〇東京ステーションギャラリー 『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』(2021年10月9日~11月28日)
小早川秋聲(1885-1974)の幅広い画業を見渡す、初めての大規模な回顧展。小早川秋聲の名前は知らなくても、彼の代表作『國之楯』、暗闇に横たわる兵士(将校)を描いた絵画のイメージを、どこかで見た記憶がある人は多いのではないか。私もそうだった。この印象的な絵画の作者の名前を知ったのは、2019年に東京・京橋の加島美術で開催された『小早川秋聲-無限のひろがりと寂けさと』展である。このときは、前後期で約40点が展示され、戦争画以外にも多様な作品を描いていること、旅を好み、平和な異国の風景を描いた作品が多数あることを知った。
だから今回の回顧展が、伝統的な歴史画や中国趣味の絵画に始まり、中国、インド、エジプト、ヨーロッパ、アメリカなど、エキゾチックな風景と風俗を題材とした作品が並び、なかなか戦争画が登場しなくても驚かなかった。むしろこの明朗な色彩の世界にずっと浸っていたいと感じた。
好きな作品はいろいろあるが、まず『長崎へ就く』は、華やかなオランダ更紗(?)のシャツやスカートをまとった女性たちの存在感ある後ろ姿と、対照的に、はかない幻のように海に浮かぶ帆船。この女性たちの肉体の充実感は、『愷陣』の巨大な馬の姿に重なるような気もする。作品の前に立つと、視界が一頭の馬の姿で遮られてしまう大きさだ。儀式用の美しい鞍を置かれ、旗と紅白の牡丹の花で飾り付けられているが、関節の太い逞しい脚と大きな蹄、極寒の戦地を耐え抜いてきたふさふさした毛並みから匂い立つ生命力に圧倒される。
歴史上の著名人を描いた大作に『法華経を説く聖徳太子像』や『絶目盡吾郷(成吉思汗)』がある。ジンギスカンの背後には、大きな白馬が寄り添っている。『回顧』は、藁沓を履いて、薪の束の上に腰を下ろした無名の(たぶん)老人の肖像。いずれも寡黙で気品(むしろ気韻か)の感じられる肖像である。林和靖と鶴を描いた『薫風』は、加島美術のギャラリーではスペースの関係で前後期入れ替えだったが、今回は左隻と右隻を一緒に見ることができてよかった。
代表作『國之楯』は、ひとつの通過点として静かに眺めて通り過ぎた。ただ、この作品の下絵が同時に展示されていたのは興味深かった。最終的に円光を消して黒一色の背景とし、横たわる兵士の身長(脚の長さ)を修正していることが分かる。
小早川は、戦後も細々と創作を続けたが、解説によれば、大きな展覧会にはほとんど出品しなくなり、その画業は徐々に忘れられて行ったという。仏画や伝統芸能、中国の故事を描いた作品が多かったが、その中に『聖火は走る』という、1964年東京五輪の聖火ランナーを描いた小品があり、微笑ましかった。1956年の『天下和順』は、金色の満月の下、びっしりと描かれた小さな人々が、酒を飲み、肩を組んで踊っている、空想の祝祭風景。全て男性らしく思われるのは、男性ばかりの戦場の記憶を昇華させようとしたのではないかと思う。
この展覧会、110点余(展示替え有)のうち、ざっと見て三分の二以上が「個人蔵」という異色の構成だった。ご遺族のご協力なのだろうか。開催に努力された関係者各位に感謝したい。