見もの・読みもの日記

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COVIDワクチン物語/変異ウイルスとの闘い(黒木登志夫)

2022-09-20 20:23:08 | 読んだもの(書籍)

〇黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い:コロナ治療楽とワクチン』(中公新書) 中央公論新社 2022.5

 2020年にコロナ禍が始まって以降、さまざまな医者や学者がメディアに登場し、彼らの著作もずいぶん出版された。だが、どこまで信用できるか分からない本を読むことを私は意識的に避けてきた。ふと目についた本書を手に取ったのは、著者が『研究不正』や『落下傘学長奮闘記』『科学者のための英文手紙の書き方』で古なじみの名前だったためである。

 著者は「感染症に伝統のある研究所で長年研究をしてきたが、専門はがん細胞の研究である」と自己紹介している。このため、COVIDの本を書くに当たっては、多くの人に教えを請い、原稿を読んでもらったり、メール討論してもらったりした。この、対象との程よい距離感が、素人にも分かりやすい本書を生み出したのではないかと思う。

 はじめに、ウイルスと変異の基礎知識が示される。感染が波状攻撃を繰り返すのは、ウイルスが変異するためだ。第1波~第6波の中心となった変異株にはそれぞれの特徴がある。次にワクチンと治療薬の歴史と現状について語り、医療逼迫が起きる理由(日本の医療制度の根本的な問題点)を論じ、最後に今後のシナリオを提示する。

 最も興味深かったのはワクチン開発物語で、著者は「病原体ワクチン」「遺伝子産物ワクチン」「遺伝子情報ワクチン」という新しい分類を提唱する。三番目の遺伝子情報ワクチン(DNAワクチンとmRNAワクチン)はコロナ以前には使われていなかったが、COVIDワクチン開発の中で一気に実用化した。ハンガリー生まれで米国に渡った女性研究者カリコーは、mRNAワクチンの研究を根気強く続け、免疫学者のワイスマンとの共同研究によって、2008年、ついに安定化に成功する。

 カリコーの発見を受け継いでmRNAワクチンを実現したのが、二つのベンチャー企業、米国モデルナ社とドイツのビオンテック社である。ビオンテック社は、シャヒンとテュレジ夫妻(ともにトルコ移民二世)によって2008年に創設された。2020年1月、中国武漢で新しい感染症が発生したというニュースを聞いたシャヒンは、これはパンデミックになると直感し、直ちに社内に「光速プロジェクト」を立ち上げ、9か月でmRNAワクチンの設計図を完成させた。

 シャヒンはファイザー社のワクチン開発責任者ジャンセン(東ドイツ出身、ファーストネームから見て女性)にCOVIDワクチンの開発を提案する。大企業ファイザー社のCEOブーラ(本書にはギリシャ移民と記載、Wikiでは市民権はギリシャ)はシャヒンを知らなかったが、電話会談で信頼関係を築き、開発スピードを最優先して、50:50の契約に合意した。

 モデルナ社は2010年にアフェヤン(アルメニア人、ベイルート生まれ)によって創設された。2020年1月、CEOのパンセルから緊急連絡を受けたアフェヤンはCov-2に対するmRNAワクチンの開発を開始し、2日間で設計を終え、41日後には最初のワクチンをNIH(アメリカ国立衛生研究所)に送ったという。

 この一段は、人類にとっての「画期」がどのように起きるかを追体験できて、本当に面白かった。登場人物が移民ばかりであることに感銘を受けながら読んできたら、著者も「ここまでに登場した人物のほとんどは移民である」という総括を挟んでいた。ワクチン開発に関わった人たちの国籍は60ヵ国、男女は同数で、まさに「移民の高いモチベーション、多様性が生み出すエネルギーが、この画期的なワクチンの背後にあったのだ」という。そのあとに付け加えられた「日本が、ワクチンだけでなく、あらゆる分野で先端を切り開けないでいる理由が分かったような気がする」という一文が苦い。

 本書には「日本がワクチンを開発できなかった理由」が5つに整理されている。(1)スピードがあまりにも遅かった (2)予算があまりにも少なすぎた (3)政府もワクチン開発から逃げていた (4)感染者の少ない日本では臨床試験は困難 (5)実社会の効果と安全性検討にはデジタル化が必須 (6)長い目で見た基礎研究をおろそかにした。なんともはや…である。東大医科研の石井健教授は、mRNAワクチンの開発に取り組み、2015年時点で世界のトップレベルにあった。しかし第1相試験の段階で、予算が獲得できずに挫折した。AMEDは「日本で流行していない病気に予算はつけられない」と断ったという。単なる傍観者の私がこれを読んで歯噛みする思いなのだから、当事者の悔しさはどれほどだったろう。

 医療逼迫について、日本の国民皆保険は非常に優れた制度であるが、超高齢化社会による医療費の上昇と経済の停滞による財政の圧迫のもと、医療制度の基盤は脆弱になりつつあり、加えて、医療資源に余裕がなく、かろうじて危ういバランスを保っているという指摘に身が凍りつくような感じがした。パンデミックへの備えを含めて、医療体制を基本から考え直す必要があるという。

 コロナ対応「ベスト・プラクティス7」「ワースト・プラクティス7」には、おおむね同意できた。ワースト(1)はGO TOキャンペーン、(3)はPCR検査(の軽視)、(7)には政府と官僚の縦割り行政と無謬性神話が入ってる。

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