“湘南風土
と邸園文化継承、悠久の歴史を感じさせる、清閑なたたずまい”
明治31年(1898)、この地に三井財閥当主が
別荘を構え、庭園の整備がなされた
大磯城山(じょうやま)公園
と国道1号線を挟んだ南側に
旧吉田茂邸庭園
があります。
明治17年(1884)に吉田茂の養父「吉田健三」が別荘を建てたのが始まりで、大磯の別荘の草分けでありました。
養父健三没後、首相となった吉田茂は戦後、外国貴賓を招くために迎賓館的用途で昭和26年(1951)に建て替えを行いました。
約1万坪の敷地には芸術院会員「故吉田五十八」氏設計の二階建て延べ面積300坪の総檜造り純日本風の建物がありました。
「吉田御殿」
とも呼ばれ戦後の日本の政治を動かした多くの人達が
「大磯詣で」
をし、昭和54年(1979)大平首相とカーター米大統領の日米首脳会談が行われるなど歴史的に由緒ある建物でした。
昭和42年(1967)吉田茂が亡くなってからプリンスホテルの所有となりました。 その後、平成18年(2006)神奈川県では旧吉田茂邸と大磯城山公園の一体整備方針が決まり、整備工事が進められていた矢先の平成21年(2009)3月22日に原因不明の
出火により本邸が焼失してしまいました。
歴史的に重要な建物が焼失したことは、非常に残念
なことでありますが現在、本邸の再建と庭園整備の工事が進められています。
サンフランシスコ講和条約
締結を記念して建てられた門で、別名「講和条約門」とも呼ばれ、軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似ていることから「兜門」
とも呼ばれています。
京都の裏千家の兜門と同じ製作者を京都から呼び寄せて造られ、屋根は「檜皮葺き」という伝統的技法が用いられており、焼失を免れた貴重な建築物です。
本邸宅は兜門を入り左手の小高い所にありますが、現在再建築中であります。
昭和36年頃に完成した日本庭園は、中心となる心字池を邸宅の正面に配置した、池泉回遊式庭園です。
庭園設計者である
中島 健
は、数寄屋建築の本邸との調和や
花
を愛した吉田茂の嗜好をふまえ、様々な草花やバラ、ツツジ類、ウメ
などを多く取り入れ、色彩豊かな庭造りをされたようです。
当初の明治36年に伊藤博文
が、明治維新の元勲うち
「岩倉具視」(いわくらともみ)・
「大久保利通」(おおくぼとしみち)・
「三条実美」(さんじょうさねとみ)・
「木戸孝允」(きどたかよし)の4人を祀った
四賢堂
を自身の邸宅
「滄浪閣」
に建てたものでした。 伊藤博文の死後、梅子夫人により
伊藤博文を加えた5人が祀られ
「五賢堂」
となりました。
昭和35年に吉田茂邸に移設され、昭和37年に吉田茂が
西園寺公望(さいおんじきんもち)を合祀し、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって
吉田茂が合祀され、現在
「七賢堂」
となっています。
扁額は故佐藤栄作元首相の書です。
吉田茂の銅像は皇居北の丸公園、
高知龍馬空港とここ
大磯町
の三カ所にあるとのことです。
大磯町の銅像は、昭和58年に地元の有志の方々によって建立されました。
サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けて設置されたと言われています。
そうですか?3月に完成。
火災と聞いた時はビックリしましたが、ようやく完成となり本当に良かったと思います。
私もぜひ見に行きたいと考えております。
ありがとうございました。