見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

通史のつもりで/悪党たちの中華帝国(岡本隆司)

2022-09-09 21:50:13 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司『悪党たちの中華帝国』(新潮選書) 新潮社 2022.8

 「悪党たちの~」には先達があって、君塚直隆先生の『悪党たちの大英帝国』(新潮選書 2020.8)は、大英帝国を築いた個性的な悪党(≒アウトサイダー)7人の評伝だった。だから当然、本書も評伝スタイルで行くのだろうと思っていた。選ばれた12人は、唐太宗、安禄山、馮道、後周の世宗(柴栄)、王安石、朱子、永楽帝、万暦帝、王陽明、李卓吾、康有為、梁啓超である。

 ところが、冒頭の唐太宗の段から何かが違う。そもそも唐の前の王朝である隋を建国した楊堅の紹介に始まり、稀代の暴君と呼ばれる煬帝の治世、唐太祖李淵の挙兵と即位、そして唐太宗李世民による皇位簒奪を語る。主人公であるはずの唐太宗に関する記述は、本当に申し訳程度しかない。しかも最も「悪党」らしい印象を残すのは間違いなく煬帝である。実は唐太宗の事蹟は、ほぼ煬帝のそれをなぞっていて、「太宗の陰画(ネガ)が煬帝、煬帝を陽画(ポジ)にしたら太宗」というのが著者の主張なのだ。書かれた歴史(≒権力者がつくった歴史)とはそういうものなのだ、ということが、まず読者に示される。

 唐太宗の後には、高宗、中宗、則天武后が続き、クーデタに成功して即位した玄宗の晩年、安史の乱が起こる。ここでも安禄山個人に関する情報は多くない。以下、ずっとこんな調子で、標題に〇〇という人名が掲げられていても、誰の話を読んでいるのか、忘れてしまいがちだった。そのかわり、各回の橋渡しは絶妙で、隋から中華民国までの歴史が、流れるように語られていく。気がつけば、列伝体で書かれた「中国通史」を読んでしまった感がある。

 いや、本書の本当の主人公は「中華帝国」そのものと考えるのが正しいのだろう。唐太宗によってつくられた大唐帝国という第一次「中華帝国」は安禄山によって解体される。短命政権が乱立したカオスの五代において天下統一プランを立てたのが後周の世宗、しかしその実現は、宋太祖と弟の太宗を俟たねばならなかった。この三人を、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に譬えているのは面白い。宋は周辺諸国との関係に悩まされ続け、中国の統一王朝としては最小・最弱の王朝と見くびられてきた。しかし文化的には、数ある分野で当時「世界一」、最強の「中華帝国」だったともいえる。

 「中国」並びに「天下」の統一は、草原に起こったモンゴル帝国(大元国)によって実現した。しかし14世紀半ばには、気候の寒冷化と疫病(ペスト)の流行によって、生産の縮小・交通の途絶・商業の萎縮・金融の破綻が起きる。もともと多元的だったシルクロード周辺は、相互のつながりを喪失し、ユーラシアの東西はおよそ隔たった地域になってしまった。そして漢人が「中国」とみなす地域を大元国から奪って成立したのが明である。明の国是は「中華」の回復だったが、明太祖朱元璋がデザインした体制はモンゴルを継いだ側面もあった。

 明の草創期、明太祖や永楽帝の時代は、朝廷が社会と向き合って格闘した。しかし15世紀半ば以降、民間の経済・社会的な力量が増大し、一方、政治権力(皇帝)は著しく矮小化していく。経済と政治が分離し、社会と権力が対立関係に立つのが、以後の「中華帝国」の基本パターンであるという。なるほど、これは現代の中国社会にもつながる伝統かもしれない。

 清はいきなり王朝の末年に跳ぶ。康有為を取り上げてくれたのは嬉しかったが、このひと、やっぱりダメな奴だな。思想家としては「第一級」でも、政治家・実務家としては、およそ適性がなかったと著者の評価は厳しい。最後の梁啓超は、「中華帝国」を葬り去り、祖国を立憲制・共和制の「国民国家」に変革しようとした人物である。しかし「帝国」の亡霊は、いまもあの国を(否、世界各地を)さまよっているように思う。

