中央高速が甲府昭和ICから豊科ICまでしか開通していなかった頃、北アルプスを目指す時は常に国道20号線を走った。 そのくらい20号線は自分にとって、とても走り易い道で好きだった。 出かける時は、いつも夜なので諏訪湖を通過中に花火が見られた時も有ったり、『高島城』と言う看板も見た。 あれから何十年経ったんだろう?
ようやく今回は時間があり、どんなお城なんだろうと興味津々で訪問してみた。 本丸は三層の天守閣で白漆喰の壁に派手さは無く、こじんまりとした地味な天守閣であった。
高島城は高島公園の中に、諏訪護国神社と共にあります。 築城当時は、本丸・二之丸・三之丸などの主要な城郭をほぼ一直線上に連続配置した連郭式で、諏訪湖と数条の河川に囲まれた、水を守りとする難攻不落の水城であったようです。
天守閣は屋根に瓦ではなく、檜の薄い板を葺いた柿葺(こけらぶき)と言う珍しいもので(復興後銅板葺)、これは諏訪の寒冷に耐えられる瓦が調達できなかったためと言われています。 また、築城当時の石垣は、自然石を加工せずに積み上げた野面積(のづらづみ)工法がとられたとの事です。
築城は豊臣秀吉の家臣「日根野織部正高吉」(ひねのおりべのかみたかよし)が2万7千石を与えられ諏訪の領主となり、築城したと言われています。 高吉は安土城や大阪城の築城にも携わった築城の名手であったそうです。 天正19年(1591)には既に城地の見立てと設計を終え、翌文禄元年(1592)に着工、慶長3年(1598)まで7年ほどかかって高島城を築城。
城の際まで諏訪湖の水が迫り、湖上に浮いて見えた事から別名『諏訪の浮城』と呼ばれ、また「諏訪の殿様良い城持ちゃるうしろ松山前は海」と歌われた名城であったようです。
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