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さて広瀬川物語、最終章は河口へ向かってみることにしたい。実は広瀬川に河口はない。広瀬川は一級河川の名取川の支流で、河口から5キロほどの仙台市街で名取川に合流している。したがって今回紹介するのは、正確には名取川河口付近ということになる。
海岸線に沿って砂丘地が続く場所だが、その砂丘地の中、つまり内陸に日本最大級の運河が存在する。これが「貞山運河(ていざんうんが)」と言われるもので、外海を通らず船が安全に航行できるようにと、江戸時代から明治期にかけて掘られたものである。
各時代にわたり、数か所ことに掘られたものだが、その長さは50キロにも及ぶ。途中、松島湾でいったん海とつながる部分はあるが、南の阿武隈川河口から北の旧北上川まで、名前や時代を変えながら川船による水上交通網として結ばれたものである。(貞山運河と呼ばれているのは、この中の阿武隈川河口から松島湾(塩釜)までの区間を言う。)
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この河口付近、いやここに限らず東北の太平洋沿岸の海岸線は東日本大震災で発生した津波より、甚大な被害を受けた場所である。確かに人家は移転をしたり、新しい街並みとして整備されたりしながらも、見事復興を果たしているというのも目を見張るところでもある。
名取川の河口左岸の若林区藤塚地区には、以前紹介したことのある「アクアイグニス仙台」がある。右岸側は、閖上(ゆりあげ)漁港が再整備され、防災拠点(写真上)や「かわまちてらす閖上」(写真下)などが設置されている。
右岸の漁港付近のゆりあげ港朝市やかわまちテラスなどでは、魚だけではなく地元の食材をふんだんに使ったレストラン、カフェ、ショップなどが集まり、大勢の観光客や地元の買い物客で賑わう場所になっている。テラス席などもあって海風・川風を浴びながら、ゆっくりできる新しいスポットになっている。
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貞山運河も海からすぐの内陸にあったため、津波によるダメージは大きかったが、宮城県による運河の再生・復興事業により復活を果たした。(現在は、物流の機能は担っていないが、一部は市民の憩いやレジャーの場所として、またシジミやシラスの漁場として活用されている。)
かつては、阿武隈川を使って福島県内からも木材を搬出し、貞山運河から名取川、そして広瀬川を通って仙台の城下に運んでいたという。「貞山」という名前は、伊達政宗公の「おくりな(=瑞巌寺殿貞山禅利大居士)」から命名されたものであるとのこと。ここでも伊達政宗や伊達家が登場する、どれだけ大事にされているんでしょうねー。(写真上:ゆりあげ港朝市メイプル館内の貞山運河パネル展などでも紹介。)
貞山運河は2000年(平成12年)に「選奨土木遺産」となっているが、その選奨経緯にはまだ続きがある。広瀬川を後にして、もう少し北に足を向けることにするので、後日紹介していきたい。
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