 それから著者が、王安石や李卓吾を通して、この国の合理主義や近代思惟がなぜ挫折したのか(なぜ西洋的近代が来なかったのか)を、繰り返し問うていることも考えさせられた。こうした圧倒的な歴史の力と比較すると、皇帝も宰相もちっぽけなものである。12人の登場人物の印象はほとんど残らないので、オビの「『闇落ち』した男たち」は、内容を読まずにつけたキャッチコピーとしか思えない。

 蛇足だが、私は各時代で好きな中国ドラマを思い出していた。隋唐は『隋唐演義』『風起洛陽』『長安十二時辰』、宋は『開封府』『知否』『夢華録』および金庸の『射鵰』三部作ほか、明は『大明帝国』『月河山明』など、最後は懐かしい『走向共和』。近年は、宋と明のドラマを見ることが増えた気がする。

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門前仲町グルメ散歩:ソフト白玉あんみつ

2022-09-07 23:06:50 | 食べたもの(銘菓・名産)

週末、買い物帰りにごひいきの深川伊勢屋でひといき。まだかき氷もあったが、少し涼しくなってきたので、ソフト白玉あんみつにした。

以前は、あんみつだけでもいろいろバリエーションがあったが、最近、メニューが整理されて、ソフトクリームかアイスクリームの選択肢だけになった。

伊勢屋さんのあんみつは、甘いもの、甘くないもの、ほんのり酸っぱいもの(フルーツ)のバランスが私好み。全てをまとめる黒みつも美味しい。

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洋風画、再び/ぞろぞろ・わいわい・人だらけ(板橋区立美術館)

2022-09-06 21:24:01 | 行ったもの(美術館・見仏)

板橋区立美術館 区制施行90周年記念・館蔵品展『ぞろぞろ・わいわい・人だらけ-狩野派も、それ以外も』(2022年8月27日~10月2日)

 江戸時代を中心に個性豊かな人物を描いた作品を展示し、人物図について思いを巡らせる機会を提供する。「狩野派も、それ以外も」というサブタイトルは板美(イタビ)らしいと思ったが、行ってみて驚いたのは、洋風画で有名な歸空庵(帰空庵)コレクションが16件も出ていたこと。そのひとつ、『西洋風俗図』は12幅並べて公開で眼福だった。

 展示構成は、描かれた人の数によって、1人、2人、3人以上という具合に作品をまとめているのが面白かった。「1人」の肖像画には謎が多い。はじめに極端な陰影をつけた『神農図』が展示されていて、作者名に「信方」とあった。信方?私がすぐに思い出したのは、大和文華館の『婦女弾琴図』である。ほかにも複数の初期洋風画を残しているが、画家の閲歴は全く不明だそうだ。仏教的主題も描いていることから、キリスト教徒として西洋画を学びながら、後に棄教した人物であるとも考えられているというのが興味深い。

 洋風画のタッチで清国人を描いた、めずらしい『肖像画』。像主はまだ若そうである。

 そして、本展のキービジュアルになっている『蘭人少年像』。2021年の展示レポートでも写真を撮ってきたが、また載せておこう。キャプションには「作者不詳(誰だ!謎が深まる人物)」とあった。肖像画の下に添えられた銅版画(イギリス国旗を掲げた帆船、馬に騎乗した男性図)から「外交上何らかの重要な立場にあった人物と想像される」そうである。もしかしたら、弘末雅士さんの『海の東南アジア史』に出てきたユーラシアン(ヨーロッパ人男性と現地人女性の間の子孫)なのかな、などと想像した。

 椿椿山の『浅野梅堂母像』は気品ある老婦人の肖像。着物の生地が余って皺の寄っている感じが、像主の小さな身体を表わす。しかし姿勢は正しく、小さな目も意志的。画家のモデルに対する敬意が感じられる肖像画である。

 人物が「2人」以上になると、必然的にその関係性に対する想像(妄想)が膨らむ。ライバルだったり、恋人どうしだったり。『喫煙若衆図』は恋の始まりらしいが、『酔李白図』も、そっちで妄想するか? ガラス絵の『清婦人図』は、怖いような「あやしい絵」の範疇だが、これが当時の美人だったのかなあ。以上が第1展示室。

