■九州歴史資料館 特別展『九州山岳霊場遺宝-海を望む北西部の山々から-』(2021年10月9日~12月5日)
日曜は再び西鉄を利用して、九州歴史資料館へ向かう。自分のブログを検索すると、2011年に一度来たことがある。三国が丘という駅名は覚えていたが、駅前の景観が変わっていて、しばらくポカンとしてしまった(Googleマップで見ると以前はなかった駅前ビルができていた)。緑に覆われた丘陵地への登り口を見つけて、そうそうこの道、と安心する。なだらかな丘を登って降りると、資料館である。
本展は、九州山岳霊場遺跡に関する研究成果の蓄積を踏まえ、特に九州ならではの特徴である大陸との交流の痕跡を色濃く残す、筑前と肥前の山々に絞って、ゆかりの文化財を一堂に会して紹介するもので、霊山を象徴する尊像など50余件が展示されている。平安・鎌倉の古仏も多数あった。
みやこぶりの洗練された造形だと思ったのは、佐谷区文化財保存会が管理する十一面観音立像(平安時代)。「若杉山南側」「佐谷山建正寺」という説明が全然分からないので地図パネルで確認する。福岡平野の南東にあたるようだ。子供のような、柔和で無垢な表情をした観音様である。佐谷区文化財保存会のキャプションのついた仏像はほかにも数体あり、やや小ぶりの別の十一面観音立像(平安時代)、大日如来坐像(鎌倉時代)は、がっしりと厚みのある体躯で、厳めしい雰囲気が漂う。また、伝教大師坐像の伝承を持つ老僧の坐像(平安時代)も伝わっている。最澄の面影はないように思うのだが、「頭部が小さいことも、最澄ならではの頭巾をかぶせていたからかもしれない」ので「最澄像の可能性は捨てきれない」という。
若杉山の若杉観音堂に伝わった千手観音立像や八女市・谷川寺の薬師如来像は古風な平安仏で「山の仏」らしさをまとう。背振山地(佐賀県、福岡平野の西側)の浮嶽神社(糸島市)には、16世紀に衰亡した久安寺ゆかりの古仏が伝わる。地蔵菩薩立像は、端正だが癖のある容貌で、僧形神として造られたのではないかと想像されている。
また、若杉山の山頂の太祖神社には、石造の宋風獅子(片方が子獅子を抱き、片方が玉をとる)や石造の香炉が伝来する。土地柄として、大陸との交流があっても全くおかしくないけれど、わざわざ重たい石造物を船で運んできたのかな。バラスト(重し)なのだろうか。
大陸と関係の深い石造物、薩摩塔という存在は初めて聞いた。はじめ薩摩で発見され、次第に九州西部で確認されてきたものだ。下半分は方形の須弥壇で四面に四天王を1躯ずつ刻む。その上の壺形の塔身の正面の龕に尊像を刻み、さらに屋根などを重ねる。確かにこういうタイプの石塔は中国で見たような気がする。首羅山遺跡(福岡平野の東)には、南宋時代に制作されて渡来したと思われる薩摩塔2基が現存している(展示は複製)。
首羅山遺跡は中世山岳寺院の遺跡だが、調べたら「天平年間に百済からきた白山権現が乗っていた虎の猛威に恐れた村人がその首を切り落としたところ、その首が光ったため羅物(薄絹)に包んで埋め、十一面観音を祀ったことから、首羅山頭光寺といわれるようになった」という伝承があるらしい(久山町:観光・イベント情報)。すごい…中世神話だ。「熊野の本地」か何かみたい。初めて知ることが多くて、楽しくてうきうきした。
なお残念なことに、同館は、特別展期間は常設展示を開けられない構造になっているそうで、私も特別展しか見られなかったが、10/12から常設展示『歴史(とき)の宝石箱』のダイジェスト版が始まっている。これから出かける方は、ぜひあわせて鑑賞を。