見もの・読みもの日記

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2021年10月@九州:福岡市美術館、街歩き

2021-10-16 00:09:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

福岡市美術館 特別展『没後50年 電力王・松永安左エ門の茶』(2021年10月9日~11月21日)

 九州歴史資料館の次はここへ。実は前日に開催情報をキャッチして、行ってみることに決めた。本展は、松永安左エ門/耳庵(1875-1971)の「電力王」と称えられた実業家としての活躍を物語る資料と、茶人として収集した日本・東洋の美術コレクションの名品の数々を通じて、松永の偉大な足跡を回顧する。

 松永は長崎県壱岐島の出身で、明治末期から九州で電気事業の経営に関わる。松永が専務取締役をつとめた福博電気軌道は、西鉄の前身のひとつで、明治末年~大正時代の博多駅や天神界隈の古写真などが出ていて面白かった。また、戦後に松永が設立した電力中央研究所がまとめた政策提言(勧告)の一覧も、それが実現したかどうかの検証つきで展示されており、興味深かった。

 美術品では、『病草紙断簡・肥満の女』や尾形乾山『茄子図』、宮本武蔵『布袋見闘鶏図』が印象に残った。『地獄草紙・勘当の鬼』はあまり見たことがないと思う。破戒僧を背負った鬼が逃げまどっている図。「愛蔵品を語る」と題して、松永の感想や批評と作品を一緒に展示してあるのがよかった。国宝『釈迦金棺出現図』は、作品は来ていなかったが、さまざまな苦労の末に獲得し、快哉を叫んだことが語られていた。

 あまり認識していなかったのだが、松永の美術コレクションの多くは、ここ福岡市美術館に入っているのだな。細やかな研究の蓄積に基づく展覧会を見ることができてよかった。なお、コレクション展の松永記念館室でも『秋の名品展』(2021年8月31日~11月14日)と名うって、書画・工芸など20件弱を展示。『遊びと笑いの日本美術』(2021年9月14日~11月14日)も面白かった。

■筥崎宮(福岡市東区)

 以下、美術館・博物館以外の行ったもの。土曜は九博のあと、ものすごく久しぶりに筥崎宮に行ってみた。慶長14年(1609)藩主黒田長政が建立した一之鳥居。石造である。巫女さんが立っているのは、参道を歩いてくる新郎新婦を待っているため。

 拝殿前の楼門には「敵国降伏」の扁額を掲げる。鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の折、亀山上皇が納めた宸筆を小早川隆景が模写拡大して掲げたものだというが、あまりにも直球で笑ってしまった。御朱印所で貰ったパンフレットには、降伏とは軍事でなく徳で従わせること、みたいな説明が書いてあったが。

 境内には亀山上皇の巨大な木象も安置されている。福岡県出身の彫刻家・山崎朝雲の作。近隣の東公園には、さらに巨大な亀山上皇の銅像があるというのも初めて知って、びっくりした。

櫛田神社(福岡市博多区)

 もう1ヶ所、久しぶりに行きたくなって、川端通商店街をぶらぶら歩いて、櫛田神社を訪ねた。楼門の天井に吊り下げられた恵方盤は今年の恵方を指している。2021年の恵方は南南東らしい。

 楼門の扁額「威稜(いつ)」は天子の御威光のこと。九州の神社って、こういう土地柄なのかな。

 拝殿の柱には、三叉の槍と天狗の面(赤、緑、黒…五行か?)が外に向けて掛けられていた。魔除けだという。筥崎宮でも同じものを見て珍しいと思ったのだが、このへんでは普通なのだろうか? なお、太宰府・福岡市内とも御朱印は500円だった。東京と同じだ…。

■板付遺跡(福岡市博多区)

 これは最終日、福岡市美術館のあと、まだ時間があったので訪ねてみた。藤尾慎一郎『日本の先史時代』に出てきた、全国で最も早い水田稲作の遺跡である。複数回の洪水で水田が砂に埋没しても、一度始めた米づくりを継続したという記述に感銘を受けて、行ってみたくなった。博多駅筑紫口から路線バスに乗って20分くらい、古い団地(5階までしかない)に囲まれた一角が板付遺跡で、再現された田んぼに稲穂が育っていた。

 無料の展示施設・板付遺跡弥生館も見てきた。出土品には、弥生時代初期の板付式土器だけでなく、縄文時代晩期の夜臼(やうす)式土器もあることがポイント。これによって、ここが、縄文時代最後の遺跡であると同時に、弥生時代最初の遺跡であることが分かったという。深い溝に囲まれたムラと、意外に広い水田の様子を復元したパノラマも面白かった。

 福岡、めったに来られないんだけど、またいろいろ歩いてみたい。今回はここまで。

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