 『西洋風俗図』12幅は、中央のホールに展示されていた。縦長の細い画面には、明るい空、草原(湖?)と遠い山並みを背景に、驢馬に乗る修道士、語らう男性たち、読書する修道士、楽器を演奏する人々など、1幅に1人~数人の人物が描かれる。右6面は和歌山地方で発見され、左6幅はパリのオークションで出品された後、日本へ里帰りしたものだという。

 第2展示室の「3人以上」にも、佐竹晦々『三蘭人図』という作品があったので画像を挙げておこう。キャプションに「阿蘭陀人の謎の集い」というけれど、どうも墨画(?)を見て品評しているようだ。

 そのほか、狩野典信の大作『唐子遊図屏風』や渡辺秀石『異国人図巻』が面白かった。

 第3展示室は、特に注目の作品を特集。雪村の『布袋図』が見られたのは、ごほうびみたいだった。日蹄斎北馬の『竜口対客・上野下野・桔梗下馬図』は、江戸城まわりに集まった群衆を「ウォーリーをさがせ」的に細かく描き込んだもの。いつまで見ていても飽きない。

 この展覧会、圧倒的な充実ぶりなのに【無料】なのがすごい。写真撮影も全面的に可。

 鑑賞後のランチは、ご近所の「いちカフェ」で。お店が続いていてよかった。

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2022年8月@東京:展覧会拾遺

2022-09-04 22:52:30 | 行ったもの(美術館・見仏)

 8月、東京近郊の展覧会にもそれなりに行っているのだが、ぜんぜんレポートが書けていないので、せめて記録のみ。

サントリー美術館 『歌枕 あなたの知らない心の風景』(2022年6月29日~8月28日)

 見に行ったのは前期。冒頭に『柳橋水車図屏風』が出ていると思ったら、京博の所蔵品だった。古筆切は、超名品はなかったが、かえって行成、定頼、貫之などの伝承筆者の筆跡を見比べることができて楽しかった。

三井記念美術館 リニューアルオープンII 『茶の湯の陶磁器 "景色"を愛でる』(2022年7月9日〜9月19日)

 微妙な「景色」を重視する高麗茶碗や志野茶碗は苦手だな、と思いながら見に行ったが、けっこう楽しめた。やっぱり好きなのは楽茶碗。左入の赤楽茶碗「ひがきの絵」は、ほぼピンク色でかわいい。信楽不識形大水指「山猫」は、いい銘だと思った。横に広いどっしりしたかたちで、山猫の毛並みみたいなムラのある茶色をしていた。

太田記念美術館 『浮世絵動物園』(2022年7月30日~9月25日)

 さまざまな動物の登場する浮世絵約160点(前後期で完全入れ替え)を展示。同館ファンにはおなじみ「虎子石」の図、それから月岡芳年の『歌川国芳肖像』(ちょこんと猫がいる)も見ることができて嬉しかった。 鯰絵は風刺がキツいが笑ってしまう。

大倉集古館 企画展『合縁奇縁~大倉集古館の多彩な工芸品~』(2022年8月16日~10月23日)

 大倉集古館は、明治35年(1902)に大倉喜八郎が自邸の一部を美術館として公開した大倉美術館を前身とし、大正6年(1917)日本で最初に財団法人化した、現存最古の私立美術館だという。本展では、そのコレクションの多彩な姿を紹介。アジアで事業を展開した喜八郎らしく、清朝・光緒帝時代の蟒袍(マンパオ)や甲冑(綿襖甲)があったり、張作霖の写真があったりした。日本で最初期の陶俑コレクターであり、世界一とうたわれた漆工コレクションを有していたが、関東大震災で失われてしまったそうである。

五島美術館 秋の優品展『禅宗の嵐』(2022年8月27日~10月16日)

 墨跡はよく分からないが、一山一寧の『園林消暑偈』の飄々とした草書、夢窓疎石『古徳偈』の洗練された行書には惹かれる。禅画は『六租挟担図』『対月図』『政黄牛図』が並んでいたのが豪華だった。

