素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

◎寂光院◎

2016年10月17日 | 古寺巡礼

寺の伝承によれば、寂光院の歴史 は京都に数ある寺のうちでも、指折りといえるくらいに古いそうです。                              創建は実に推古 2年(594)といわれ、聖徳太子が御父・用明天皇の菩提を弔うために作られた、天台宗の尼寺であります。

所在地は洛北の左京区大原草生町であり、大原の代表寺院「三千院」界隈と比すれば、更に静かな山あいにあり寺に向かう道も人影まばらで、門も境内もこぢんまりとしています。

そのたたずまいは「ひっそりと余生を送った」といわれる舞台にいかにもふさわしく感じられました。

御本尊は聖徳太子作と伝えられる「六万体地蔵尊」だそうです。                       平成 12年(2000)5月 9日の火災で損傷(現在も重要文化財指定)、新たに復元された本尊が本堂に安置されています。(火災の原因は不明だそうです。)

平安時代末期、源平合戦の末に、平家が壇ノ浦の戦いで滅亡すると、平 清盛の娘で安徳天皇の母であった建礼門院は、壇ノ浦で入水したが源氏に助けられ京都に送られた。                                    その後出家し、わずかな女官だけをつれて大原の寂光院に入り、平家一門の菩提を弔いながら生涯を送ったといわれています。

大原の一帯は冬は雪が深く寒さが厳しい。                  小浜街道(鯖街道)は、冬になると行き来が途絶えて食糧も手に入りにくくなる。   そのため大原の里人たちは、夏の間に取れた野菜を特産の赤シソで漬け込んで保存食として冬に備えた。

                                                当時、大原の里は深い山の中で人も訪れない寂しい地であった。                           建礼門院にとっても、この地での暮らしはわびしいものであり、村人たちは建礼門院を慰めるために、得意の漬物を献上されたとのことであります。

                                               村人たちの温かな思いやりと鮮やかな赤紫色の漬物を、建礼門院は非常に喜ばれて、この漬物に「むらさきはづけ(紫葉漬け)」という名を付けたそうです。                               そこで、この漬物の名が「柴漬け」と呼ばれ、すぐき、千枚漬けと並んで「京都三大漬物」と呼ばれるようになりました。

また、寂光院の御本尊である地蔵菩薩よりも良く知られているのが、その脇にある建礼門院像と阿波内侍(あわのないし)像。

                                               大原には、昔からこの里でとれた薪炭や食糧を頭に乗せ、独特の着物姿で京の都まで売りに歩いた「大原女」という女性行商人がいたことで知られるが、実は建礼門院に従ってきたわずかな女官(阿波内侍)たちが、この大原女のモデルになったといわれています。

                                                      現在では観光用の衣装として見る以外に、あまり見られなくなってしまったようです。

 

 


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