである。長かったー! いちおう東京都は「リバウンド防止措置期間」を設定しているが、近隣の飲み屋は夜の営業を再開し、行きつけの公共図書館で氏名と連絡先の記入を求められることもなくなった。10月1日は、久しぶりに友人と外飲みしてきた。

 以下は、この間に見に行った展覧会など。いろいろ制約も懸念も多い中、開館を継続してくれた関係者の皆様、ありがとうございます。

文化学園服飾博物館 公益社団法人京都染織文化協会創立80周年記念『再現 女性の服装1500年-京都の染織技術の粋-』(2021年7月15日~9月28日)

 はじめに「古墳時代」「飛鳥・奈良時代の女性の復元衣服が展示されていた。古墳時代(3-7世紀)は色も柄もまだ素朴だが、ナチュラル系で可愛い。飛鳥・奈良(7-8世紀)になると、赤・緑・黄色などのハッキリした色と、手の込んだ細かい文様をまとうようになる。「鎌倉時代」の侍女の小袖に袴姿は、男女差がなくて面白かった。これらの復元衣服は、京都染織祭の女性時代衣装行列のために制作されたものである。昭和26年(1951)まで行われていた染織祭は、京都の三大祭(葵祭・祇園祭・時代祭)とともに春の京都を彩る盛大な祭であったという。初めて知ったが、実際の祭の写真なども展示されており、興味深かった。

三鷹市美術ギャラリー デビュー50周年記念『諸星大二郎展 異界への扉』(2021年8月7日~10月10日)

 漫画家・諸星大二郎(1949-)のデビュー50周年を記念する回顧展。1970年のデビュー作品『ジュン子・恐喝』など原画約350点(展示替え有)のほか、作品世界に関わりの深い美術作品や歴史・民俗資料なども展示。諸星先生ご所蔵のニューギニアの仮面などに加え、縄文土器や土面、古代中国の銅鏡、隠れキリシタンのマリア像、稲生物怪録絵巻、うつぼ舟の女の図、西洋の博物画、仮面祭の写真、夔神(きのかみ)像(甲斐之国山梨岡神社所蔵)など。日本中から、よく見つけて掻き集めてきたなあ。図録を見ると、展覧会企画者は北海道近代美術館の大下智一さんという方らしい。知っていたネタ元もあれば、初めて知って驚いたものもあった。

 本展は、北海道近代美術館(札幌)→イルフ童画館(岡谷)→北九州市漫画ミュージアム→三鷹→足利市立美術館を巡回する。三鷹といえば『栞と紙魚子』の舞台、胃の頭(いのあたま)町のモデル(?)井の頭も近いので、諸星先生、会場のパネルにこんなイラストを残してくださっている。

 実は、私、名場面を知っているだけで、きちんと読んでいない諸星作品が多数あることを認識した。でもこれは嬉しい。生きる楽しみを見つけた気分。

太田記念美術館 没後160年記念『歌川国芳』(2021年9月4日~10月24日)

 説明不要の浮世絵師・歌川国芳(1797-1861)の没後160年を記念する展覧会。動物たちを表情豊かに描いた愉快な戯画が多くて、何度もふふふと含み笑いしてしまった。しかし、あれ?カッコいい系の作品がないな、と思ったら、現在の展示は「PART I. 憂き世を笑いに!-戯画と世相」(9月4日~9月26日)で、このあと「PART II. 江戸っ子を驚かす!-武者と風景」(10月1日~10月24日)が続くのだそうだ。落合芳幾筆『歌川国芳死絵』を見ることができたのは嬉しかった。浴衣の国芳の足元で、顔を半分だけ見せる白猫の幸福感。

国立近現代建築資料館 『丹下健三1938-1970 戦前からオリンピック・万博まで』(2021年7月21日~10月10日)

 1938年の卒業設計から、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博に至るまで、建築家・丹下健三(1913-2005)の前半生を回顧・検証する。同館は、土日は旧岩崎邸庭園の敷地を通らないと入れないのだが、旧岩崎邸庭園が入園予約制になっているのに気づかずに行ってしまった。門前でそのことに気づき、1時間後の入園をスマホから予約。湯島駅前の御菓子司「つる瀬」で時間をつぶした。品のいいクリームあんみつで美味しかった。

 展覧会には、丹下の卒業設計(日比谷公園を想定した芸術複合施設)、戦没学徒記念館(南あわじ市)、広島平和記念公園、国立代々木競技場(第一体育館、第二体育館)、丹下健三自邸、旧東京都庁舎、香川県庁舎、東京カテドラル聖マリア大聖堂などの図面、模型等が出品されていた。そこで初めて気づいたのだが、私はこれまで丹下の代表作を外から見る機会はあっても、中に入ってみたことがほとんどないのだ。残念なことに。

 特に代々木の体育館の館内写真が印象的で、機会があったら行ってみたいと強く思った。と書いて気づいたが、今年のフィギュアスケートNHK杯の会場は代々木第一体育館である。しかし、チケット獲得にチャレンジはしてみるけれど、倍率高いだろうなあ。

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