上記の絵は姥子山から戻って雁ヶ腹摺山山頂から撮影したものですが、昭和 17年11月3日に名取氏が撮影した場所は、山頂から少し下がったカヤトの中からのようです。
富士山と手前の山の中間にある尾根の右手が三ッ峠山で、薄っすらとアンテナが見えます。
昭和 17年(1942)から80年も経っていますが、変わらぬ景色のように見えました。
姥子山では貸切の山頂で、じっくりと富士山を眺めながらノンビリできた。出発、10時 45分。
西峰を下り鞍部に出たら、前方に真木小金沢林道のガードレールが確認できた。
林道を横断し雁ヶ腹摺山に取り付く。 通過、11時丁度。
背丈の低い笹原の道を登り、11時 13分 白樺平を通過。
雁ヶ腹摺山まではコブを3つほど越えて行くが、足に筋肉痛が出てしまい厳しく、時間が掛かってしまった。
登りの緩急が続き、足をマッサージしながら頑張った。11時半、通過。
12時 14分、雁ヶ腹摺山南面のカヤトの原が見えた。
山頂到着、12時 15分。 姥子山から雁ヶ腹摺山までのマップタイムは1時間 10分であるが、1時間半も掛かってしまった。
でも9時 25分の登頂時には、期待していた富士山が何も見えなかったが、雲が去ってくれ富士が顔を出してくれていたことが嬉しかった。
ただ昼時で太陽の位置が悪く、旧五百円札の様に撮ることは出来なかった。
富士山が見えただけでも良かったとして、12時 25分 下山開始。 帰りに振り返ったカヤトの原は、とても綺麗だった。
城郭の石垣に似た巨石の横を通過、12時 33分。
上部の登山道には岩がゴロゴロしており、慎重に下る。
足洗石を通過、12時 50分。
下る途中でドッシリした黒岳(標高 1987.5m)の山姿が伺えた。
日当たりの良い道で暖かく気持ち良かった。
13時 13分、大峠の雁ヶ腹摺山登山口に無事戻りました。
大峠駐車場を13時半に出発し 、早かったので日本三奇橋の一つである大月市の猿橋を見学して帰途に着きました。
紅葉も綺麗であったようですが、既に終わっていました。
※ ご覧頂き、ありがとうございます。
何度もコメントして、すみません。
最近雁ヶ腹摺山も、どこの山も登っていないので、懐かしく見させていただきました。
帰りには富士山がきれいに見えてよかったですね。
お写真の五百円札ですが、お持ちなのでしょうか?
私も、五百円札を使った記憶はありますが、当時は
雁ヶ腹摺山からの富士山だと大月駅に書かれていたのですが、それほど気にせずにいました。
そのうちに五百円玉に変わってしまいました。
今思うと、五百円札だけはとっておけばよかったなぁと後悔しています。
見えるまで待つのもつらく、姥子山へ向かったら、こちらの山頂では見ることができたのです。
これを雁ヶ腹摺山から見ようと、急いで戻ったのですが、足の筋肉がピクピクと痙攣し、マップタイム 1時間10分の所1時間半も掛かってしまいました。
でも、見えたんですよ。嬉しかったです。
ただ太陽が真上位にあり、三脚も無いし素人には上手に撮れませんでした。
でも自分の目で見えたので良かったです。
五百円札は自分の机の透明なゴム敷きの下に千円札(伊藤博文)、五百円札(岩倉具視)、百円札(板垣退助)が挟んであり、何気なく見たら、「エッこれがそうだ。」と身近で発見、載せてみました。
五百円札の富士山、昭和17年の撮影でしたか。
私の誕生日のほぼ一か月前です。
そんなところに感動して
しみじみと見入ってしまいました。
富士山を撮影できてほんとに良かったですね。
足の痛み、早く回復しますよう!
最初に山頂に着いた時は雲の中で「エッ!どこ?」と残念でしたが、隣の山に行き戻って来たら見えて、本当に嬉しかったです。
また、その五百円札を自分で持っていたので、皆様に見て頂こうと載せてみました。
現在の景色も昭和17年と変わらず素晴らしかったです。
自分では歩いているつもりでしたが、痙攣してしまい焦りました。早く治します。
ありがとうございました。