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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

ドールン技師長に会いに猪苗代湖へ

2021年04月04日 | 土木構造物・土木遺産


会津に行ったのはラーメンを食べに行ったわけではない。「安積疎水十六橋水門」を見に行くために、福島県猪苗代湖湖畔まで足を延ばす。小学校の修学旅行で訪れた地だ。(その後も何回かは来ていますがー)
この猪苗代湖から、会津地方に流れ込む川が日橋川(にっぱしがわ)だが、これは阿賀野川(阿賀川)の支流にあたり、只見川・阿賀川が尾瀬を水源としているものの、猪苗代湖の水も流れ込んでいるんです。
会津・蒲生氏の時というから戦国時代、会津湖畔に水門を建設し会津地方の生活用水として灌漑(かんがい)事業が盛んに行われた。それが猪苗代湖の北西岸、日橋川経由で阿賀野川に流れ込む場所だ。(国道49号で会津から郡山方面に向かうと、猪苗代湖が視界に飛び込んでくる場所、左手)



明治に入ると、ここでもオランダ人の雇われ技術者が活躍している。ファン・ドールンがその人。河川輸送、灌漑用水、港建設の専門家で、エッセルやデ・レーケといったおなじみのオランダ人技術者の親方にあたる。
そのドールンは、大久保利通の依頼で安積疎水の開削事業を担当し、山を切り開き、会津とは反対方向である現在の郡山市周辺へ猪苗代湖の水を引き入れることに成功した。明治15(1882)年のこと。
こういう話には、どうしても水利権の争いごとがつきもの。ドールンは、猪苗代湖の水位や日橋川への流量を計算し、安積疎水を開削しても会津地方の流量には影響を与えないことを合理的に説明したという。
十六橋水門は、会津方面への水量を調整するためのものではなく(その役割もあるのですが)、東側の山の向こうにある福島県の中通り地方のために建設された水門で、郡山市の今の経済都市としての発展は、ドールンの偉業によるものとされている。



十六橋水門の傍らにドールンの銅像が立っているが、その脇には渡邊信任の顕彰碑がある。安積疏水土地改良区の初代理事長で、ドールンの後に安積疎水の改修・運営に尽力した人だ。
戦時中、政府は軍需のために金属類の回収命令を発したが、渡邊は農民にドールンの銅像を隠すように指示。オランダと言えば敵国ですからね、当時とすれば命がけで「盗まれた」と嘘を付きとおしたという。ドールンの偉業を後世に伝えたかったんですよね。
ドールンは、信濃川や利根川の治水事業や仙台・野蒜港(運河)、函館港の建設にも携わり、日本における土木事業の原点を築き、日本の近代化に大きく貢献した人なのである。ようやく会いに来くることができました!

安曇疎水十六橋水門は、土木学会「選奨土木遺産」、経済産業省「近代化産業遺産群 続33(東北開発)」、文化庁「日本遺産」。






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