東京ステーションギャラリー 『東北へのまなざし1930-1945』(2022年7月23日~9月25日)

 1930年代以降、東北地方の建築や生活用品に注目した人々、ブルーノ・タウト、柳宗悦、シャルロット・ペリアン、今和次郎などを取り上げる。いまいち趣旨が分からないまま見に行ったのだが、面白かった。タウトがこんなにも東北の工芸に魅入られ、かつ仙台の商工省工藝指導所でデザインの指導を行っていたことも始めて知った。今和次郎は、東北の生活改善にも力を注ぎ、試験農家家屋の設計もしているのだな。しかし成功はしなかったようだ。柳宗悦の「民藝」はほぼモダニズムで、名取洋之助の日本工房の美意識と共通する、という指摘には共感した。

 岩波書店が所蔵する、膨大なタウト関連資料が早稲田大学図書館に寄託されていることをここに記録しておこう。タウトのアルバムには、渋谷のハチ公(生前の姿)の写真が貼り込まれていた。

東洋文庫ミュージアム 企画展『日本語の歴史展』(2022年5月25日~9月25日)

 日本語への理解を深めるための様々なトピックを、所蔵資料によってひもとく。地味なテーマで、近代の活字本がほとんどだが、こういう見せ方もあるか、と勉強になった。黄表紙『日本多右衛門』では「素敵だ」「すばらしい」くらいの意味で「日本だ」を使っていたというのと、馬琴の黄表紙『風俗金魚伝』は中国の小説『金雲翅』のパロディで(原書は)ベトナムでも翻訳されて大人気を博した、という知識が収穫。むかしから東アジアはエンタメでつながっているのだ。

東京藝術大学大学美術館 特別展『日本美術をひも解く-皇室、美の玉手箱』(2022年8月6日~9月25日)

 ふらっと見に行ったらすごい内容だった。古筆好きと絵巻好きは見逃さないほうがいい。後期も行こうと思っているので、詳しいレポートはそのときに。関連して、気になるニュースを貼っておく。

蒙古襲来絵詞や唐獅子図など収蔵「三の丸尚蔵館」、宮内庁から国立文化財機構に移管(読売新聞オンライン 2022/08/23)

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捨て子の成長物語/中華ドラマ『神鵰侠侶』(2006年版)

2022-09-03 23:54:01 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『神鵰侠侶』全41集(張紀中制作、重慶衛視、2006)

 今年のヒットドラマ『夢華録』を見たあとで、そういえば私は、劉亦菲が主演した『神鵰侠侶』見てないんだよなあ…と思ってネットを検索したら、Youtubeに全編搭載されているのを見つけたので、視聴してみた。ところどころ音声が飛ぶ不完全版だったが、まあ概要を把握するには困らなかった。

 物語は『射鵰英雄伝』の後日談である。郭靖・黄蓉夫妻は、楊康・穆念慈の遺児・楊過と出会い、彼を育てることにする。楊康との因縁から武術を教えることはせず、終南山の全真教に預けることにした。楊過は全真教を嫌って飛び出し、古墓の中で人知れず暮らしていた小龍女(劉亦菲)に拾われて弟子となり、古墓派の武功を修練する。青年になった楊過(黄暁明)と小龍女は、次第に惹かれ合うようになっていたが、ある誤解から小龍女は姿を消してしまう。楊過は、幼い頃に欧陽鋒に見込まれて蝦蟇功を修得していたが、洪七公からも奥義を伝授される。

 その頃、蒙古軍と対峙する襄陽では、郭靖・黄蓉夫妻が中原の英雄を集めて「英雄大会」を開催していた。小龍女の消息を求めて訪ねてきた楊過は、蒙古の武功高手、金輪大王や霍都を返り討ちにし、郭靖らを感歎させる。しかし師匠である小龍女と結婚したいという楊過の願いは(師匠=親同然という当時の道徳観念から)人々に受け入れられなかった。

