今回裁判員裁判は一体何なのかと問いかける最高裁上告審判断が示された。
東京港区で起きた強盗殺人事件と千葉県で起きた女子大生殺害事件は1審の裁判員裁判で共に
死刑の判決が出されました。
処が上告した2審の高裁判決では無期懲役が相応とした判決を出しました。
是では折角裁判員に任命され裁判に一生懸命に悩んだ末出した死刑の判決が否定された事に
なり裁判員裁判は一体何なんだとと当時話題に上がりましたね。
処が今回最高裁上告審でこの2件については何れも2審の高裁判決を支持し裁判員裁判の1審
の死刑判決は破棄すると言う判断を下しました。
理由として死刑は究極の刑罰であるので何人にも公平でなければならない、2件の判決は過去の
判決に照らした場合死刑に当たらない、死刑の判決は裁判員裁判でも過去の判例を踏まえて判断
を下さなければならないとし死刑判決を破棄し2審判決の無期懲役を支持しました。
この事は多くの問題点を提供しました。
まず裁判員裁判は過去の裁判の遣り方を新しい国民の目で改革するために創設されたと記憶する。
是を過去の判例通りに遣れと言う事はどうゆう事なんだろう?
確かに裁判員裁判で死刑判決が多発した場合、これも重大な問題です。
被害者側に立った報復裁判とも言われます。
しかし過去の判例がどうのこうのと言う事はシロウトの裁判員に判断させるのは無理な相談。
またシロウトの裁判員による冤罪判決が発生したら司法はどう対処するのだろうか?
究極は裁判は矢張りシロウトには無理な相談です。
司法は国民が裁判に参加して居ると言う姿勢が欲しいだけで、裁判そのものは司法のプロが
判断すべきとして居る様に思われます。
もう司法に国民が踊らされるのこの辺で辞めたらどうでしょう。
人の人生を左右する裁判は矢張りプロに任せるべきではないか?
裁判員裁判制度には被害者側や加害者側から様々な不満が出て居るとも聞く。
是は本来國が受けるべき非難で国民に向けられるのは筋違いではないか?
貴重な時間と知恵を出して結論で出した死刑がアッサリひっくり返される無力感。
もうこの辺で終わりにしたらどうでしょう。
所詮シロウトがどうあがいてもプロの裁判官の判断には叶いません。
ただ死刑判決が無期懲役になって、何年かして仮出所しまた凶悪犯罪を再犯する
可能性もあるので、今回の司法の判断には賛同出来かねる点もありますね。