 落胆した小龍女は、彷徨の末に絶情谷にたどりつき、谷主・公孫止からの求婚を承諾してしまう。ところが公孫止は不埒な色好みで、かつての妻・裘千尺を動けない身体にして地底に閉じ込めていた。娘の公孫緑萼と楊過は裘千尺を助け出すが、この老婦人も復讐心に凝り固まっていた。絶情谷で情花の毒に当たってしまった楊過に、解毒薬が欲しければ、郭靖・黄蓉の首級を持ってこいと条件を出す。

 郭靖夫妻こそ亡父の仇と信じていた楊過は、望むところと思って襄陽へ戻る。しかし大宋の国のため民衆のため蒙古軍と戦う郭靖を見た楊過は、いつしか郭靖を助けて奮戦していた。戦乱の中で、黄蓉は男女の双子を出産するが、女子の襄児は、蒙古の金輪大王に掠われ、さらに古墓派の悪女・李莫愁に奪われるなど波乱の運命となる。

 郭靖夫妻の長女・芙児は、行き違いから楊過を怨み、病床にあった楊過の右腕を切り落としてしまう。楊過は巨大な神鵰に救われて命を取り留め、山奥で養生する。一方、小龍女は、かつて自分の純潔を奪った相手が、楊過ではなく全真教の道士・甄志丙だったことを知り、終南山で彼を討ち果たす。しかし小龍女も致命的な痛手を負う。ようやく再会した楊過と小龍女は、互いの運命を悲しみながら全真教の王重陽の像の前で正式な結婚を誓う。そして古墓の中で小龍女の治療につとめるが、あと一歩のところで侵入してきた李莫愁、芙児によって治療の努力は灰燼に帰す。

 舞台は再び絶情谷へ。黄蓉は裘千尺と対面し、楊過のために解毒薬を得ることに成功する。しかし楊過は、小龍女を救う術がないまま、自分だけが生き延びることを肯んじない。困り果てる黄蓉。すると小龍女は断崖絶壁上に「十六年後、在此相会」の文字を残して消えてしまう。黄蓉は、南海神尼が連れていったのだろうと説く。生きて再会を待つ決意をする楊過。

 十六年後、娘らしく成長した郭襄は、江湖で評判の「神鵰侠」と呼ばれる大侠客に憧れていた。ある日、郭襄が出会った神鵰侠こそは楊過で、楊過も郭襄に孤独を慰められる。楊過は、江南七怪の生き残り・柯鎮悪に出会い、実父・楊康の真実の物語を聞く。

 そして約束の日、小龍女は現れなかった。絶望して崖から身を投げた楊過は、深い谷底でひっそり暮らしていた小龍女に出会う。二人は、このまま静かな暮らしを続けることを願う。しかしその頃、襄陽には蒙古の大軍が迫っていた。どこからともなく現れた楊過と小龍女は、郭靖らを助けて蒙古軍を撃退し、救国の英雄と称えられた。

 以上のあらすじは、かなり簡略化している。『射鵰』の登場人物では、ほかに黄薬師、一灯大師、周伯通、瑛姑、それから傻姑も登場する。裘千尺は、裘千丈・裘千仞兄弟の妹という設定である。なので『射鵰』との関係は、思っていた以上に密接だった。本作を読んで(視聴して)初めて『射鵰』の物語を理解したと言えるのではないか。過酷な運命を乗り越え、立派に成長した楊過の姿には、善人としても悪人としても中途半端だった父親・楊康を思い出して感慨深かった。私は『射鵰』ドラマを3バージョン見ているが、やっぱり最初に見た2003年版の楊康の顔が浮かぶ。黄蓉・郭靖は、納得できる中年の姿だった。

 本作独自のキャラで印象深かったのは、まず李莫愁。冷酷な悪女だが、かつて愛する男性に裏切られた傷を負っている。それから金輪大王。終盤では自分の武功を伝授する弟子がいないことを悲しみ、郭襄に「師父と呼んでくれ」と執心するのが可愛かった。最近の中国ドラマに比べれば、撮影技術はいろいろ稚拙だが、展開の面白さで楽しむことができた。

※備忘:古い記事では「射雕英雄伝」の漢字を使っていたのだが、最近は「鵰」が出るのだな。検索の便宜のため、どこかで統一しておこう。

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